untimely
アルトネリコ2のクロアと瑠伽のお話。
瑠伽ルートED後の一幕。
※個人の妄想と解釈をもとにした恋愛要素があります
お好きな方はどうぞ!
あまり物が入っていないその箪笥の引き出しには、雑貨類がしまわれている。予備の歯ブラシだとか、騎士隊で表彰された時の記念品だとか、とにかく普段はあまり開けることのない場所だ。
そんなごちゃまぜの物の中に一つだけ、鮮やかな色合いの包み紙で飾られた小さな包みが混ざっている。
メタファリカが成り、大鐘堂に詰めている時間の方が長くなった為に、宮殿内に仮の部屋を割り当てられたクロアは、自宅の手荷物をまとめようとしていた手を止めた。
中身は知っている。まだこの部屋に妹の様な少女が居て、彼はただの下っ端騎士でしかなくて、ただ淡々と任務をこなすことだけを考えていたあの頃に買い求めたものだ。
思わず包みを手に取ろうとしかけて、彼は小さく首を振った。苦笑が漏れる。
「……今更、だな」
クロアはそのまま引き出しを閉めた。
平時よりはやや荒く扉を叩き、彼は「失礼します」と中に声を掛けた。そのまま返事も待たずにノブを回す。
大鐘堂騎士隊詰め所隊長室という肩書きを持つその部屋の主は、入室者に驚いたような顔を向けた。机の上に数枚の書類を広げて唸っていたらしいが、その机にもたれかかってやはり分厚いファイルを持っている一見妖艶な美女であるアマリエも同様に切羽詰まった表情を見せる。
「どうした、クロア」
「そんなに慌てて……なんかあったの?」
手にしていた書類を脇にやるレグリスとアマリエが口々に尋ねてくるのに、クロアは固い表情のまま口を開いた。
「それが、ルカがどうもその……延命剤の時期の様で。もうちょっと遅くても大丈夫なはずだと本人は言うんですが、具合が悪そうなので」
「それはいかん」
レグリスは慌てて立ち上がった。今やこの大鐘堂の焔の御子であるルカ・トゥルーリーワースの命をむざむざ危機にさらすわけにはいかない。棚から書類を引っ張り出すと、乱暴にペンを走らせはじめた。
「とりあえず、騎士隊のレーヴァテイル用延命剤の使用許可を出そう。彼女の分については未決定のままなのか」
「はい。付いている女官に尋ねてみたのですが、クローシェ様の分ならあるが使っていいものなのかわからないと。クローシェ様がおいででしたら許可をお願いしたのですが」
「あの方なら何も仰るまいとは思うが、一応規則だしな。タルガーナ殿と視察だったか、戻られ次第進言しよう」
事務的な会話が続くのを見守っていたアマリエが、緩く編んだ三つ編みを背中に放りながら肩をすくめる。
「で、延命剤はクロアが入れてあげるの?」
茶化すような口調に、レグリスが「こら」と口を挟んだ。が、クロアはごく真面目に頷く。
「何か問題が?」
「んー、別にないけどさー」
くるくると長い三つ編みの先っぽをいじっていたアマリエは、レグリスに書類に押す為の印章を渡してやってから唇を尖らせた。
「あの、牢屋の時とはえらい違いだわねー、って」
今度はクロアが顔をしかめた。アマリエが指した内容は、彼にとって重要ではあったが、出来ればあまり思い出したくない出来事だ。
その場にはいなかった為に事情がわからないレグリスが首を傾げているが、それに構わずアマリエはびしりとクロアに指をつきつける。
「そーよ、いつか言ってあげようと思いながらのびのびになってたんだけど、良い機会だわ。わかってんのクロア? あたし、あの時あんた『たち』がオママゴトって言ったのよ?」
ぐさりと何かがクロアの胸に刺さった音がした、気がした。少なくともクロアとレグリスには聞こえた。
だがしかし、アマリエの追求は止まない。
「あの日ってルカの誕生日だったってのに誕生祭絡みの任務にかまけてスルー、延命剤のことも忘れてる。そんだけルカのことをほったらかしにしといて、全部ウソだったのかとか、あんたよく言えたわよねー」
「いや、それはだから……反省している。俺がルカの優しさに甘えていたんだ」
苦い口調でそう言うクロアの様子に、だいたいの流れを察したレグリスがアマリエを制止しようとするが、彼女は止まらなかった。
「優しさ、ねぇ……」
半眼になったアマリエは、身を乗り出す。
「あんたね、あの時ルカは割とっていうかかなりやけになってたからヒドいことばっかり選んで言ってたけどね。あんたが呼ばれて出て行った後に、本当はクロアのことが好きなのって聞いたら、うんって言ったのよ、あの子」
口を「え」の形に動かしたクロアが硬直した。
「あたしたちの方にこないかって聞いても行かないって言うし、クロアのそばにいたいとかってかまかけたら黙っちゃ――って、なにすんのよレグリス!」
額を押さえていた手でアマリエの肩を掴んだレグリスに、アマリエが抗議の悲鳴をあげる。が、彼女の為に用意されていた椅子にアマリエを押し込んだレグリスは、手の力をゆるめなかった。
「お前な、ここをどこだと思ってる。今は任務時間内でここは隊長室だ」
「知ってるわよ」
「ついでに今は、彼女に延命剤を投与してやる方が優先だろう」
レグリスの正論に、アマリエは渋々口をつぐんだ。固まっていたクロアが呼吸を再開したらしく、レグリスが差し出した書類を受け取る。その手はわずかに震えていたが。
「――ありがとうございます、隊長」
「早く行ってさしあげろ」
「はい」
言葉少なに退室したクロアの姿が扉の向こうに消えたのを確認してから、レグリスはアマリエの頭を書類の束でぺしんとやった。
「いったー!」
頭を押さえるアマリエに、レグリスは一瞥をくれて書類に目を落とす。むくれた彼女がその手から紙束を引っこ抜いた。
「だいたいね、レグリスはクロアに甘いの! あの時のルカはホント辛そうで、あたしずーっと引っかかってたんだから」
「そうだとしても、当人達の問題だろう。周りが口出しすることか」
「周りが言わなきゃルカはずっと隠し続けるわよ。好きなのも利用してたのも本当で、でも好きって認めることもできなくて苦しかったーだなんて、クロアにひどいことしてた自分への言い訳だと思ってるんだから」
「いや……お前がそう言うなら、それはそうかもしれないが」
「だったらいいじゃないのよー!」
「それとこれとは話が」
唐突にそこで口を閉ざしたレグリスは、一つ咳払いをした。口の前で人差し指をたて、アマリエに向かって扉を指し示す。
それが何を示しているのか諒解したアマリエは、不服そうに口をつぐんだ。ややあって、押し殺した足音が遠ざかっていくのを確認したレグリスが、ため息を一つ吐いて肩をすくめる。
「……まあ、あまり虐めてやるな」
「あたしはルカの味方だもん」
何故か自信満々に胸を張るアマリエに苦笑したレグリスは、表情を切り替えて次の書類を取り上げた。
延命剤のクリスタルを左手に持ったクロアは、精密な細工が施された扉のノブにかけた手を止めた。
これを回して扉を開ければ、そこには延命剤を待っているルカが居るはずだ。レーヴァテイルである彼女は、定期的に延命剤を投与しなければ死んでしまう。
一刻を争うほどではなかったものの、無理に作った笑顔で大丈夫と言い張っていたあの様子からすれば、なるべく急いだ方がいいのだろう。いくら投与は苦痛を伴うといっても、命には換えられない。
思考はそう判断を下すが、手は動いてくれない。いや、動かしたくない。
原因はわかっている。アマリエに告げられた言葉と、その後に聞いてしまったやりとりだ。
一つ息を吸ってノブを握り直すと、クロアは手首を回した。重い足を運んで室内に入ると、ソファにぐったりと沈んでいるルカと、その傍についている女官の姿が目に入った。
「ルカ! 大丈夫か」
さっきまでの躊躇も忘れて慌てて駆け寄ると、目を開けたルカはかがみ込むクロアに向かってひらひらと手を振る。
「大丈夫だよー。みんな心配性なんだから」
気丈にも微笑んで見せたルカは、クロアの手にある延命剤を見ると、ほっとしたように息を吐いた。
「起き上がれるか?」
ルカがうなずいて身を起こす。その背にクッションをあてがうのを手伝ってくれた女官は、一礼すると退室していった。
インストールポイントを露出させるために、ルカが上着を脱いで左脇のインナーを少しずらす。それだけでほのかに息が上がっている様子に顔をしかめたクロアは、彼女に伸ばそうとした手を止めた。
そうだ。はじめてルカに延命剤を投与したあの時も、ルカは限界まで我慢していた。辛そうなのに、二人でした初めての大喧嘩の後だったのもあったのか、意地を張って平気そうなフリをしていた。
ちょうど、今と同じように。
「……クロア?」
不思議そうなルカの問いかけに、彼は我に返った。そうだ、今はそんな事を気にしている場合ではない。早くルカを楽にしてやらなければならない。
そう思うのに、アマリエの指摘が脳裏にちらつく。あの時、暗く沈んだ表情で、ルカに投げつけられた言葉が蘇る。
恋人同士のふり。好きでもなんでもなかった。レイカを探すのに都合がよかったから利用してただけ。
最初は頭に血が上った。5年前にルカと交わした約束を忘れた事などなかった。ずっとルカを大事に想っていた。それを全部否定されたと思った。
けれど、投与の為に抱き寄せた体は驚くほど細かった。小さな体にあれだけの想いと痛みを抱えて、ずっと独りで耐えていたルカを想うと、怒りはどこかに消えていった。
今にして思えば、本当は何も分かってなどいなかったのだ。レーヴァテイルの精神世界であるコスモスフィアの深層まで潜り、彼女の本当をあれだけ痛切に感じてもなお足らないのだ。
ルカは、孤児となった彼に家族をくれた。パスタリアへの渡航費も用意してくれて、ずっと励ましの手紙も送り続けてくれた。危ない任務に巻き込んでも快く受け入れてくれて、戦いでもずっと力になってくれた。たとえそれが純粋な好意だけでなく、その裏に打算や計算があったにしろ、彼女のくれた優しさや温もりは、ずっとクロアを支え続けていた。
そのルカに何を言った。利用していたんだから好きじゃなかったと主張するルカの言葉を鵜呑みにして、早く本当の恋人を探せなどと。あんなにも傷ついていたルカを、さらに孤独に突き放すような事を。
「ルカ」
名を呼ぶと、彼女は長い睫毛を瞬かせた。
「――触れてもいいか?」
大地の色の瞳が、きょとんとクロアを見つめている。ややあって頬を赤くしたルカは、もぐもぐと唇を動かした末に、目を伏せた。
「な、なんできくの? っていうか、その……延命剤入れてもらうなら、えっとこう、触らずにっていうのは無理だと思う……んだけど……」
「……そう、だな」
赤い頬を指先で撫でて、彼女の背を支えるようにして抱きかかえる。少し熱っぽい体をなるべくそっと腕の中に囲い込んで、薄い蒼のクリスタルをインストールポイントに押し当てた。
「――っつ!」
ルカの体が強張る。手元が狂わないように、腰に回した手に力を込めた。
あの時と同じように、ルカは息を殺している。クロアがそっとうかがった顔は苦しそうに歪んでいた。
荒く揺らぐ息を吐き出したルカが、くっと唇を噛むのを見て取り、クロアは右手にこめていた力を緩めた。と、ルカの表情が和らぐ。だがしかし、長引かせるとルカの負担になるのもまた事実だ。
早く終わってしまえばいい。ルカを助ける為なのに、ルカを苦しませることしか出来ない時間など、さっさと過ぎてしまえばいい。
そう考えて、クロアは唇を噛んだ。
(それは、あの時の俺じゃないか)
ルカの為だと思いこんで、ルカを傷つけた。ルカの為だと思いながら、ちっともルカの苦しみや痛みに向き合おうとしなかった。
ルカを守るふりをして、本当に守っていたのは情けなくて不甲斐ない自分自身だ。
手の中のクリスタルがなくなるまでの時間はこんなに長かっただろうか。詰めていた息を吐いたルカが、彼の鎧のパーツを掴んで身を寄せてくる。
預けられた重みは、ルカの信頼の証だ。命を繋ぐ行為故に、彼女らレーヴァテイルは本当に心から信頼のおける相手にしか投与を許さない。
あれだけ派手に初めての大喧嘩をした後だったというのに、どうしてルカは許してくれたのだろうか。アマリエに煽られて引っ込みがつかなかったからだろうか。それとも、さっき聞かされた事がルカにとっての真実なら。
最後のかけらがインストールポイントに吸い込まれるようにして消えた瞬間、クロアはルカの脇にあてていた手を握りしめた。そのまま、うっすらと汗ばんだ細い体をかき抱く。
投与が終わり、一息つこうとしたルカの喉がひゅっと鳴った。
全力で抱きしめ、ルカの首筋に顔を埋める。苦しそうに掠れた声が彼の名を呼ぶが、構わずになお一層腕に力を込めた。
「――ごめん」
絞り出した謝罪は震えていた。瞼の奥が熱い。何だろうと訝しんで、ああ泣きそうなのか、と思い当たった。一体どれくらいぶりの感覚だろう。
「俺が……馬鹿だったんだ、本当に。ごめんな、ルカ」
唇がわななく。喉が引き連れたような動きをするのにも構わず、それだけを告げてルカを抱きしめる。
「ど――どうした、の? ちょ、クロ……ア、ね、苦し――っ」
切れ切れの抗議に、少しだけ腕をゆるめる。けれど、顔は動かさなかった。今の表情など見せられないし、見られたくない。
ほっと息を吐いたルカの指が、背中にまわる。ぽんぽんと慰めるようにはずんだてのひらが、そのまま柔らかく添えられた。
「……なあにクロア、浮気でもしたの?」
まだ完全に力は戻っていないものの、茶化したような口調で言うルカに、小さく首を振る。
「投与のことなら、しょうがないんだってば。それに、クロアはその……優しくしてくれるし、上手だよ?」
それにも首を振る。
「ほんとに、どうしたの? ね、クロアってば」
とうとう困惑を隠さなくなったルカの声が、優しく耳に響いた。
噛みしめた奥歯が鳴った音は、ルカに聞こえていないといいと思いながら、女官が投与の結果を確かめようと扉を叩くまでクロアはその温もりを腕の中に閉じこめ続けた。
*****
久しぶりに戻った自宅はがらんとしていた。おまけに埃っぽいし、空気は湿って澱んでいる。たまには風を通さないとだめかと思いながら、クロアは箪笥に向かった。
引き出しの取っ手をつかんで、ゆっくりと引き開ける。
赤と金の包み紙。リボンは白だと主張したココナが、「クロにしては合格かな」と笑っていた。旅だった彼女は、元気に過ごしているだろうか。困ったり泣いたりしていないといいが。
手の平ほどの大きめの包みを取り上げると、クロアは引き出しを閉めた。
こんこんこん、と、決められたリズムで扉が叩かれる。時刻は深夜に近い為に、音は控えめだった。だが、ずっと待っていた音を聞き逃すはずもない。
報告書を記す手を止めたクロアは、腰掛けていた椅子から立ち上がった。眼鏡をどうしようか迷ったが、かけたまま扉に向かう。
板きれ一枚隔てた場所で待っている人は、どんな表情をしているだろうか。いきなり呼び出されたことに驚いてるだろうか。焦っているだろうか。それとも心配しているだろうか。
そんなことを思いながらノブを回して体ごと引くと、ルカが居た。両手を身体の後ろで組んだ彼女は、にこ、と微笑む。
「どうかしたの、クロア。会議から戻ってきたら、アマリエからクロアが呼んでるって聞いたんだけど」
「ああ、忙しいのに呼び出して悪いな。とりあえず、入って」
中に入るように促すと、頷いたルカが「おじゃましまーす」と足を進める。
背中で扉を閉めると、彼女が狭い部屋の真ん中でくるりと振り向いた。無骨な室内が、そこだけ花が咲いたように明るくなる。
いつもならすぐに寝台に座りに行くルカだが、今日はクロアの顔をまじまじと眺めてから、肩をすくめる様にして笑った。
「……よかった、いつものクロアだね。こないだからちょっと様子がおかしかったから、これでも心配してたんだよ?」
「ああ、まあ……そのことなんだが」
本題をどう切り出そうかと迷っていた彼にとっては、ルカの言葉は有り難かった。なんだか情けなさに拍車がかかったような気もするが、仕方ない。
作りつけの簡素な机の引き出しを開けたクロアは、ルカに向き直った。姿勢を正して、まっすぐにその瞳を見据える。
「謝らせてくれ、ルカ」
少女は瞬きをした。戸惑ったように、大地の色の瞳がランプの光を反射して揺れる。
「え」
「なんなら土下座してもいいんだが」
「し、しなくていい! いいから! っていうか、何も謝ってもらうことなんかないよ」
慌てて手を振って彼に近寄ろうとするルカを、クロアは手を上げて制した。
「あるんだ。……ルカと、初めて喧嘩した時」
「ケンカ?」
ルカがさらりと髪をこぼして小首を傾げる。ややあって何のことなのか思い当たったらしく、その表情にさっと痛みの影が走った。
「――あの時のことなら、だから私が」
「違う。ルカだけが悪かったんじゃない」
頭を振って、クロアは両脇に下げた手を握りしめる。
そうだ、ルカが悪かったわけではない。
ずっとルカを寂しがらせていた、不安がらせていた。独りで苦しんでいることに気づいていたのに、何もしてやれないのだと思いこんで、そっとしておくのが一番だと言い訳をして、独りにしていた。
けれど実際には、ルカの苦しみに触れることを恐れていただけだ。その結果、ルカを傷つけたり、自分が傷つく事を怖がっていただけだ。
そのことに気づかされたのは、彼女のコスモスフィアの中でのことだった。
だから、今度こそはちゃんとルカを護ろう。そう思っていたのに、肝心な所をすっ飛ばしたままここまできてしまっていたのだ。
「俺が、ルカに甘えて、ルカの本当の気持ちを分かろうともせずに頼ってばかりいたから、ルカをあんなに追い詰めたんだ。なのに……今までちゃんと謝ってもいなかった」
クロアは頭を下げた。本当なら、ちゃんとルカの顔を見て言うべきだ。そうわかっているが、出来なかった。
板張りの床を睨むように視線を据えて、口を開く。
「ごめん。酷いことを言った。今更だけど、本当にごめん」
どうしても伝えなければならないことだけを告げて、ルカの反応を待った。戸惑ったような沈黙の後、ルカの足が下げたままの視界に入ってくる。
そっとルカの指がクロアの肩に触れた。
「……いいのに、そんなの」
苦笑にも似た吐息の後に呟かれたのは、そんな言葉だった。そうしてから、ルカが膝を折って、頭を下げたままのクロアを見上げるようにしてのぞき込む。
その表情から、ルカが怒ってはいないらしいことにほっとする。ほっとした自分が無性に情けなくて、クロアは唇を引き結んだ。
「クロアに酷いこと言ったのは、私だよ? 言ったでしょう、つきあい始めたのはレイカを」
「好きだったのも本当だって聞いた」
早口でまくしたてて彼女の言葉を遮る。目を見張ったルカは、しばらく絶句した後になんとも言えないような表情になって、床にぺたんと座り込んだ。
「……アマリエね」
うーっと唇を尖らせて恨めしそうに言うルカの視線に合わせ、クロアもひざまずく。拗ねたように頬を染める少女をひたと見つめて、言葉を続けた。
「なのに、俺は全然気づこうとしなかった。ルカの言葉を疑いもしなかった。思いやってあげられなかった」
「だ、だからそれはっ」
「好きなんかじゃなかった、ってルカの言葉を信じた方が楽だったからなんだ。あんなによくしてもらってたのに、ルカが本当に優しいこともちゃんと知ってたのに。ごめん。こんな情けない俺でごめんな」
しばらくわたわたと口を開けたり閉じたりしていたルカは、ややあって肩を落とした。深いため息をひとつ吐いて、細い指がクロアの頬に伸ばされる。
苦いような、切ないような微笑みを浮かべた少女が愛おしむように固い頬を撫で、彼の眼鏡を外させた。途端に曖昧になった世界の中で、華やかな色彩の上着が翻る。
手にした眼鏡を手近な棚の上に置いて戻ってきたルカが、膝立ちになってその胸にクロアの頭を抱き寄せる。
「……もういいよ、クロア。もういいの」
ぎゅ、とクロアの頭を抱いた腕に力がこもる。
「私はね、クロアの事を利用してた。でもどこかでずっとクロアを頼ってたし、助けてもらってたし。だから、なんとも思ってない、は、たぶん嘘……で。でも、あの頃の私がクロアに……恋をしてたか、って言われると、ちょっと違うかなって思うの。それなのにヤキモチは妬いたし、クロアが私のことどうでもよくなるのは、……すごく怖かった」
だから、私にもよくわかってないんだ、とルカは囁く。
「でも、色々あったけど、全部無駄なんかじゃなかったよね? 今こうして、私はクロアが大好きで、クロアと一緒にいられるのが幸せで。それでいいの」
ルカ、と世界で一番大切な名前を口の中で呟く。固く握りしめたままだった手を、ゆっくりとほどいた。
「だから、もういいんだよ」
繰り返す少女の腰に、まだ幾らか強張ったままのてのひらを触れさせる。そのまま一度力を込めて軽く抱きしめると、クロアはそっと柔らかな身体を引きはがした。
「クロア?」
怪訝な顔をするルカに「ちょっと」と言い置いて、引き出しに向かう。取り出した包みを右手にもち、立ち上がって待っていたルカの手を左手で取った。
「これを」
載せられた包みと、クロアの顔をルカが見比べる。忙しなく瞬かれる瞳に、クロアは口を開いた。
「誕生日プレゼントだったんだ。ずいぶん遅くなったけど」
ルカの目と口がまんまるに開かれる。
「え、え……ええっ?」
困惑の叫びをあげる彼女の様子にやはり唐突過ぎたかとクロアは思ったが、どうしてもこれを渡さずにはいられなかった。
はじめましてからお願い出来るかな、と、あの後ルカは言った。けれどやっぱり、ルカと過ごした日々をなかったことにはできなかった。だから、どれだけ苦い想いで懐かしい景色や優しい思い出を振り返ることになろうと、自分の不甲斐なさにめり込みたくなろうと、忘れたくないし、忘れない。
こぼれてしまった水はもう器には戻らない。でも、もう一度汲み直すことはできる。
今更だと片づけずに、諦めてしまわずに、もう一度やり直すことはできるはずだ。
この贈り物も、そのひとつにしたいのだ。
「まだ全然……ルカの事、わかってなかった頃に用意したものだから、ルカは嬉しくないかもしれないし、今更なのもわかってる。でも……もらってくれないか?」
もう片方の手もとってその包みの上に重ねさせると、それまで瞬きも忘れていたルカの顔がくしゃりと歪んだ。
「嬉しい」
呟いたルカの瞳が、ほんのわずか潤んで揺れる。
「嬉しい……。ホントだよ? 私ね、誕生祭の時、私の誕生日なんて誰も覚えてない、クローシェ様のお誕生日はみんなが祝ってるのに……って、ちょっと拗ねてたりしたんだ」
「……ごめんな」
本当はクロアも覚えていた。その為に誕生祭前にルカをパスタリアに呼んだのだから。それでも任務を優先した。ルカなら許してくれると根拠もなくそう思っていた。
謝罪を繰り返すクロアに、ルカは勢いよく首を振る。
「やだ違うの、謝って欲しいんじゃないの。ね、開けても良い?」
「ああ、どうぞ」
頷くと、ルカはいそいそと寝台に腰掛けて包みを開け始めた。ほどいたリボンも大事そうに持っておこうとするのを、傍らに座ったクロアが苦笑しながら受け取る。
破れてしまった包装紙に悔しそうな顔をしていたルカは、白い紙箱の中から出てきた鈍く光る金属の小さな機械を見つけると歓声を上げた。
「オルゴールだ!」
「ルカはこういうの好きかと思って。色々考えたんだけど……」
「うん、かわいい! わぁ、クロアにしてはセンスがいいねっ」
「……ココナと同じ様な事を……」
ぼやくクロアに、くすくすとルカが笑いながら螺子を回す。
優しげなメロディが奏でられはじめると、ルカはそれをそっとてのひらにくるんだ。大事そうに胸の前に引き寄せて、微笑む。
「ありがとう、クロア」
大好き、と続けられた言葉に、クロアもつられて微笑んだ。と、ルカの目から涙が一筋こぼれ落ちる。
白い頬に透明な雫が音もなく滑り落ちる様を呆然と見守ったクロアは、次の瞬間息を呑んだ。
「ルカ? どうした、また俺何か」
慌ててその頬に手を伸ばす。涙を拭ったクロアの手にてのひらを重ねて、ルカが目を閉じた。
「……やっと笑ってくれた」
重ねたままのクロアの手のひらに、顔を動かしたルカの唇がそっと触れてくる。驚いたクロアを、彼女は涙をいっぱいにためた瞳でまっすぐに見上げてきた。
「ね、クロア。もう言いっこなしね? あの事があったから……だから、私とクロアはこうやって本当の気持ちを伝えられるようになったんだし、私はいいきっかけになったんだ、って思ってる。そりゃ、私にだって後悔はずっと残ってるけど、でも……思い出してクロアが傷つくのは、いやなの」
「ルカ」
「だから、もう言いっこなし。あの時の事でのごめんなさいは、お互いこれで最後。ね?」
涙で重たそうな睫毛を瞬かせてそう念を押すルカを、クロアはそっと抱きしめた。柔らかく閉じこめた少女の耳に、今度は違う言葉を囁く。
音にしてたった五文字の言葉に、ルカは一瞬目を見張ってから幸せそうに瞼を下ろした。広い背中を抱き返して、涙で濡れた頬をクロアの胸に埋めた彼女は、口を開く。
「……そっちは、もっかい」
「何度でもいいよ」
「何度もは、ちょっと……恥ずかしいから、今はもっかいだけ」
わかった、と頷いたクロアは、艶やかな髪に唇を寄せた。ふわりと鼻腔をくすぐる彼女の匂いと一緒に空気を吸って、大切に大切に囁く。
「愛してる、ルカ」
―了―