笑顔の錬金術
リリーのアトリエのヴェルナー×リリーのお話です。エンディング前、喧嘩イベントの後の話。
自覚と無自覚の狭間の、両片思い的なふたりです。
ぼうっと暗闇を丸く照らすランプの光の中で、イングリドとヘルミーナが、ひとつの布団にくるまって健やかな寝息をたてているのを確認して、リリーはひっそり笑みを浮かべた。
ついさっきまで本を読む順番を巡って、もう少しで部屋が吹き飛びそうな喧嘩をしていたとは思えない、平和で安らかな光景だ。
まだ幼い丸い頬にかかった髪を指でそっとはらい、上がけを口元まで引き上げて軽く叩いてやってから、それぞれの額に小さくキスを贈る。
「おやすみなさい、いい夢をね」
ランプを取り上げて、リリーは部屋着の上に羽織ったショールを左手でかき寄せ階段を下りる。夏はあんなにも暑いザールブルグなのに、冬も厳しい。
階段を下りながらふと明かり取り窓に目をやると、枯れ葉が風でかさこそと揺れていた。
今日はドルニエ先生は貴族の晩餐会に招かれて遅くなるはずだから、先に休んでいてもいいと言って出かけていったが、そうも行かない。このザールブルグで一から人脈と信用とを築き上げるべく日夜奔走しているドルニエ先生を、熱いお茶でねぎらうべく、リリーはやかんに水を汲んで暖炉にかけた。
机に広げっぱなしのノートを、立ったままめくる。作業しながら書き付けることが多いため、インクがにじんだりかすれていたりするそれに目を走らせて、リリーは考え込んだ。
部分部分としては間違いないはずの調合が、全体として行うと失敗する。足りない物は何か、余計な物は何か。
今までの結果と、参考書とを見比べながら、きちんと座り直して新しいページにペンを走らせる。思い浮かんだアイディアをいくつか羅列し、それを頭の中でシミュレートしながら実験の優先順位を決めていく。
そんなことを続けていると、木枯らしに混じって扉をノックする音が聞こえた。
ドルニエ先生が自分の家の扉をノックするはずがないのだが、鍵でも忘れたのかと思ってリリーは椅子から立ち上がり、扉ののぞき窓を覗き込んだ。
雪でも降ってきそうな冷たい風の中、工房からのほのかな明かりの下で、ノックの主は朗らかに笑いながら手を上げる。
「よう! リリー、やっぱ起きてたな」
「……ヴェルナー? どうしたの、こんな時間に?」
言いながら、鍵を外してリリーは扉を開けた。とたんに冷たい風がごうっと体を打つ。慌てて肩のショールを前でかきあわせて身をすくませたが、ヴェルナーは寒さを気にした様子もなく、いつもの格好で工房の中をのぞき込んだ。
「帰り道に前通ったら、明かりがついてるから起きてるかと思ってな。相変わらず熱心だなあ」
インク壷のふたもノートも開きっぱなしの机を見やって、感心したように言うヴェルナーの言葉に、しかしリリーは顔をしかめて右手で彼女の鼻をつまみ、左手でぱたぱた胸の前をあおいだ。
「おっ酒ぐっだーい! 呑んれらの今まれ?」
「おう、呑んだ呑んだ。リリーも呑むか?」
右手に下げていた酒瓶を目の高さに掲げて言うヴェルナーに、リリーは肩を落とした。
鼻から手を離して、大きな息を吐きながら扉を大きく開ける。
「もう、いいから入ったら? 酔いざましにお茶でも煎れて上げる」
「ばーか、酒ってのは酔うために呑むものなんだよ」
そう言いながらもヴェルナーは工房の中に入ると、暖炉のそばのラグカーペットに座り込んだ。
さっそく酒瓶の蓋を開けようとするヴェルナーの手からそれを取り上げて、リリーはかわりになみなみと水を注いだグラスを押し込む。
「はい、お茶は今からいれるからとりあえずこれね。なんでそんなにまで呑むのよ、もう」
暖炉からしゅんしゅんと湯気を立てるやかんを取り上げて台所に向かいながら肩越しに問う。と、ヴェルナーの押し殺した笑い声が返ってきた。
「何言ってんだよ、聞いたぞ親父さんに。お前あそこで酔っぱらったことあるんだって? たった一杯で」
ぐ、とリリーは言葉に詰まって、ミスティカティーを入れた缶の蓋を空ける手に力を込める。
「ふーんだ。あたしは酔っぱらおうと思って呑んだ訳じゃな……」
はっとリリーは言葉を切って、さじで茶葉をすくっていた手を止めヴェルナーに視線を向けた。
こちらに半分背を向けて、ヴェルナーは暖炉の火をぼんやり眺めるようにして、グラスを口に運んでいる。
どうして酔っぱらうことが必要なの?
そう尋ねようとして、けれどその半分見える広い背中はその問いを拒絶しているようで、リリーは言葉を飲み込んでポットに茶葉をひとさじ入れた。
お湯を注ぐと、ふわりとミスティカティーの匂いが広がる。
「なんだ、錬金術で作るんじゃねえのか?」
声に顔を上げると、ヴェルナーがどこかがっかりしたような、すこしからかうような顔でこちらを見ていた。その手の中のグラスはもうとっくに空っぽである。
「そんな、なんでもかんでも錬金術で作るわけじゃないわよ。ご飯だってお茶だって普通に作ります」
軽くいーだをするようにして言うと、ヴェルナーは意外そうにその薄いブラウンの瞳を見張った。
「なんだ、リリーお前料理とか出来たのか?」
「……ケンカ売ってるの?」
ミスティカティーを注いだお客様用のカップを右手に、左手に自分のカップを持って暖炉のそばまで歩く。
「ほら」
「お、ありがとな」
お礼を言いながらもこっちを見ないヴェルナーの分のカップを床に置くと、リリーもクッションを椅子から取り上げて暖炉の前に座り込んだ。
一口熱い紅茶をすすって、カップの縁に口を付けたままちらりとヴェルナーを見やる。
案外整ったその顔立ちは、いつもはどこか皮肉げに、退屈そうにつり上がっている眉と口元のせいで、どこか近寄りがたいものを感じるのだが、こんなふうにぼんやりと暖炉の柔らかい光に照らされていると、どこか不安そうで寂しそうで、リリーは言葉を無くしてそっとヴェルナーから目をそらした。
イングリドやヘルミーナが時々ひとりのときに見せる表情に似てる。
自分は天涯孤独だと、あのお店もお父さんの残した物だと、そうヴェルナーが言っていたのを思い出す。
まるで一つの家族のように暮らしているイングリドとヘルミーナも、時々そんな表情を見せる。ふとした瞬間に、自分はこの世界の中でたった一人なのではないかと、そんな錯覚に陥るのだと、つっかえつっかえイングリドがそう言ったことがある。
何を言っていいのか分からず、熱いお茶を吹いてさましながらもう一口飲む。と、ヴェルナーが暖炉の脇の棚に置いてある天球儀を指さした。
「おい、あれもう一個あったのか?」
「あ、うん。イングリド達が気に入って、二人で作ったの」
沈黙が破られたことにほっとしながら、リリーはそう答えて、そして首を傾げた。
「そういえば、ヴェルナーが買ってくれたあたしの作った天球儀は? もう埃かぶってたりとかする?」
「……お前が俺をどう見ているのかよーくわかったよ」
不穏な口調とは裏腹に、ヴェルナーの口元は笑っていたので、リリーも少し笑った。
「ちゃんと飾ってあるよ。なんせ破格の値段で買い取ったお気に入りだからな」
カップを手の中で回しながら、ヴェルナーはしっかしと呻く。
「何がどうやったらあんなもんがこう……物混ぜ合わせるだけで出来るんだ」
リリーは苦笑してその場を立ち上がり、イングリド達が作った天球儀をゆっくり回した。
「混ぜ合わせてるだけじゃないけど……それは秘密。でも、本当に根気がいるのよ?」
「それは聞いた。三日坊主の俺には出来ねえなって言っただろ」
そう言って、残りのミスティカティーを一気にあおって飲みほし、ヴェルナーは持参の酒瓶のフタに手を掛ける。
その仕草に気付いたリリーは、とっさにヴェルナーの手からその酒瓶を取り上げた。
「もう今日はダメ!」
「なんだよ、それ俺の酒だぞ?」
「また明日にでも返してあげるけど、今日はダメ。明日もお店でしょ?」
「開けたきゃ開けるし開けたくなけりゃ開けねえよ」
「……もう」
肩をすくめてから、リリーは溜息をついた。
「ねえヴェルナー、どうしてそういう言い方をするの? あたしは、ヴェルナーのお店に行ったときに閉まってたらがっかりするのよ? あたしだけじゃないわ、きっと他の人だって」
言い募ろうとするリリーに、ヴェルナーは右手を挙げて遮った。
「やめとけ。言いたいことはわかるが、また喧嘩したいか?」
平静な調子の声に、リリーはぐっと言葉を呑み込んだ。お店をやめるのやめないので、絶交寸前までの喧嘩をしたのはつい最近だ。
仲直りは出来たものの、もうこれまでだとまで思い詰めたあの時のやり場のない感情を忘れることなどできない。
黙り込んで、紅茶を飲む。カップが小さくて顔が全部隠れない事が、どことなく恨めしくさえ感じる。
ほどいてある髪に隠れるようにうつむいたリリーの髪を一房、そっとヴェルナーの指が耳の後ろにかきやった。
びくりと顔を上げるリリーに、ヴェルナーが瞳の光をやわらげて静かに呟く。
「……わかってるよ。投げやりに生きてるわけじゃねえ。捜し物の途中だ」
薄いブラウンの瞳をじっと見つめる。酔っているはずのその瞳は、何故だか不思議に力強くて、リリーはひとつうなずいた。
「心配になるんだからね?」
呟くと、わかってるよと、まるで小さい子どもにするようにヴェルナーの大きな手のひらがリリーの頭をぐりぐりと撫でる。
ふわっとその手が離れて、ヴェルナーは組んだ足の上に頬杖をついて横目でちらりとリリーを見て深々と溜め息をついた。
「何?」
「いや、お前には悩みなんてなさそうだと思ってさ。錬金術やってくことに、だが」
なんだ、とリリーは笑った。
「あたしだって悩むよ」
とたんにヴェルナーがなんとも言えない顔で顔をしかめたので、リリーは頬を膨らませた。
「何よ、その顔。そんなに意外だって言いたいの?」
「いや意外っつーか……いや意外か」
「もう!」
ぷいっとそっぽを向いてから、リリーはカップの中で揺れる琥珀色の液体に目を落とした。傾けたので少し波だって、ゆらゆらと覗き込むリリーの顔を映す。
「錬金術を始めたのだって、ちょっとはやってて、おもしろそうだったからだもの。ヴェルナーと同じだね」
顔を上げてヴェルナーに笑いかける。が、ヴェルナーは空のカップを右手にくるみ込んで、暖炉で揺れる火を見つめていた。
「あたしの住んでたところにはアカデミーはなかったから、本を取り寄せたりして少しずつ。そしたら面白かったの。もっと知りたいって思ったの」
手探りで、少しずつ少しずつ世界を広げていく面白さ。未知のものへの好奇心。
「あたしの何かが認められて、アカデミーに招かれて、そしてこんな遠くまで来た。ヴェルナーはあたしを羨ましいって言うけど、……今でも時々考えるの。あたし、このままで本当にいいのかな、やりたい事って何だったかな、これからどうしたいのかな……って」
ヴェルナーが視線を動かした。立てた右膝にもたれるようにして、リリーを見やる。
「それで?」
「うん。思ったんだ。アカデミーの建設は、ケントニスのアカデミーの目標で、あたしたちの目標。あたしの目標は……やだな、ヴェルナー笑いそう」
リリーがそう言葉を切ると、ヴェルナーは喉の奥で笑いを漏らして、そして暖炉の脇に立てかけてあった火かき棒を取り上げておきをならした。
「笑わねえよ、言ってみな」
しかし絶対笑われるだろうとリリーは確信していた。ショールの飾り紐を引っ張って、くるくると丸めたりほどいたりするが、ヴェルナーは無言でうながしてくる。
観念して、リリーは心なし姿勢を正して、暖炉の火に向かって呟いた。
「……世界で一番、誰かを幸せにすることのできる錬金術士」
一瞬の間をおいて、ヴェルナーの笑い声が薪がはぜる音とヤカンの湯気の音だけが満たす静かな室内に響いた。
「ホラ笑ったー!」
憤然とリリーがヴェルナーにくってかかるのを、ヴェルナーが両手をあげて押し止めるような仕草をしながら、なおも小さく吹き出した。
「まだ笑うの?」
「すまんすまん、……らしいなと思ってよ」
言ったヴェルナーの笑顔の優しさに、少しどきりとする。
「もう!」
誤魔化されてるような気持ちで座り直し、リリーはヴェルナーを見ないようにして続きを口にした。
「錬金術って、ないものを作り出すものでしょう? 全く違うモノを作り出すもの。それで、誰かに笑顔をプレゼントできるの。あたしは、それがしたいんだと思う」
「いいんじゃねえの?」
あっちこっち突っついておきをならし終えたヴェルナーが、火かき棒をもとの場所に戻しながらリリーを見やった。
「らしいよ」
「……誉められてるの、あたし?」
「力一杯手放しだ」
とてもそうは思えないけれどとぶつぶつ呟くリリーに、ヴェルナーはしっかしお前なあ、と呆れたように声をかけた。
「……何?」
首をかしげて問うと、しみじみ頭を振りながらヴェルナーは嘆息した。
「まあいきなり来た俺も俺だが、お前な、夜中にそんなかっこで一人しかいない家に男入れるなよ」
「そんなかっこって……」
リリーはあらためて自分の姿を見下ろした。ほどいた髪は確かに見苦しいかも知れないが、部屋着だってまあ寝間着ほどのものでもない。
「べつに普通じゃない? だいたい一人じゃないわよ、あの子たちもいるもの」
「上で寝てるんだろーが」
「うん」
あっさり頷いたリリーに、ヴェルナーはがっくりと首を折ってから、のろのろと立ち上がった。
「……帰るわ。お茶ごちそうさん」
「あ、うん。気をつけてね」
「気をつけるったってすぐそこだろが」
苦笑まじりに吹き出したヴェルナーが、リリーの手から酒瓶を受け取る。
「お前もあんまり無理すんなよ。こっちが心配になる」
「あたしが? なんで心配なの?」
「ムチャしすぎてそのうちぱったりいくんじゃねえかってこと」
リリーの額をつついて、ヴェルナーはまたなと扉の向こうに消えた。
笑顔の残像を残して。
「……もう」
額を両手で押さえていたリリーは、なんだかくすぐったい気持ちで暖炉の前に置いてあるカップを取り上げて台所に向かった。
全く別のものを生み出すための錬金術。
何気ない一言が、笑顔を呼ぶのに似ている。
「よし!」
カップを洗い終えたリリーは、一人で気合いを入れ直して、もう一度机に向かった
―了―