はじまりの先へ
イリアト20周年、おめでとうございます!
えっ20……って絶句してしまいましたし、現行機種でプレイできないのほんと損失だと思っていますが、大好きですイリアト。
まだ再録してなかったような気がする、と思って探したらやっぱりまだだったので、イリアトのED後、クレインとリイタとみんなの旅立ち直前の話を妄想していたものを再録します。
OPで流れた百夜幻想譚の衝撃は今でも覚えてますし、ずっと大好きです。
ムルの故意だったのか、それともなんらかのアクシデントだったのかはわからないままだが、この町は地震とゲヘルンの大量発生によってかなりの打撃を受けてしまった。
けれど、もともと「アバンベリーを目指す」冒険者達の集う町だった事、それにアルカヴァーナ騎士団の迅速な働きも幸いして、人的な被害はほぼなしと言っても良かった。
だが、建造物はそうもいかない。町の入り口にある石畳の大通りはまっぷたつに裂け、鐘突き堂も塔の先がなくなったままだ。住民の避難を優先したのだから仕方ない、とアルカヴァーナ騎士団もカボック商工会も、一丸となって町の復興に取り組んでいる。
そんな中、ガルガゼットの中でも、酒場の主ノーマンを慕って集まっている面々が拠点とする、彼ら曰くの「家」では、一人の少女が窓辺でほおづえをついて溜息をこぼしていた。
栗色の髪は腰ほどまでもあり、ゲヘルン狩りであるガルガゼットを生業としながらも、それはきちんと梳られている。柔らかな頬も、それを支えている手も、窓から差し込む光に照らされて柔らかくかたどられている。
口の悪い仲間曰く、「黙っていれば可愛い系の美少女」と評されている彼女は、窓辺に陣取ってから既に数え切れなくなった溜息をついた。
窓から見える町並みは、あちこち壊れてはいるものの活気に溢れていて、普段なら特に用事がなければ腕まくりして手伝いに行くのだが、今日はそんな気分になれなかった。
それというのも、明日、共に死線をくぐり抜けてきた仲間の一人であるノルンが、ゼルダリアのもとへ帰ることになったのがそもそもの原因である。
それはいい。いや、寂しくないと言ったら嘘になるが、そもそもノルンは「クレインのお手伝いが終わったらゼルダリア様の所に帰るニャ」とずっと言っていたのだし、帰る場所があるからには帰るのが幸せなのだろう。
ノルンの育ての親にして師であるゼルダリアは、外見だけは少女と言ってもいいほどだが、いかんせん高齢なので無理ができない。長旅の途中でも、ふと寝入る前の静かな時間に、ゼルダリアの名前を呼んでいるノルンの心配そうな声を聞いたのは、一度や二度ではきかない。
だから、それはいいのだ。生きて元気でさえいれば、会いたいときに会いに行けばいいのだから。
問題の根本は、つい半日ほど前にさかのぼる。
「今日はクレインにお願いがあるのニャー」
朝ご飯を食べた後の事だった。
「家」に居る間は、食事当番は交代制だ。祖母と二人暮らしが長かったクレインも、粗野な外見とは裏腹になんでもそつなくこなすデルサスも、ゼルダリアのお手伝いのために家事一般をこなすノルンも、そこそこ上手く作るのだが、最近はリイタが作ることが多かった。
それと言うのもつい数日前に、馴染みのパン屋で焼かせてもらったケーキに砂糖と塩を入れ間違え、しょっぱいケーキを作ってしまったからだ。普段は滅多にしない失敗に内心落ち込んだリイタは、クレインに「素人に無駄にされたんじゃ材料がかわいそうだ」と言われたのだ。
正しい。確かにそれはとても正しい意見だ。砂糖にしろ塩にしろ、小麦粉もミルクもふくらし粉もランドーも、何もしょっぱいケーキになるために作られたものではない。言い逃れのしようもなく、確認を怠った自分が悪いのだ。
分かってはいるのだが、あんな言い方はないと思う。しかも、クレインは自分の言葉を証明するかのように、リイタですら食べられなかったケーキを平らげてしまったのだ。
(イヤミにしたってほどがあるわよ! 今日こそ絶対に、クレインにあたしの料理は美味しいって言わせてみせるんだから)
半ばムキになっているのに、もともと鈍く出来ているらしいクレインにはその意図が通じない。今日もきちんと「ごちそうさま」と言って綺麗に食べてくれたが、未だ美味しいの一言はなかった。
思わずスプーンを口にくわえたまま、クレインを睨み付けたとき、やはり食べ終えたノルンが口を開いたのだった。
「お願い?」
自分の食器を重ねて流し場に持っていく準備をしながら、クレインは事も無げに頷いた。
「別にかまわないけど。俺に出来ることなら」
「ホントかニャ!」
嬉しそうにしっぽをぱたぱたさせて、ノルンは両手を胸の前で握りしめた。勢い込んだ様子にリイタは何だろうと首をかしげる。
「あのニャ、今日はノルンとデートして欲しいニャー!」
マレッタが飲んでいた水を喉に詰まらせたのか、けほけほと咳きこんだ音で、リイタは口にくわえたままだったスプーンが手から落下しかけているのに気づき、慌てて握りなおした。
それをテーブルの上に戻す。戻すがしかし、何故か手が震えて食器にあたったスプーンは、不協和音を奏でた。
デート? デートってノルンとクレインが?
その二つの言葉には、何故か果てない距離があった。到底上手く結びついてなどくれない。
デルサスは面白そうに、マレッタは何故かおろおろとしたように、クレインが返事を口にするまでの息詰まるような時間を待った。
「いいけど」
あっさりとした首肯が耳に届いた瞬間、リイタは派手な音を立てて椅子から立ち上がった。ごとん、と後ろで椅子が倒れた音もする。
「ごちそうさま! 後かたづけはクレインの番だからね!」
マレッタが名前を呼んでいるのに気づいたが、しらんふりをした。とにかく一刻も早くこの場から去らないといけない衝動に突き動かされ、リイタは早足で階段を駆け上がる。
「リイタ!?」
クレインの呼ぶ声もする。でも立ち止まらない。そのまま扉が壊れそうな勢いで家の外に飛び出した。
そのままさっさと屋根の上に飛び上がる。煙突の影に隠れると、扉が開いてクレインが出てきたのが見えた。
きょろきょろと辺りを見回している。リイタを探しているのだ。
ひんやりした朝の風が、伸ばした髪をさらう。少しだけ冷えた頭が、出て行こうかなと考えて、けれどまだ沸騰したままの感情が首を振る。
「クレインー? リイタ居たかニャー?」
足音と一緒に、ノルンの声。身をすくませて、そろっと煙突の影に隠れる。そうすると、もうクレインの姿も見えなくなった。
見つけて欲しいけど、見つけて欲しくない。でも。
「いや、もうどっか行っちゃったみたいだ。しょうがないな、片付けの後になるけどいいかな、ノルン」
「ノルンもお手伝いするニャ!」
ぱたん、と扉の閉まる音。リイタは膝を抱えて、そこに顔を埋めた。
当たり前だ。クレインが、後かたづけの当番とノルンとの約束を放ってまで、探してくれるはずもない。
ノルンは明日、帰るために旅立つのだ。だから、クレインは彼女のお願いを聞いてあげたのだろうし、そういう人なのはよくわかっている。
けれど、それでも、と必死で飲み込んでいる言葉が出た瞬間涙になりそうで、リイタはぎゅっと顎のあたりに力を込めてそれを堰きとめた。
クレインとノルンが連れ立って出て行くのを見送り、二人が酒場に入っていくのを見届けてから、リイタは家に戻った。
デルサスは軽くリイタの帽子ごしに頭を叩き、それと入れ替わりにどこかへ出かけて行った。子どもをなぐさめる様なその仕草に唇を尖らせながら、リイタはお気に入りの食堂の椅子に座る。
この時間だと、窓から陽射しが入ってきて気持ちいいのだ。そもそもリイタは食堂が好きだったし、よく考えたら朝ご飯の途中で飛び出したのだから、いまいち満腹にもなっていない。
椅子に腰掛けて、溜息をついたリイタの視界に、ひょいとパイが乗ったお皿が差し出された。顔をあげると、マレッタが少し困ったように笑っている。
「フルーツパイだ。デザートに出たのをとっておいたのだが」
リイタは小さく笑った。ぎこちないのも、力ないのもわかっていたが、笑いたい気分だった。
「……ありがとう」
呟いて受け取る。すぐそばのナイフ入れからフォークを取り出して、リイタはそれを切り分け始めた。
マレッタは、ミルク壷からカップにシャリオミルクを注ぎ、それをリイタの前に置いてから向かいに腰掛ける。無言のままだが、今はそれがありがたかった。
一口分を丁寧に切り取って、口に運ぶ。あまずっぱい風味が口の中に広がるのを感じながら、リイタは黙々とそれを咀嚼した。
こくんと飲み込む。ミルクを一口飲んで、そしてリイタは溜息をついた。
「――ごめんなさい」
「何がだ?」
高く結わえられた長い髪を揺らして、マレッタが首をかしげる。その顔を正面からは見られずに、リイタはフォークをいじりながら呟いた。
「せっかくの朝ご飯、嫌な雰囲気にしちゃった」
リイタはご飯が好きだった。いや、正確には、大勢で食べる食事が好きなのだ。あれはおいしい、これはいまいち、昨日のデルサスの寝言ときたら、違うクレインのいびきがうるさいんだ、ノルンは魚の夢を見たニャ、そのベイクドパイは俺のだと、わいわいやりながら食べるのが好きなのだ。
だから、大事にしていたのに。ノルンとご飯を食べるのも、明日になってしまえば当分ないのに、それなのに。
「……まあ、あれはリイタが悪い、とは私には言い切りにくいしな。気持ちはわかるし。ノルンも怒っちゃいなかった」
もちろん私もデルサスも怒ってなどいないぞ、と続けるマレッタの言葉に、リイタはどんよりと肩を落とした。
つまり、クレインは怒っていたのだ。
かたんとフォークを置く。フルーツパイは好きだ。好きだがしかし、こんな気分で食べられてもパイも嬉しくないだろう。
落ちた沈黙に、マレッタも困ったのだろう。とってつけたように、そういえば、と大きな声が上がった。
「兄さんが、武者修行に出ると言い出したんだ」
「……へ?」
思わずうなだれていた顔を上げる。マレッタの兄さん、つまりベグルは、アルカヴァーナ騎士団の団長だ。かつてはムルにそそのかされ暴走していた騎士団も、今は本来の「カボックとアバンベリーを守る」任務に精を出している。
その騎士団を率いているベグルが修行に出るということは。
「え、じゃあ騎士団は!?」
「私が引き継ぐことになった。何名かは兄さんについていくそうだが」
あっさりとした言い方に、リイタは何度か瞬きをして、そして「そっか」と呟いた。
そうだ。ノルンだけではない。
ムルを止めるという目的で、一緒に行動していた仲間達だ。それが叶った今、それぞれの道を歩いていくのは当たり前のことだ。
「マレッタが団長になるなら、アルカヴァーナはもっといいとこになるね」
「そう期待されてしまうとやりにくいな」
笑ったマレッタは、テーブルの上においてある果物籠からランドーをとりあげて口に放り込んだ。
「私が騎士団の任に就いたらガルガゼットの仕事も出来なくなるから、ここにはもう居られなくなるな。リイタはどうするんだ?」
心臓が跳ね上がった。
膝の上に揃えておいていた手に力が入る。それを握りしめながら、リイタは下唇を噛んだ。
わかっている。まさに問題はそこなのだ。
ムルを倒すまでは、そんなことを考えている場合じゃないと遠ざけた。いざそうなってみると、その答えが怖くて遠ざけた。
ノルンは帰るところがある。
マレッタは、これから為すべき事がある。
デルサスだって帰ろうと思えば故郷があるし、意外にもマレッタに本気のようだから、カボックに留まるのかもしれない。けれど彼ならなんでもこなしてしまうだろう。
「あたし……あたし、は」
言葉が続かない。
クレインが作ってくれた赤水晶は、普通の人間として過ごして行くだけなら十分の力を持っている。記憶がないのに人とは違う体に怯え、見えない未来を恐れ、孤独から離れようとただ賑やかなところで人の役に立つことをしていた、あの灰色にもがいていた日々とは違う。
違うのに。
「……ああ、わかった。すまない、聞き方が悪かったな」
ふわりと笑う気配に顔を上げると、マレッタは優しく微笑んだまま、先程と同じように「リイタは」と口を開いた。
「どうしたいんだ?」
「クレイン、疲れたニャ?」
問われて、クレインは我に返った。上着の裾を握って隣を歩いているノルンが見上げてくるのに、首を振る。
「いや、そんなことないよ。次はどこだ?」
「ビオラのとこだニャ! そこで最後にするニャー」
デートと言われたときにはちょっと驚いたけれど、リイタの過剰な反応にさらに驚いたけれど、でも始まったそれは普段町を歩いているのとたいして変わらないものだった。
顔なじみにさよならの挨拶をして回るのに付き合うだけなのに、なんでデートなんだろう。そう思いながらも、それじゃこっちだな、と角を曲がる。
初めて来たときは、こんな大きな町の道なんてどうやって覚えるんだと思ったものだったが、リイタに引っ張り回されているうちに自然と覚えたその慣れた道を辿る。
相変わらず魔法屋の前は人で一杯だったが、並んでいる人たちにすみませんと謝りながら入り口をくぐる。カランカランと鐘の音が響き、カウンターの向こうで顔をあげたビオラが、口を「あ」の形に小さく開けた。
「こんにちはだニャ!」
「やあ、相変わらず忙しそうだな」
元気いっぱいに挨拶をするノルンとクレインに「いらっしゃい」とわずかに微笑んでから、ビオラは首をかしげた。
「……リイタは? 風邪でもひいた?」
「今日はノルンとクレインがデートにゃ!」
どかーん、と爆発音が響いた。いや響いたような気がしたが、思わず見回した店内に何かが爆発した様子はない。熱心に品物を見ている人も驚いた様子はないから、どうやらクレインの空耳のようだった。
「ノルンは明日森に帰るニャ。だからお世話になった人たちに、お礼参りだニャ」
言って、ノルンは昨日一生懸命に焼いていたクッキーの最後の包みを、下げていた鞄から取り出した。淡い水色の紙にくるまれたそれを、背伸びしてカウンターの向こうにいるビオラに差し出す。
「ビオラのパン、いつも美味しかったニャ。ありがとうだニャー」
「ありがと。そう、ノルンは帰っちゃうの。クレインくん達も寂しくなるね」
「ああ、そうだな」
受け取ったクッキーの包みの匂いをかいで、うんいい匂い、と呟いたビオラは、ちょっと待ってと言い置いて後ろの棚に向かった。ずらりと並んでいる引き出しのひとつから何かの瓶を引っ張り出し、それをカウンターにことりと置く。
「これ、お餞別。いたいのとんでけをちょっと改良してみた」
「わーい! ありがとうだニャ、大事にするニャ」
水色の小瓶を割ったりしないよう細心の注意を払って持ち上げるノルンに、しかしビオラはあっさりと首を振った。
「ううん、使ってくれないと意味がない。ちなみに、腰痛によく効く。前に腰痛の薬はないかって言ってたから作ってみた。一日三回、食後に小さじ一杯」
「わかったニャ、大事に使うニャ」
こくこくと頷くノルンと、そうしてと頷くビオラを見比べるようにして眺めてから、クレインは小さく笑った。この場に彼女が居たら、また噛み合ってないしと余計な茶々を入れたあげく、ビオラとの些細な口げんかを楽しんだだろう。
そんな事を考えていると、名を呼ばれてクレインはそちらに顔をやった。大事そうに小瓶を鞄にしまい込んでるノルンに、これ食べて待っててとパンを渡したビオラの指が、ちょいちょいと手招く。
不思議に思いながらもカウンターに腕をつくようにして近づくと、ビオラが真剣な顔で重々しく口を開いた。
「デートって、どういうこと?」
「え、いやだからそれはノルンが言ってるだけで。お別れの挨拶に付き合ってるだけなんだけど」
「でもそれ、二人だけでやってるならデートと言えなくもない。リイタは知ってるの?」
「知ってるけど。朝ノルンがデートしてくれって言うの聞いて、怒ってご飯残して飛び出してったから」
質問に答えながら、なんでリイタが出てくるんだろうと思っていたら、ビオラの顔が険しくなった。
「クレインくん」
「はい」
何故かそう返事をしなきゃならない気がして、思わず背筋を伸ばして答える。ビオラはとんとんと彼女の鎖骨の下あたりを指で示した。
「前に、私が作ったペンダント。リイタに作ってあげたのとペアのやつ。持ってる?」
「え? ああうん、あれすごいな。マナ石の効果も抜群で」
「効果の話はしてない」
すっぱり遮られて、クレインは口をつぐんだ。ひょっとして服の中にしまってるのがいけないんだろうかと考え、どうしようかと悩む。
あのデザインはどう考えても女の子向きで、見えるようにつけるのはかなりの抵抗があったし、何よりリイタは始終つけて歩いているから、見ただけでペアだとわかるそれを見せびらかすようにして歩くのは、いくらなんでもさらに抵抗がある。
「私、作ってあげたときに言ったはず」
ビオラは、腕を組んで怒ったような声で続けた。
「リイタの夢を叶えてあげてって」
クレインはわずかに考え込み、そんな事をいわれたような気もするなぁと首をかしげた。話の流れがわからないし、ビオラが何を言いたいのかもわからないまま、何かを一方的に責められている気配に気圧されそうになりつつも、なんとか踏み止まる。
「いや、だからそれもらった時にも聞いたのに、答えてくれなかっただろ、ビオラ。俺にはその夢がなんだかわからないのに、叶えるも何も」
「ホントにわからないんだったら、しばらくうちの敷居はまたがせない」
ますます声の調子が険しくなる。もともとビオラは、つっけんどんなしゃべり方をするが、クレインやリイタには笑顔で冗談も言ったりするのに、今日は本気で怒っているらしい。眉間にくっきりと刻まれた皺が、彼女の感情を如実に伝えている。
「わからないはず、ない。リイタをちゃんと見てるなら。私にわかるのに、クレインくんがわからないなんて、絶対ない」
告げられた言葉に、クレインは返す言葉をもたなかった。
カウンターの上についていた手を、いつの間にかきつく握りしめているのに気づいて、そろそろとほどく。
いつの間にか止まっていた息を重く吐くと、ビオラはまた背を向けた。棚から小さな箱を取り出して、それをクレインの前に置く。
「これ、リイタに作ってあげてた薬の在庫。もう必要ないってリイタが言ってたから、引き取って。うちに置いてても意味がない」
「あ、ああ。うん、ありがとう」
まだ、リイタに赤水晶を創ってやれる前のことだ。体内のマナを消費して、それで命を繋いでいたリイタのマナを補充して回復させる薬を、ビオラが作ってくれた。
リイタは誰にも自分の体の事を話してなかったようなのに、いつの間にそんなことを話すほど仲良くなったのだろうと、そう考えたのを思い出しながら手に取った箱は、想像以上にずしりと重かった。
「……こんなにたくさん、リイタのために作ってくれてたのか」
「いつ、どれだけ要るようになるかわからなかったから」
呟いて、ビオラはクレインが抱えた箱の上に、パンの入った紙袋を載せた。
「これも。リイタがこないだ食べたがってた。渡して」
「――ああ」
つまりちゃんと話せ、仲直りをしろ、ということなのだろう。仲直りも何も、リイタが勝手に怒っただけなんだけどな、と思ったのが顔に出たのか、ビオラの眉が跳ね上がる。
「わ、わかった。ちゃんとリイタに渡す」
「よろしい」
頷いたビオラは、やっと少し表情を緩めてくれた。安堵の溜息を殺しながら、陳列されている品物を眺めていたノルンを呼ぼうとした時、クレインはビオラにもう一度名を呼ばれて向き直る。
そのまなざしには疑惑の色が濃くて、彼は思わず苦笑をこぼした。
「ホントに、ちゃんとリイタに渡すよ」
「そうして。リイタ、すごく嬉しそうだった」
あいかわらず前後が見えない言葉に、クレインは幾度か目を瞬かせた。
「元気になって帰ってきたとき。クレインが創ってくれたんだ、もうこれで大丈夫だって。これで」
一度言葉を切ったビオラの口元が、少しだけ微笑みの形をとる。
「ずっと、一緒にいられるって」
胸を突き飛ばされたかと思った。
それは言葉なのに、言葉に物理的な作用をもたらす力などないのに。何かを強く吹っ飛ばされたような気がして、クレインは目を伏せた。
「ビオラー、お話終わったニャ?」
会話がとぎれた様子に気づいたのか、陳列棚からノルンが戻って尋ねてくるのに、ビオラはこくりと頷いた。
「終わった。待たせてごめん」
「面白いものいっぱいだから大丈夫だニャー」
ノルンが笑顔で答えたとき、カウンターの端で客の応対をしていた店員がビオラを呼んだ。
「今行く。――それじゃ、ノルン。元気で」
「ビオラも元気でニャ!」
「また来るよ」
それぞれ挨拶をして、魔法屋を出る。出てみるとすっかり陽は傾き始めていて、ノルンはへたりと耳を垂れさせた。
「遅くなっちゃったニャー。今晩はノーマンさんがご馳走してくれるって言ってたから、急ぐニャ、クレイン」
「ああ、急ごう」
そうだ。昼もアルカヴァーナの騎士団員達にうっかりごちそうになってしまったから、朝から一度も家に帰ってない。
マレッタは騎士団の鍛錬場に居たし、デルサスも用があるから出かけると言っていた。ひょっとしたら、リイタは一日あの家に一人で居るのかもしれない。
賑やかなのが好きなのに、一人が嫌いなはずなのに。ひょっとしたらどこかに出かけているかもしれないけれど、でも。
酒場を戸口からのぞいてみると、デルサスとマレッタがノーマンを手伝って宴の準備を始めていた。リイタの姿はない。
ざっと確認したクレインは、ノルンに向かって微笑んでみせた。
「俺は荷物置いてくるから、ノルンはもう行ってこいよ。主役なんだし」
「はいですニャ! お魚の匂いがするのニャー」
なんの疑いも持たずに、あっさりと入っていくノルンを見送ってから、荷物を抱えてクレインは一人で家に向かった。落とさないように気をつけながら、段差を登る。
箱を抱えたまま扉を押すと、案の定、鍵はかかってなかった。つまり、中に誰かが残っているのだ。
音がしないようにそっと開けて、中を窺う。本棚やマナ石の鍛冶道具などが並んでいるフロアには、誰もいなかった。
机の上に箱を置いて、パンの袋だけを持って階下をうかがう。
居た。
いつものリイタの指定席。窓際の食堂の椅子に腰掛けて、元気な様子はどこかに忘れたように悄然と肩を落として。
――あの時。ゼルダリアの家の傍のミスティックサークルで、赤水晶を創る事を決めた夜、リイタの涙を初めて見たとき。リイタがずっと閉じこめていた言葉を、あの絞り出すような叫びを、忘れたことなどない。
死にたくない。死ぬのが怖い。大事な人が居るから、生きていたい。
だから、何があっても赤水晶を創ってみせようと決めたのだ。ムルの事も、世界のことも、マナのことも後回しで、ただリイタの願いを叶えるために。
そして、それが――自身の望みでもあったから。
リイタを失いたくない、死なせたくない。一緒に生きていたい。そう、思ったから。
「リイタ」
なるべくそっと呼びかけたが、リイタはびくりと目に見えるほど肩を震わせた。そろそろと振り向く肩の上を長い髪がすべり、道に迷った子どもの様な瞳が見上げてくる。
とん、と階段を下りながら、紙袋を少しだけ上げて示した。
「ビオラから預かってきた。リイタにって。こないだ食べたがってたパンだって」
「あ、ああ……うん。ありがと……」
頷いたリイタが、またうつむく。いつも頭に乗っている大きな帽子は、テーブルの上に置かれていたから、いつもなら見えない角度なのにその顔が見える。
「今朝のは」
口火を切ると、リイタの膝の上で拳が握られた。
「どっちかっていうと、リイタが悪いぞ。ノルンのアレは、お世話になった人たちの挨拶回りに行くのに付き合ってくれ、って事だったんだから。話を最後まで聞いてないのに、あんなに怒るから、ノルンが驚いてたぞ」
「――うん」
こくり、栗色の頭が縦に振られた。ごめんなさい、と小さな掠れた声を聞き漏らさないように、静かに階段を下りきって、紙袋を食卓の上に置いた。
「マレッタが騎士団長になる話は、聞いた?」
リイタが顔を上げる。その顔に驚きが浮かんでいないのに聞いたんだなと判断して、クレインは小さく肩をすくめた。
「デルサスも、アバンベリーを目指す理由がなくなったからガルガゼットは廃業だって言ってた。ノルンも森に帰るし、アーリンは――あの通り、好きにやるんだろうし」
椅子に腰掛けたままのリイタが見上げてくる目に、なんだか迷子の子ネコに訴えかけられてるような気がして、クレインは微笑した。
「それで、俺も本来の目的だった、錬金術の修行にあらためて出かけようかと思ってるけど。いつ出ようか?」
二度、ゆっくりとリイタはまばたきをした。息もしてない様子に心配になって、声をかけようかと思った直後、リイタの唇が小さく動いた。
「……え?」
「だから、リイタの都合がつかないなら、もうちょっとカボックに残ってもいいけど。ムルの件が片づいて、違う国への航路も再開されたって聞くし、なるべく早めに出たいと思ってるんだけど。それともリイタはガルガゼットを続けたいか? でももうアバンベリーを目指す必要も、ゲヘルンを狩ることもないだろうしさ。リイタさえ良ければ、俺はどこか、まだ知らない所へ行ってみたいんだけど」
リイタの沈黙が怖くて、それだけを一気に話した後、続きを思いつかなくてクレインもまた沈黙した。
そもそも、祖母との二人暮らしが長かったのだ。こんな時どうしたらいいかなど、教えてくれる人もいなかったし、デルサスのどこまでがホントでどこまでがウソなのかわからない『俺さまの経験談』とやらを参考にするわけにもいかない。
とりあえず、じっとリイタの答えを待つしかなかったクレインの目の前で、リイタが音も立てずに立ち上がった。
「――あ、あの……あのね、クレイン」
「な、何?」
やたら緊張したようなリイタの声につられて、声が裏返りそうになるのを必死に押さえて問い返す。
ビオラの創ってくれたあのペンダントの前で手を握りしめたリイタが、意を決したように大きく息を吸った。
「抱きついて、いい?」
唐突と言えば唐突な申し出に、クレインはしばし絶句して、その申し出の意味を飲み込んでからは頬の辺りが熱くなるのを感じた。
思わず辺りを横目で見渡す。誰もいないし、だいぶ陽も落ちて薄暗くなってきている。今なら、誰かがいきなり入ってきても、すぐには見えないだろう。
瞬時にそれだけを確認してから、クレインはそれでも答えに窮した。
「……今?」
「今」
こくりとうなずくリイタの顔は真剣で、でもちょっとつついたら泣きそうで、クレインは溜息をついた。つきながら、笑った。
「いいよ」
どん、と体当たりの様な衝撃を受け止める。鼻のあたりをかすめた髪から、やたらといい匂いがして、一気に鼓動が早くなるのを自覚しながら、リイタの背に回した両手を組んだ。
服越しに、リイタが下げているペンダントの固い感触を感じる。リイタのそれは、夢見るハートと名付けられている。対となるクレインがもつ方は、叶えるハート。
最初にビオラがその名前を告げたときは、相変わらずなんて直接的なネーミングだと思ったが、それだけ、このアイテムに込められてる想いはまっすぐなのだ。
「リイタの願いを叶えてあげて、って、ビオラに言われた」
胸の辺りにしがみつくようにしていたリイタが、顔を上げる。小さく頷いてから、そっと組んだ手を自分の方に引き寄せた。もちろん、リイタの体ごと。
顔を見てなんて、とても言えない。ましてやリイタに顔を見られて言うのも論外だ。それでも伝えたくて、引き寄せた。
「リイタの願いが何か、たぶんわかってる……と思う。俺にできるなら叶えたいから、リイタも俺の願いを叶えてくれよ」
うぬぼれじゃないかとも思う。けれど、リイタを見てきた。喧嘩したり怒らせたり、笑ったり泣いたりしながらも、ずっと一緒に居た。
そして、今腕の中にあるぬくもりが、何より確かな根拠だ。
「ずっと、一緒に行こう」
かすかに頷いたのが、リイタの頭の動きでわかった。良かった、とほっとした直後、リイタが小さくしゃくり上げたのにぎょっとする。
「リ、リイタ、何も泣くこと」
「泣くよふつー! クレインのバカぁ」
どん、と胸を拳で叩かれたが、力が入っていないのか全然痛くない。
「ふ、ふつーなのか? って、バカってなんだよ」
「バカだからバカなのっ。もう、ホントにバカなんだから」
「バカバカ言うなよ。だから泣きやめって」
「泣きたいから泣くもん」
もうこの際デルサスでも誰でもいいから、今すぐリイタの涙を止める方法を教えてくれと、真剣に天井を仰ぐ。が、そうそうタイミング良く救いの手が来るはずもなく、組んでいた手をほどいて、幼い頃泣いていた自分に祖母がしてくれたように、背中をあやすように軽く叩き、滑りの良い髪をそっと撫でた。
泣きやませようとしたのに、リイタは声を上げて本格的に泣き出してしまい、途方に暮れたクレインは、ともかくその仕草を続けながら、もう泣きたいだけ泣かせることに決めて、自分より小さな体を腕の中に閉じこめた。
リイタのこれは、哀しい涙ではないだろうから、だからいい。
そのうち誰かが呼びに来てくれるかリイタが泣き疲れるまで、好きなだけ泣かせてやろうと決めて、実際そうしたクレインは、後悔することになった。
「リイタ、クレインにいじめられたのかニャ!? ひどいニャ、ノルン見損なったニャ!」
「聞いてくれよおやっさん、クレインときたらこの年でもう女泣かせてやがるんだぜ」
「ほほう? それは聞き捨てならんなぁ。いいかクレイン、そもそも男と言うのは」
「ほらリイタ、ちゃんと目を冷やして。こんなにしては、明日も腫れてしまう。ああもう、こんなに泣かせるなんて、何したんだクレイン!」
賑やかに続いたノルンのお別れ会の間、格好のオモチャになってしまったクレインをよそに、リイタは赤くなった目で朗らかに笑っていた。
リイタが笑ってるならまあいいか、と思ってしまう事自体が問題の様な気もしたが、深く考える間もなく遊ばれ続けて夜は更けたのだった。
―了―