浅い河
3
カロルとリタを連れたジュディスがバウルに乗って迎えにきたのは、翌日の事だった。
慌ただしくもあったがそのままガスファロストへ向かい、迅速丁寧に仕事を完遂したギルド凛々の明星のメンバーと、書類上は登録していないだけで扱いは完全たる仲間であるリタが犯人達の引き渡し部隊を待っていると、ギルド側代表として現れたのも彼らの仲間の一人だった。
「はーいジュディスちゃーん! 相変わらず二百点満点に麗しいわねぇひさしぶりに会えておっさん大感激ー!」
「おっさんウザい」
軽やかなステップでジュディスめがけて突進するレイヴンの顔面を、リタの本が迎え撃った。分厚い革製の表紙にしたたかに鼻先を打たれ、レイヴンは声もなく崩れ落ち悶絶する。
「おひさしぶりね、おじさま。お元気そうでよかったわ」
ふふ、とクリティア族であるジュディスが倒れ伏しているレイヴンに妖艶な微笑みを浮かべて話しかけたが、返答の代わりに弱々しく上がった手はぱたりと地面に落ちる。
「たった今元気じゃなくなったんだよね、レイヴン」
いつものことなのでそれだけで再会を終わらせたカロルは、レイヴンの部下である顔なじみの男にガスファロストの鍵を差し出した。かつて紅の絆傭兵団の首領バルボスが建造し根城にしていたガスファロストの管理は、ユニオンの幹部が行っているのだ。
「あっちに全員まとめて縛ってあるよ」
「相変わらずいい手際だな。こういう名の上がる仕事を中心に選べよ、お前んとこは」
「ダメダメ、背伸びしてたらいつかころぶんだから。確実丁寧、一歩ずつ!」
出会ったばかりの頃に比べたら格段に頼もしくなった小さな首領の背中を眺めながら、ユーリは足下に転がっている男に話しかけた。
「高望みはケガのもとだとよ、おっさん」
がば、とレイヴンが身を起こす。紫の長衣についた砂埃を払い落としながら唇をとがらせ、彼はじとりとユーリを睨んだ。
「ひどい青年! 若いからなんでも許されると思ったら大間違いなんだからね! 青年だってあっとゆー間におっさんの仲間入りなんだからそうなってからおっさんみたいなイイ男を目指したって遅いのよ!」
「はいはい」
きゃんきゃん吠えるレイヴンを適当に受け流していると、リタが仁王立ちのまま「ねえ」とレイヴンに話しかける。
「ガスファロスト内の機材で運び出した分のリストって、あんたんとこに提出したんでいいの?」
「あーそうしといてくれると助かるわ。あとは帝国側だけど、そっちはエステル嬢ちゃんかフレンにお願い」
「わかったわ。ジュディス、ちょっといい?」
「ええ、もちろん」
頷いたリタがジュディスと一緒に、ガスファロストから運び出しひとまとめにした荷物の方へと歩いて行く。バウルに――正確にはフィエルティア号に積み込む為の相談をしているのだろう。
石垣に背をもたせかけて座っていたユーリは、何やらまだぶつぶつ文句を言っているレイヴンにちらりと目をやった。
「……なあおっさん」
「何よ」
まだふくれているレイヴンから目を逸らして、ユーリは夕焼けに染まる空を見上げた。
「おっさんは誰か一人と落ち着こうとか考えねーの?」
返事はなかった。怪訝に思ったユーリが傍らに座りこんでいるはずのレイヴンを見ると、無精髭に覆われた顔を驚愕に固め、目をまんまるにしている彼と視線が合う。
「……どーいう反応だよ」
「や、おまえさんこそいきなりどうしたのよ。なんか悪いものでも食べたの?」
「別に食ってねぇよ。ただ、オレがおっさんくらいの年になったとして、オレはどうしてっかなって、ちょっと思っただけだ」
片膝の上で器用にほおづえをついて、ユーリは視線を仲間達の方へと向けた。余計なことを口走ったかと後悔していると、「そうねぇ」とレイヴンが腕を組んだ。
「人生やり直し中の俺様が言うのもなんだけど、こいつとなら墓まで人生一緒に歩いて行けると思える相手に気づけたら、気楽な独り身も卒業かもしれんね」
珍しくまじめな口調でレイヴンが言う。変なところで気の回るおっさんだなと口の中で呟いて、ユーリはため息をついた。
「――誰かの人生を背負って歩くなんて、オレには想像もできねーな」
「あ、青年それ間違い」
端的に指摘され、ユーリは視線を巡らせた。びし、とユーリに人差し指をつきつけて、レイヴンが珍しく不機嫌そうな顔で眉間に皺を寄せている。
「おまえさん一人が誰かの人生を一方的に背負い込めるなんて、とんでもない思い上がりでしょーよ」
ユーリは軽く目を見張った。驚愕が去り、どこか傷付いたような表情を浮かべる青年に、レイヴンは年長者らしく穏やかに笑みかける。
「誰かと一緒に歩いていくんなら、基本はお互いに預け合うのが礼儀じゃないの? どっちかが相手におんぶにだっこじゃ、後々しんどいでしょ。それだと、いつかバランス崩してつぶれちゃうんじゃないかねぇ」
預け合う。
ユーリはその言葉をゆっくりと噛みしめた。
戦場で背中を預けたことは幾度もある。命を預けたこともある。
けれど、多分これはそれとは違う。
相手をまるごと受け入れ、まるごと預け、そうして人生を一緒に歩いて行く覚悟を貫き通すということだ。
「まあそれは、おっさんの長年にわたる人間観察の一例だし? そもそも一緒に居たいって気持ちひとつで連れ添って、うまくやってく組み合わせだってたーくさんあるわけだしね。青年はちょっと大げさに考えすぎじゃない?」
いつもと同じ、脳天気に道化た調子でレイヴンが問いかけてくる。しばらく答えずに黙りこくっていたユーリは、嘆息して暮れていく空を見上げた。
「明日は雪でも降るかね」
「降ったら青年のせいだろうね」
皮肉の応酬をしている彼らを、カロルが呼ぶ。立ち上がったユーリは、ふと南の方を振り仰いだ。
思い上がり。そう言われてしまえば、直視しないようにしてきた葛藤もそれだけのものかもしれない。
彼女が向けてくれる想いの種類をうすうす悟っていながら、決定的なものにしたくなかった。あんなにも懸命な言葉に礼だけ告げて、大切な仲間のままでいることを選び続けてきた。
だが、それはすべてただの思い上がりと言われてしまえば、それまでのことだ。
本人に確認したわけでもなければ、きちんと言われたわけでもない。
いや、言わせないようにしていたのはユーリ自身なのだから。
あの笑顔を、温もりを、手放さずにすむように。つたなくも差し出される剥き出しの好意に気付かないふりをして、彼女との距離を一定に保ってきた。そうすれば何も失わずに済むと、そんな身勝手な理由で。
自己嫌悪に転がり落ちていく思考を振り切ろうと立ち上がったユーリを見上げながら、レイヴンが首を傾げた。
「やっぱあれ? 嬢ちゃんの結婚話、ちょっとは効いたりしちゃった?」
唐突に耳に飛び込んできた単語の組み合わせを理解するなり、ユーリは勢いよくレイヴンを振り向いた。
「な――っ」
「って、やば」
ユーリの反応にさっとレイヴンの顔から血の気が引く。その顔の前でぶんぶんと両手を振る男に、青年は静かに詰め寄った。
「今のナシ申し訳ないただのおっさんの戯れ言だからほら悪いね忘れて聞き流」
「エステルの、結婚話が、なんだって?」
低い声で男が口を滑らせた内容を反復すると、とほほとレイヴンは肩を落とした。怯えたような視線が、ジュディスと話し込んでいるリタの方へとちらりと向けられる。
「……リタっちに口止めされてたんだけどね。嬢ちゃんが、山ほど縁談がきてるんだけどどうしたらいいか悩んでるって手紙寄越してきたって。心配だから、近いうちに会いに行くって。青年があんな事言うから、てっきりもうその件も知ってるんだと……。お願いだからおっさんがバラしたってのは内密にしてくださいでないとリタっちに丸焼きにされちゃう」
冷や汗を額に滲ませながら両手を合わせて懇願するレイヴンに小さく頷き、ユーリは帯の辺りを強く掴んだ。その下には、エステリーゼが贈ってくれた飾り房がしまいこまれている。
目の前の誰かの痛みには必死に寄り添うくせに、自身の悩みは抱え込みがちなエステリーゼが、リタにだけ打ち明けた弱音。
どういう形にしろ、エステリーゼが抱え込んでいるものはユーリにしか解決できないと、そう告げたフレン。
家族という言葉に反応し、その話題に関しては明確に線を引いて、ユーリを内に入れなかったエステリーゼ。
それらが示す答えは、ただひとつ。ユーリは、結婚という選択を迫られつつあるエステリーゼから、拒絶されたのだ。
いつまでも、そう、ずっとこのままでいられると思っていたわけではない。それでも、彼女との間を平行線に保ち続けていれば、少しでも長く現状を維持できると思っていた。
けれどもそうではなかった。いつまでも先送りにしていられるものではなかった。
彼女が自分の知らない他の誰かと行く道を選ぶことだって、十分あり得ることだったのだ。
――気付かずにいたかった。
この期に及んでそう考えている自分が猛烈に腹立たしく、ユーリは飾り房から手を離し、そのまま爪が食い込むほど拳を握りしめた。