ちかいごと

ZTP,小説ニクジュディ

ズートピアのニックとジュディの、映画本編の先のお話。
ニック押せ押せ妄想を具現化させました。
ちょっと痛そうなシーンがありますので、苦手な方はご注意ください。

※ニクジュディ恋愛要素あります
※ねつ造要素あります

お好きな方はどうぞ!

 


 

◆ 1 ◆

 ニック・ワイルドはZPD第一分署に所属する警察官だ。
 新規採用枠の年齢制限ぎりぎりで警察学校に飛び込んだ、キツネ初の警察官。転職組の彼の前歴は、なんとか法に触れずにすむ範囲で稼いでいた詐欺師という、なかなかの珍例特例まみれだった。もちろんそんなことは履歴書には書けないので、表向きは自営業扱いだ。
 納めていなかった税金に関しては、警察学校に入学する前に追徴分も含めて全て納めたので、お叱りだけという処分が下った。これに関しては、その直前に彼が重大事件の解決に尽力したということで、何らかの温情が働いたのも確かだった。
 とにかくなけなしの貯金は底をついたが、警察学校は全寮制で助かったと胸を撫で下ろしたのは二年ほど前のこと。九ヶ月後には首席で卒業し、無事に相棒との約束通り金のバッジを胸につけることになった。
 彼の名が記された表彰状と感謝状と始末書が積み上がって行くに従って、少しずつ通帳の残高も増えつつある。
 給料日には相棒のウサギとちょっと贅沢なディナーを楽しむ余裕くらいは出てきたのだった。

「ねえニック、このミックスベジタブルソテー、すごくおいしいわ!」
 落ち着いた音楽の流れるレストランの一隅。ブルーベリー色の瞳をキラキラ輝かせて、向かいに座っている相棒が頬を押さえている。そいつは良かった、と彼は笑った。
「やっぱりどうしても新鮮な方がおいしいのにって思ってたんだけど、料理の腕や味付けも大事ねえ」
「そりゃ食べ時の君んちの野菜と比べちゃいけない、ニンジン。ホップス農場産の品質は折り紙つき過ぎる」
「特にブルーベリーは、でしょ?」
 ナイフとフォークを器用に操りながらいたずらっぽく笑うジュディ・ホップスに「もちろんさ」とおもむろに頷いてみせると、彼女はころころと楽しげな笑い声をあげた。
「あなたの照り焼きもおいしそうね。食べられないのが残念だわ、ソースもとてもきれいな色」
「ああ、なかなかだな。オレンジが効いてて、熱帯夜にはぴったりだ」
「サハラ・スクエアじゃ年中熱帯夜じゃないの」
「ああそうだな、きっとアイスもとぶように売れる」
 ワイングラスを傾けながら口にしたジョークに、ジュディの瞳がライトの光を反射してキラッと光る。
「あら。また転職するの、ニック・ワイルド?」
「まさか。今の職場がとても気に入ってるんでね。なんせボスが右手で始末書を受け取りながら、左手で表彰状を差し出してくれる、きわめて楽しい仕事だ」
 しかつめらしい顔を見合わせて、小さく吹き出す。仕事の話は外でおおっぴらには出来ないものが大半だから、彼女もそれ以上は何も言わなかった。ただ、ナプキンで口元を押さえながらため息を殺した程度だ。
 ああやっぱりまだ引きずってるか、とニックはワイングラスをテーブルに戻した。今日の連続強盗犯逮捕の一件はなかなかの後味の悪さだった。ジュディに取り押さえられた老キツネは、ニックを見て唾を吐いた。
 ――いくらテメエひとりが目立ったところで俺も息子も仕事にはありつけねえのさ! なのに税金だけは払えと抜かしやがる、孫は小学校に上がるのにランドセルも買ってやれない!
 相棒が瞠目した瞬間、ニックは彼女に向けて手のひらを広げて押しとどめた。お前は何も言うなと視線で送った合図はきちんと伝わった。その場にしゃがんで老キツネと目の高さを合わせ、彼は一言だけ告げた。
『あんたが一昨日襲った本屋のおばさんは、入院したせいで娘さんの結婚式に出られなかったぜ』
 一瞬押し黙った同族に背を向けて、ニックは応援に駆けつけた同僚に容疑者を引き渡した。帰署の道中も報告書作成時もジュディは容疑者の話題には触れなかったが、彼女が様々な意味で気にしているのは分かっていた。
 彼の愛すべき相棒は、本当なら警察官には向いていない気性ではないか、とニックは思っている。熱血で正義感が強く判断力と行動力にすぐれ、時には狡い手段も厭わない機転も利けば、身体能力も高い。そこだけ取り上げれば実に警察官らしい彼女だが、いかんせん素直で優しすぎるのだ。
 もはや、彼女は自分が絶対の正義だとは思っていない。欠点や間違いを認める率直さとそれに甘んじない姿勢は、ニックが尊敬する彼女の美徳の一つだ。だからこそ、ジュディは今もこう思っているのだろう。
「――もっと何か私に出来ることがあったはずなのに」
 ニックが声に出してみると、ぎくり、と目の前のジュディが灰色の毛並みをふくらませた。垂れていた耳もぴんと立つ。
 何か反論しようとした口は、言葉を紡げないまま力なく閉ざされた。同時に耳も後ろに垂れる。しょうがないな、とニックは苦笑をこぼした。
「ニンジン、良いか。君ひとりだけが努力しても――例えばあの爺さんの孫にランドセルを贈ってやったとしても、根本的な解決にはならない。それはそれで一つの救いにはなるだろうが、俺達が出来ることは、目指すものは、そうじゃない。だろう?」
 彼女のグラスにワインを注いでやりながら、ニックは静かに言葉を続けた。
「今すぐなんとか出来ることなら、とっくにもう誰かが魔法の杖を振ってるさ。そうじゃないから、俺達は走り回ってる。少しずつ小さなことを解決してる。例えば、あの爺さんがこれ以上誰かを傷つけることで家族を悲しませない、とかな」
 ジュディは目を閉じてニックの言葉を聞いていた。細く長く息を吐いて、吸って、そして彼女のブルーベリーの瞳がニックを真っ直ぐに映す。
「……うん。そうね、ニック。パトロールも、もっとしっかりやらないとね。役所との連携も積極的に取って、残されたご家族の生活再建指導につなげて――そうだ、昨日補導した彼ら、署長に進言して若い動物たちの社会参加事業に取り組んでる団体とつないでもらうのもいいかも」
 まだ湿った声ながらも、前向きな案を小さな頭の中で組み立てはじめた相棒に向かって、ニックはワイングラスを掲げ片目を瞑ってみせた。
「それでこそだよ、相棒」
「あなたもね、相棒?」
 笑みを交わした二匹は、多少のマナー違反を承知でグラスの縁を軽く触れあわせる。
「より良い世界のために」
「美味いワインを楽しめる今日に」
 乾杯、と唱和した声に重なった澄んだ響きを耳に残しながら、ワインと苦い想いを胸の奥に流し込んだ。

 

 ドレスコードのあるレストランだったので、今夜のジュディは濃紺のワンピース姿だった。彼女は例の一件の功労者ということもあって、いろんな広報や公的な場に引っ張り出されることもしばしばであり、二着分ほどの衣装が経費で落ちたらしい。
 今は母として忙しいフルー・フルー嬢に見立てを手伝ってもらったというそのワンピースは、全体的には細身である上半身とは裏腹に鍛え抜かれた脚のラインの美しさを存分に活かすものだった。闇組織のボスとはいえ、お嬢様育ちのセンスはさすがだと思いながらも、少し活かしすぎだとニックは思う。この恰好の彼女をエスコートして雑踏の中を歩いていると、雄どもの視線が鬱陶しくてならない。
「ねえニック、本当にワイン奢ってもらっちゃってよかったの? あなたまだテーブル買ってないでしょ」
 ワインの助けを借りてか、行きよりは軽い足取りで進みながらジュディが言う。肩をすくめてニックはジュディへと手を差し出した。軽く握って引き寄せて、向かいからすれ違うチーターとの接触を回避。
 その拍子にふわりと香った彼女の匂いに心臓は跳ねたが、素知らぬ顔でニックは首を振る。
「テーブルはソファのローテーブルで間に合ってるから買ってないだけさ。君こそ、もう少しマシなアパートに越したらどうだ? 不動産屋なら紹介するぞ」
「いいのよ、アレはアレでなんとかやってるから。どうせ寝るだけだし、週に二日は仮眠室だし」
「あと二日は俺の部屋だろ。ワーカホリックも程々にな、ニンジン」
 おとなしくニックに手を引かれながら、ジュディは「いーだ」と顔をしかめてみせた。いくつだ君は、と額をつついて笑う。
 独り暮らし同士の彼らは、ニックが入署した時点で非常時に備えて合鍵を交換して持っていることにした。しかしジュディは、非常時に限らず頻繁にニックの部屋に転がり込んできていた。テレビを見たがったり、愚痴をこぼさずにはいられないくらい疲れていたり、安上がりの宴会をしたがったりと、全く色気のない様々な理由で。結果として、プライベートな時間の大半を一緒に過ごすことになっている。
 もういっそルームシェアを提案した方が良いのかとも思うが、ニックはなんとなく言い出せずにいた。それが変化を恐れてのものなのか、固定を回避したいからなのか、彼自身にもよく分かっていなかった。
「ニックって、ああいう素敵なお店も慣れてるわよね」
 唐突に彼女が呟き、ニックは瞬き一つで現実に立ち返った。ん、と首をかしげて促すと、ジュディは唇を尖らせている。
「こうやって繁華街を歩くときだって、さりげなーく私を庇ってるし。もうすぐ三十四の年の功なの?」
「よし、喧嘩なら買うぞニンジン」
「安心して、私だってじきに二十六よ」
「どうだか。せっかくのワンピースなのにほっぺた膨らませてるようじゃなあ。もしかして若返ってるんじゃないのか?」
 ニックがからかってみせると、ジュディはふふんと片頬で笑ってみせた。
「それは大変ね。謎の研究施設に閉じ込められてしまうわ」
「安心しろよ、頼りになる相棒が助けに行ってやるさ。もちろん携帯はマナーモードだから、トイレに飛び込む必要もなく」
 明るい笑い声を上げて、懐かしむような視線をジュディが空に投げた。それを追いかけるように、ニックもネオンで霞む空を見上げる。
 随分と濃厚なあの数日間は、今も褪せることなく彼らの間を確かに繋いでいた。
「ニックの情けない着水っぷりったらなかったわ」
「我らが偉大なるシロクマ教官の訓練をパスしたからな、もう華麗なもんさ。君のエスコートだって、あの時に比べたら格段に進歩してるだろ」
 ジュディはため息をつくようにして笑う。ニックは片眉を上げた。ちょっと予想外の反応だ。どうしたのかとさらにつつきにかかる。
「どうした、ニンジン? ははあ、さては俺に惚れ直したか?」
「はいはいそうねーそうかもねー」
 棒読み口調での返事に、ニックは大げさに片手で顔を覆って見せた。
「切ないねえ。でも良いかニンジン、俺だからいいが、他の奴がこんな風に夜の町で手を取ってきたら気をつけろよ? バニーバロウ産なんて頭から丸かじりだからな」
「またそうやって馬鹿にして! 私だっていつまでも田舎者の子ウサギじゃないわよ」
 むくれながらも、ジュディの右手はおとなしくニックの左手の中に収まっている。お互いに力は込めない。ちょっと歩くリズムが狂えば、簡単に解けてしまう強さで、いつもよりのんびりとした歩調で雑踏を並んで歩く。
 駅までの道のりがもう少し遠ければいいのにと願っているのは自分だけではないと、ニックは知っていた。
 だが、彼女にとってもこの時間が何よりもいとおしく、大切なものであるかどうかの自信は、彼にはなかった。

 

 ジュディがニックへ寄せてくれているのは間違いなく信頼であり、好意だ。同じものを返したいと願うし、ジュディに伝わっているとも思っている。
 だが、それ以上の感情を見せてもいいのかどうかについては、正式に相棒として働き出して一年以上が経つ今も分からないままだった。
 いくら雄社会の中で下世話な話を右から左へとスルーさせるスキルを磨いてるとはいえ、ジュディは物慣れていない純粋培養の娘だ。
 見ていた映画でラブシーンが出てこようものなら、頬を染めて目を逸らしたり戻したりとせわしない。仕事が恋人だと豪語しながらも、道行く幸せそうなカップルに目をとめていることもある。ニックが警察学校に入学した頃に、送られてくるファンレターやラブレターに舞い上がっていた様子は電話越しにも明らかだった。今となっては、貰いすぎたのか過剰な褒め言葉に現実との乖離を感じたのか、ひとまとめの『謝意』として扱い出したようだが。
 そんな彼女をとんでもなく可愛いと思う。望むならばハグだろうがキスだろうが彼女の想像以上のことだろうが、いくらでもしてやりたいと思う。許してもらえたらどれだけ幸せかと思う。
 だが、出来ない。
 ニックは詐欺師だった。相手をよく見て、相手の望みを叶えているように思わせてこちらの狙い通りに動かす、そんな手練手管に長けていたし、磨き続けてきた。今は取調室で存分に発揮しているそのスキルは、女性相手にも通じるものだった。
 望まれている甘い言葉を囁いて、抱きしめて口づけて、自分だけを見てくれと懇願して、互いの熱に溺れる。特別を錯覚させて、本物のように思い込ませる。一夜限りのことが大半だったが、数年前までは難なくやっていたことだった。
 だから、きっと出来てしまうだろう。いろんな意味で規格外のジュディ仕様に変更する部分は多々あれども、彼女を恋人にすることは、きっと出来てしまう。彼女がニックを憎からず思ってくれているのは分かっているのだから、つけ込むのは容易い。
 それでは嫌だった。
 彼女に心から望んでもらえるのでなければ、意味がない。『俺のこと好きなんだろ』なんてわかりきった答えをねだって安心するのとは、わけが違う。笑って名前を呼んでくれるだけでニックをとんでもなく幸せにしてしまうジュディに、手練手管で錯覚させた幸せは相応しくない。
 彼女と出会うまで、恨みもねたみも買ってきた。傷つけたひとの心は、税金を納めてはいおしまい、なんて具合にはいかない。幼いキツネが口輪をはめられて闇の中を逃げる夢が、いまだにニックの見る最大の悪夢であるように。
 どうしたって消せない過去のあやまちごと受け入れてくれるか。そんな俺に抱かれてくれるか。残りの生涯をずっと共に歩んで、君は幸せだと笑ってくれるか。
 尋ねる勇気はまだない。相棒としては最高に良い関係を築けているから、なおさらだ。
 いつか彼女が望んでくれるかもしれない可能性がある限りは、相棒としてのできるかぎりを用いて、他者の立ち入る隙を阻む。かわりに、彼女が必要とする全ての役割は担う。それは信頼する友であり、手のかかる兄弟のようなものであり、時には親のようなものであり、恋人めいた何かであったり。
 ひとりで泣いたりしないように。彼女の幸福を支える全てであるように。
 先のことはなるべく考えないようにしながら、今のニックが自分に許せるのは、そこまでだった。