はじまりの日はいつだって

ZTP,小説ニクジュディ

ずとぴ公開6周年おめでとうございます!
この作品と、ジュディとニックをはじめとするキャラクター達に出会えたことに、心からの感謝を込めて。

ズートピアの夜の遠吠え事件解決直後の、ニックとジュディのお話。
※文中に恋愛要素はほぼ存在していませんが、ニクジュディ好きな個人の解釈と妄想に基づいています。
n番煎じの本編の隙間妄想ですが、お好きな方はどうぞ!


 

「――では、博物館でのやりとりについては以上、と。ご協力に感謝します、ワイルドさん。またお願いするかもしれませんが、本日は帰宅していただいて結構ですよ」
 おつかれさまでした、とラップトップの蓋を閉じたゾウの警察官が告げる。
「どうも。そちらもおつかれさん」
 やれやれ、とばかりにニックはキツネには大きすぎるイスから飛び降りた。壁にかかった時計を確認すると、たっぷり二時間は経過している。
 仕事柄、話し続けることは苦ではないと思っていたが、内容に正確さが求められる上に最初から最後まで記録され、偽りはないとサインまでする事情聴取ではだいぶ勝手が違った。良ければどうぞ、と出された薄いコーヒーはおかわりまで提供されたが、喉が潤った気はまるでしない。
 ドアを開けてくれたトラの警察官にひらりと手をあげて廊下に出たニックは、あたりを見渡した。どっちからこの部屋に入ったのか、忘れてしまったのだ。
 ライオンハート達を逮捕した後にこのZPD第一分署に来た時は、常にジュディが隣にいた。エントランスはもちろん、自動販売機からトイレに至るまでくまなく案内してくれた。けれど、彼女は足の怪我を治療するために救急車で病院へ運ばれたので、ここには居ない。
 適当に歩いていれば案内が掲示されているだろうし、通りがかった署員に出会ったら出口を尋ねたらいいか、と、勘で右側へと歩き出す。
 しかし、俺が警察の協力者として証言する日がもう一度くるなんて、いったい誰が信じるだろうな。フィニックが聞いたら、腹を抱えて爆笑しそうだ。
 そんな感慨を胸中に沈めたニックは、ひくりと鼻を動かした。
 きつい消毒薬の匂いに紛れている、二時間ほど前まではすぐ傍らにあったこの匂い。
「ニック!」
 果たして、廊下の角から顔をのぞかせたのはジュディだった。足を引きずりながらも駆け寄ろうとしてくるウサギに向かって、ニックは両の手のひらを突き出す。
 ストップ、とのジェスチャーは通じたらしく、ジュディは立ち止まった。だが、真っ白い包帯に包まれた足でもう一度歩き出そうとするので、彼は慌てて足を踏み出す。
 もう一度、同じ手ぶりで彼女をその場に留めながら、ジュディの元へ急いだ。
「あわてんぼなウサギだなぁ。足を怪我してるんだから、そこでじっと待ってればいいだろ」
「待つのは下手なの、私」
「好き嫌いのカテゴリですらないのかよ」
 呆れてみせたニックは、ジュディの前で立ち止まった。彼の胸元あたりまでの背丈しかないウサギは、きらきらした瞳でニックを見上げてくる。
 彼女が口を開くより前に、ニックは一番気になっていることを尋ねることにした。
「足の怪我は? 大丈夫か」
「平気! ニックが巻いてくれたバンダナは洗ってから返すね、おかげでかすり傷よ!」
 なんでそこでファイティングポーズを取るんだよ。言葉にして突っ込む代わりに、ニックは小さく肩をすくめる。
「おっと、嘘つきは泥棒の始まりじゃなかったっけ。で、何針縫ったんだ?」
「……ほんのすこし」
 わかりやすく目線をそらして唇をとがらせるグレーのウサギに、ニックは思わず笑ってしまった。本当にこのウサギときたら、ほっとけないにも程がある。
 ともあれ、怪我の手当が済んでいるのであれば、ジュディは早く休んだ方が良いだろう。なんせバニーバロウからここまで休憩もせずに運転してきたらしいし、そこから先はどこのスパイ映画だと言わんばかりの大冒険だったのだから。
「あー、俺はもう帰って良いって言われたんだけど、君は?」
 足を怪我していたのでは、あのトラックを運転するのは難しいだろう。バニーバロウに戻るにしろ、近くに宿をとって休むにしろ、いつまでもトラックを道ばたに置きっぱなしにしておくわけにもいかない。
 運転免許は財布に入っていたかな、と考えたニックの前で、長い耳がへたりとしおれた。
「実は、署長に呼ばれてて……」
「わお、そいつは大変だ」
 心の底からの同情と励ましを込めて、ニックはジュディの肩をぽんと叩いた。
 ジュディは警察を辞めたあと、バニーバロウへ帰ったと言っていた。つまり、身分上はニックと同じ一般市民だ。捜査権など持っていないのに、あれこれ首を突っ込んだ形になる。
 今回、ニックがおとなしく事情聴取に付き合ったのも、半ばは交換条件のようなものだった。
 もちろん、証拠品として提出したニンジンペンに録音されている、容疑者の言質をとった功績は最大限に考慮されるだろう。それにしても、夜の遠吠えを悪用していた犯人達を追跡する過程で、いろいろ派手にやらかした自覚はある。
 一番まずいのは地下鉄の正面衝突未遂だろうか、それとも廃車両の爆破だろうか。壊してしまったあれとかそれと不法侵入とかもろもろのお咎めをなるべく軽くするには、最大の協力が必要だとほのめかされたら、はいわかりましたと答える以外に道はない。
 それでも、あくまで民間協力者という言い訳が成立するニックとは違い、もともと警察官だったジュディへの風当たりは厳しいものとなるだろう。それが終わるまで待っててやろうか。頭の中で検討を始めたニックの前で、ジュディがはっと息を呑む。
「そうだ! ニック、ちゃんと話した?」
「何を」
「事情聴取よ! 私が無理に頼んだから仕方なく協力したって、言った?」
 目をぱちくりさせたニックは、ああ、となだらかな肩を落とした。
「言ってないよ」
「どうして!」
 弾かれたようにジュディが叫ぶ。そのまま踵を返して取り調べ室に飛び込みかねないウサギの腕をつかんで引き留めたニックは、そのまま彼女の両脇に手を差し入れてひょいと持ち上げた。なおも抗うジュディを近くの長椅子まで運んで無理矢理に座らせ、両の肩に手を置いて立てないように押さえつける。
「こら。手負いのウサギだろ、君は。落ち着けよ」
「ちょっと、ニック、手をどけて! あなたは何も悪くないって、私が全部説明してくるから」
「あのさ、ニンジン。俺は、この証言に嘘はないって宣誓の署名までしたんだぜ?」
 ジュディの肩を押さえた手の力はゆるめないまま、ニックは膝をかがめた。目線の高さを小さなウサギに合わせる。
 大きくてつぶらな、ブルーベリー色の瞳。そこに自分だけが映っているのがなんだか嘘みたいで、けれど夢のようではないから、ニックは笑う。
「俺は、君に協力したかったから、そうしたんだ」
 みるみるうちに、ジュディの瞳が潤んで揺れる。
 ニックは慌てて肩から手を離した。今のは顔に出ていなかっただろうか。不安になるが、廊下には鏡がないので確認できない。
 内心では狼狽の極みに陥っているニックの前で、彼女は乱暴に手の甲で目元を拭った。
「……ばか。ニックのおひとよし」
 いっそ幼げな口調で詰られて、ニックは片方の眉を跳ね上げる。
「うっわ。生まれて初めて言われたぞ、そんな悪口」
「じゃあ、私が今から山ほど言ってあげる」
「せっかくだけど、遠慮しとくよ」
 ニックが深いため息をついた瞬間、ジュディの長い耳がピンと立った。同時に、ニックの鼻先も揺れる。
「ここに居たのか、ホップス」
 のっそりと廊下の角から姿を現したのは、強面のバッファローだった。
 署長、と呟いたジュディが長椅子から滑り降りる。着地の瞬間、よろめいた彼女にニックが差し伸べた手は、やんわり遮られた。
 仕方なく手を引っ込めて見守るニックの前で、ジュディは凜と背筋を伸ばす。
「署長、このたびは大変ご迷惑をおかけいたしました。ですが、彼は私に協力してくれただけです。すべての責任は私に――」
「その前に」
 頭を下げようとしたジュディに片手を振って、ボゴ署長は黒い蹄をジュディへと差し出した。そこに乗っている金の輝きに、ジュディが瞠目する。
「忘れ物だ、ホップス巡査。復職申請の提出が遅れている件については、始末書で済ませてやる。今回の器物破損と爆発騒ぎやその他いろいろについてもだ」
 重々しく告げるバッファローの前で、ジュディは戸惑ったように瞬きをした。
 ニックもまた、固唾を呑んでやりとりの行方を見守っていたが、そういえば、と少し前の記憶をたぐり寄せる。
 あのヒツジはなんと言っていた?
 ブルーベリーにすり替えられたと知らないまま夜の遠吠えをニックに撃ち込んで、ZPDに通報する時。『ホップス巡査が襲われた』と、そう言ってはいなかったか。
 巡査。それは警察官の役職だ。ジュディが返上したはずのものだ。
 ということは、つまり。
 ニックと同じ結論に至ったのだろう。ジュディは差し出されたバッジをまじまじと見て、署長の顔を見上げて、そして途方に暮れたようにニックを振り仰ぐ。
 なんで俺を見るんだよ、と、吹き出すのをかろうじて堪えたニックは、そっと小さな背中を指先でつついてやった。
 一歩踏み出したジュディへ、ボゴ署長がさらにバッジを差し出す。
 いつか、夜のレインフォレストで見た光景とは真逆だ。
 あの時、ジュディに突きつけられていたのは、あのバッジを返せという要求だった。
 それは、真新しい制服に身を包んでジュニアレンジャーの集会所に飛び込んだ幼いキツネを思い出させた。だからニックはあの時、ジュディとこの署長の間に割って入った。
 それで何が変わるわけでもないと痛いほどわかっていたはずだったのに、ニックは計算ではなく衝動で行動した。彼女の胸に輝いていたバッジを、失わせてはならないと思った。
 だが、ジュディはバッジを返したと言っていた。ニックの言うとおり、私はまぬけなウサギだったから、自分がズートピアを壊してしまったから、と。
 だけど、そのバッジは、今ジュディの前にある。
 ぐ、と唇を引き結んだジュディが、震える指で金のバッジを受け取った。
「……感謝します、ボゴ署長。必ず、ご期待に応えます」
「まずは怪我を治せ。そして始末書と書類を仕上げろ。ああ、明日からの勤務については総務で調整させて連絡する。連絡先の電話番号に変更は?」
「ありません」
「よろしい。今日は帰宅しろ。連絡を待つように」
「了解しました」
 お手本のような敬礼をするジュディの横で、ニックも軽く頭を下げた。いちわといっぴきを順に睥睨したバッファローは、ふんと鼻息で答えて踵を返す。
 重い足音を響かせる巨体が廊下の角に消えてから、ジュディはバッジを胸に抱きしめた。肩が数度、かすかに震える。
 よかったな、と声をかけるタイミングを見計らっていたニックは、唐突に振り向いたウサギのタックルを腹に食らった。完全に不意打ちだ。
 祝辞を述べるはずだったニックの口から、無様な呻きが漏れる。
「いたい」
「ありがとう、ニック! あなたのおかげよ。あなたと一緒だったから、このバッジは私のところに戻ってきたんだわ!」
 抱きつくなんてかわいいものでは断じてなかった。ぎゅうぎゅうにボディを締め上げられながら、ギブギブとニックはジュディの背を軽くタップする。
「違うだろ。ニンジンが頑張ったからだ」
「いいえ、ニックのおかげよ! 言ったでしょう、あなたがいないと無理だって!」
 安っぽい蛍光灯の光を涙で弾いた瞳が、ひたとニックを見上げる。
「ありがとう、本当にありがとう、ニック」
 涙声で告げられた混じりけのない感謝に、ニックは尻尾を逆立てた。どうしたってこんなものには慣れてない。
 だって、ニックはアイスを溶かして売る詐欺師だ。アイスの棒をアカスギと称して納品していた詐欺師だ。ウサギの警察官をセメントに嵌めた詐欺師だ。

 だけど。

 ニックは、ジュディの背に回していた手を軽く握る。
 自分にも、できるだろうか。
 知らない誰かたちが作り上げたキツネらしくないキツネに、なれるだろうか。
 彼女がたったひとりで駆け抜けた道を、今から自分も辿れるだろうか。
 彼女の信頼に応えられるようになりたい、と願う自分を、許してやれるだろうか。

「そうだ!」
 小さくジュディが叫ぶのに、ニックは我に返った。ずい、と目の前に差し出された金のバッジに目をぱちくりさせると、小さなウサギはにっこりと笑う。
「ねえ、このバッジ。ニックが私につけてくれない?」
「えっ」
 思わず及び腰になったニックに、ジュディは小首を傾げてみせた。
「ニックの手でつけてもらいたいの! ね、お願い」
 差し出された金のバッジ。信頼と誠実、勇敢の文字を刻まれた、バッジ。
 少し前までは、ウサギは誰もこのバッジを持っていなかった。
 今、キツネは誰も持っていない。

 ああ、これを。誰よりも相応しい、彼女の胸にあるべき輝きを。
 小さなウサギの隣で、俺も、胸に抱きたい。

 ニックは頬を緩めて、受け取ったバッジのピンを慎重に外す。
 ジュディはまだ、ピンクのギンガムチェックのシャツ姿だ。それでも、彼女の胸に留めてやったその金は、濃紺の制服にある時と同じに輝いていた。
 満足そうにジュディが自分の胸元を見つめる。きっと同じような顔をしている自分を悪くないと思いながら、ニックはゆっくりと口を開いた。
「あのさ、ニンジン。前に書いた時にうっかりミスったから、書き直したいんだけど」
 ――あの、クリーム色の、応募用紙。
 目をそらしたい衝動と必死で戦うニックの目前で、じわじわと笑顔が花開いていく。

 君は怪我人のはずだろ手加減しろよ、とわめくニックを再び締め上げる勢いでハグしたジュディの朗らかな笑い声が、第一分署の廊下に響いた。

 

―了―