柔らかな熱
テイルズオブエターニアの、最終決戦後、エピローグ前あたりのリッドとファラのお話です。
※個人の妄想に基づいたリファラ恋愛要素がほんのり存在します
お好きな方はどうぞ!
どんどんどん、と、扉をノックする音が、まるで頭蓋骨を金槌で直接殴られているように響いた。
「リッド? リッド、いないの? いるんでしょー?」
ファラの声だ。リッドは痛む頭を抱えながら、寝台から転げ落ちるようにして降りた。閉めきっていたカーテンを開けると、夕陽の名残が差し込んできて、リッドはぐらっと傾ぐ視界を立て直すべく、何度かまばたきをして机を支えに体勢を立て直す。
ゆっくりとはしごを下りて行く間も、頭が上下に動くたびにひどい頭痛を訴える。が、ファラの前でそんな顔を見せるわけには行かなかった。
見栄とか意地とか、そんな言葉で片づけてしまえば簡単だが。
なんとかなるべく平静な――不機嫌そうな顔になってしまうのはどうしようもなかったが――顔を取り繕って、ドアを開ける。
「もう! やっぱりいたんじゃな……」
腰に手を当てて怒っているように見えたのも束の間、ファラはリッドの顔と部屋着姿を見るや瞬時に表情を曇らせた。
「どうしたの?」
「どうしたって、何が」
「風邪?」
問答無用で、ついとファラの手のひらがリッドに伸びる。反射的にそれを避ける為に右足を軽く引こうとして、リッドはバランスを崩した。
床と仲良くなる寸前で、リッドの体はファラの腕によって支えられる。リッドの体を抱えたファラは、途端に眉をひそめた。
「ちょっと、すごい熱じゃないの! いつから!? どうしてこんなになる前に言わないの、もう」
ぐらぐらする世界の中で、ファラの声が響く。ばれてしまった以上、リッドは掠れた声でファラの名前を呼んだ。
「何?」
「……いいから、静かに、してく、れ……響く」
「あ、ゴメン」
声をひそめて、ファラが謝ってくるのを聞きながら、なんとかリッドは自分のベッドに戻ろうとし、そこで意識を失った。
セイファートリングが消失した空にも、変わらず太陽は昇り、沈み、そして星が夜空に瞬く。
どういうわけだか、このラシュアンに戻されてきたのは、つい二日前のこと。
叔母の話によると、地震がますますひどくなり、これはもうダメかと覚悟したとき、空が弾けるように光ったのだという。
そして、眩しさに目を閉じ、いつの間にか揺れがおさまっている事に気付き、こわごわ目を開けると、空は澄み渡り、あれほど吹き荒れていた風も止み、ただ空にセイファートリングはなく。
そして、光に抱かれるように、お前達が落ちてきたんだと、そう叔母は語って、姪の顔を覗き込んだのだ。
ファラ、それで、結局のところ、何がどうなったんだい?
その問いの答えを、ファラは持っていなかった。
曖昧に、よくわからないけど、とにかく、もう地震は起こらないよと告げた。
だって、セレスティアとインフェリアを繋ぎ止めていたセイファートリングは、その核ごとリッドとメルディが壊したのだから。オルバース界面が消失したのだから、オルバース爆動ももう起こらない。グランドフォールも起こりようがない。
そのあとどうなったのか、セレスティアはどこへ行ったのか、核の向こう側にいたはずのキールとメルディはどうなったのか、バンエルティア号に残っていたチャットやフォッグは無事なのか。そんなことはファラには解らない。
その不安のせいか、ファラは家の片づけや、畑の手入れの合間に、ついリッドの姿を探してしまうようになっていた。あんまりにも、直面していた事態と、このラシュアンの穏やかな時の流れとに差がありすぎて、まだ心が追いついてきていないせいもある。
それでも、リッドの傍にいると安心できた。
特に言葉を交わさなくても、同じ空気を吸っているだけで、大丈夫だと思えた。
今日も、リッドは見晴台にいるだろうと、そう思って行ってみたのに、そこには見慣れた姿がなく、ファラはこうしてリッドの家まで訪ねてきたわけだが。
(わ、もう熱い……)
リッドの机から引っ張ってきた椅子の上に乗せた手桶の中に、手ぬぐいをもう一度浸し直して、ファラは固く絞り上げた。
折り畳み直して、そっとリッドの額にのせる。
乾いた手布を脇から取り上げて、首筋に浮かんだ汗をそっと押さえて拭っていく。不規則で荒い呼吸は、熱がこもっていて苦しそうだ。
旅の間だって、一度もこんな風に病気になったことなんてなかったのに。
と、リッドの家の台所を勝手に借りて煎じていた薬湯の鍋の蓋が、かたかた言い出したのに気付いて、ファラは梯子を使わずにそのまま二階部分から飛び降りた。
とん、と、まるで猫が降りるような動作で床に降り立ち、火から鍋を下ろして具合を見る。
コップにそれを注ぐと、鍋を洗って、今度は地下蔵から取ってきたニンジンとタマネギ、そしてリッドが樽に漬け込んでいた塩漬け肉を煮込んで、スープにするべく用意を始めた。
と、小さく呻く声が聞こえたような気がして、ファラは二階部分を振り仰いだ。しばらく息をひそめるようにして様子を窺う。と、やはりもう一度リッドがうなされるように低い声をあげた。
「リッド?」
小さく呼びかけて、梯子を二段とばしで駆け上がる。顔をしかめて、苦しそうに上掛けの端を握りしめているリッドの額から、手拭いが落ちてしまっている。
あわてて取り上げて、ひとまずそれは水の中に浸す。
「リッド? リッド、苦しいの?」
リッドの上にかがみ込むようにして、そっと上気した頬に手のひらをあてる。熱い。
ファラはとりあえず、先程水につけた手拭いをもう一度絞って、額に乗せ、薬湯を取って戻ってきた。
「リッド、ねえリッドってば。お薬だから飲んで? 熱下げないと」
呼びかけて、頬を何度か軽くはたいてみるが、反応がない。匙に少しすくって、唇にあててみるが、唇を湿らすことが出来た程度で飲み込んでくれる様子はない。
ファラは少し思案するように人差し指を顎にあてて、天井を睨みあげて逡巡した。ややあって、視線を落とすと、リッドと薬湯を見比べる。
「……仕方ない、っか。あとで怒んないでよ」
苦い薬湯を口に含んで、リッドの唇に薬湯を含ませて直接流し込む。こくんと喉がなったのを確認して、ファラは一度顔を上げた。
同じ事をもう一度繰り返す。小さい頃、こんな風に高熱で意識のないリッドに、母親が同じように薬を飲ませていたのを思い出して、ファラはくすりと笑った。
(これがキスなら、とっくにリッドもしてるってことだもんね。カウントなし、ね?)
数度繰り返して、ファラは薬湯を机の上に置いて屈めていた体を伸ばした。苦い薬湯の味が口に残って、思わず舌を出して外気に触れさせる。今すぐにうがいをするのは、なんだかリッドに失礼な気がして、ファラはその場を動かなかった。
もう一度手拭いをひっくり返して、ファラは汗で額に張り付いたリッドの前髪をそっと払って指で梳く。
少し固めのくせっ毛は、今はくたりと枕に流れている。いつもなら、風に吹かれてふわふわと流れる髪がじっとしている様は、まるで今のリッドの状態そのもののようで、ファラは少しずつ手櫛でその夕陽色の髪を梳かした。
なんだろう。
それは、ひどく穏やかな時間で。
地晶霊の廃坑で、疲れて寝入っていたリッドを膝枕していたら、目を覚ましたリッドにひどく驚かれたことを思い出す。
明日はシゼルの元へ行くその前の晩、展望室で、大切なものを守るのだと、そう静かにまるで宣誓のように語ったリッドの横顔を眺めていた、あの穏やかな、満ち足りた空気を思い出す。
なんだったんだろう、あれは。
すぐに熱くなってしまう手拭いを取り上げて、もう一度水にさらして額に乗せ直す。
リッドが傍にいてくれることは、とても安心で。それは今も昔も変わらない。大切な人だと、もし何かを犠牲にしても選ばなければならないことがあるなら、リッドの選んだことを信じると、そう思ってあの背中を追いかけてきたけれど。
口うつしで薬を飲ませたのを、キスにカウントしたくないのは何故?
ぼんやりと、そんなことを考えかけて、ファラは鍋の中身が沸き立つ音に我に返った。
「いっけない……!」
慌てて、またも梯子を無視してファラは一階に飛び降りる。
キノコと干しトウモロコシも入れて、そうだパン粥も作っておこうかな。
そんな、何でもないことで頭を一杯にするべく、ファラは台所でぱたぱたと働き始めた。
どう言うわけだか、霞がかかったような、薄布一枚隔てたような、そんな意識の中でリッドはぼんやりと懐かしい音を聞いた。
ぱたぱたと、軽い足音。控えめなハミング。包丁とまな板が立てるリズミカルな音、ことことと鍋の蓋が揺れる音。
(夢か……?)
ぼんやりとした感覚の中、手に触れた掛布を握って口元まで持ち上げる。熱くて乾いた口に残る、苦みには覚えがある。熱冷ましの薬湯だ。
そんなものを飲んだ覚えはないけどな、と思いながら、リッドはもう一度重たい瞼を閉ざした。
熱のせいか、ふわふわと空に浮かぶような意識から、似たような記憶の引き出しを引っ張り出す。
幼い頃、熱を出すと、ファラの家に預けられて、普段は聞かない音をたくさん聞いていた。
そして、うつるから近寄っちゃだめと言い含められていたファラは、決まって夜になるとリッドが寝ている客用寝室に忍び込んできて、小さな手のひらをリッドの額や頬にあて、げんきになるまでここにいるからと繰り返したものだった。
結局、ファラが先にベッドにもたれるように寝入ってしまい、仕方なく毛布をわけたら翌日二人揃って高熱を出したこともある。
けれど、あの手のひらは、本当にどんな薬より元気になる素のような気がした。
そんな風に、思っていた――
ふと覚醒したことを自覚する。まだ幾分気怠い体のあちこちが伝えてくる感覚は現実のモノで、リッドはぼんやりと視線をさまよわせた。
見慣れた天井。見慣れた壁。壁に引っかけられた使い慣れた狩猟道具。そう、ここは帰ってきた部屋。
(のど渇いた)
からからになっているのどを右手で押さえて、起き上がろうかと首をめぐらせたとき、リッドはぎょっとした。
リッドの枕元に、深い森の色をした頭がこてんと乗っかっていた。すぐ目の前で、左手には手布を握りしめて、右手は無意識のうちに枕にして、静かに寝息をたてている。
混乱した頭で、なんとか記憶の糸を手繰る。どういうわけだか具合が悪くなって、狩りも途中で切り上げて戻ってきて、痛む頭を抱えて眠っていて。
(……そっか、来たんだコイツ)
それなら、夢うつつに聞いていた物音は。あれは夢ではなく、ファラのたてていたもの。
ベッドの脇に置かれている椅子には、水桶と水差しとコップ。それらと、床に腰を下ろして、ベッドに頭をもたせかけて寝入っているファラを見比べて、リッドはそっと腕を上掛けの下から引っ張り出して、ファラの髪に指で触れた。それだけで、体中の力を総動員したような気分になる。
そっと髪を撫でても反応はなかった。ただ、夢でも見ているのか、唇がわずかに動いて微笑みの形をとる。
ファラが寝ていて良かった。体が思い通りに動かなくて良かった。
そうでなければ、このまま抱きしめてしまいそうだった。
衝動をごまかすように、数回、柔らかな手触りの髪を撫でる。
「――起きろよ、ファラ。風邪ひくぞ」
「ん……」
わずかに身じろいで、そして閉ざされていた瞼の奥から、榛色の瞳が現れる。軽いまばたきを繰り返して、そしてファラはがばと身を起こした。
「リッド、気が付いた? 気分どう?」
尋ねながら、リッドの額から落ちていた濡れ手拭いを拾い上げるファラに、リッドは水差しを指さした。
「水くれ」
「あ、うん。起きられる?」
「たぶん」
肘をついて、緩慢に体を起こす。幸い、あの割れ鐘を頭の中で猛打する様な頭痛はおさまっていた。
ファラが体を起こすのを手伝いながら、枕を背にあてがってくれる。リッドが落ち着いたのを確認して、ファラは水差しから水を注いで、グラスを手に持ち首をかしげた。
「一人で飲める?」
「大丈夫だよ」
顔をしかめて、ファラに右手を伸ばす。こぼさないように、グラスに半分ほどしか注がれていない水を少しずつ口に含む。ただの水のはずなのに、それはひどく甘い気がした。
「スープくらいなら飲めそう? 作ってあるけど、あっためよっか?」
「――少しなら。今何時だよ?」
「うーん、もうちょっとで夜明けかな。待ってて、あっためてくる」
言って梯子を降りていくファラの背を見つめながら、リッドは痛む額を押さえた。いや、熱のせいでなく。
これは、またファラのおばさんになんか言われんな……。
だけど、自分の家の台所で湯気の立つスープをよそったりしているファラを眺めているのは、悪い気はしなかった。
何か、暖かいもので体の中が満たされるような。
スープを抱えて、ファラが戻ってくる。スプーンで中身をかき混ぜてそれを冷ましながら、ファラはほっとしたように微笑んだ。
「でも良かった。もう呼んでも叩いてもリッド反応してくれないし、薬はちゃんと飲んでくれないし、どうなるかと思っちゃった」
「……薬?」
じゃあ、一度意識が浮上したときに口の中に感じていた、あの薬湯の苦みはなんだったんだ? 飲めなかったはずの薬の味がなんで口に残ってる?
そう思って聞き返すと、ファラは熱冷ましの薬湯だよ、と首をかしげて、スプーンですくったスープを何回か吹いて冷ました。少し口をつけて熱さを確かめ、それをリッドの口元に差し出す。
「はい、あーん」
目の前に差し出されたスプーンを、真っ白になった頭でしばらく凝視する。一人で食えると怒鳴るべきか、それとも赤ん坊かオレはと拗ねるべきか、リッドが反応に迷っている間に、スプーンはリッドの唇にあてがわれて傾けられた。
否応なく口の中に流れてきたスープを、思わずそのまま飲み込む。
「熱くない?」
「――あーもー熱くない熱くない」
もう何もかもがどうでもよくなってリッドは投げやりに答えた。ファラが次の分を吹いて冷ましながら笑う。
「リッド照れてるー」
「わかってんならすんな!」
「またまたぁ。嬉しいくせに」
「言ってろ」
笑っているファラに飲ませてもらったスープは暖かくて、まだ熱があるかな、と額にあてられた手は水仕事をしているせいかひんやりと湿っていて。
「もうちょっと眠った方がいいよ。ここにいるから」
元通り寝台の中に押し込まれて、ファラの手がそっと額から瞼を閉じさせるように撫でる。
その感触に眠りを誘われながら、リッドはいまいち働きの鈍い頭でさっきファラが言っていた薬をどうやって飲んだのか考え、はたとひとつの答えに辿り着いて呆然とした。
まさか。ひょっとして。
軋む関節を酷使してファラの顔を見ようとするが、リッドが動こうとしているのを察するなり、ちゃんと寝てるのと小声で叱られ、そっと額にのせられた手が反対の手に替えられる。
そのまま、ファラの手はリッドの熱で温かくなるまで額にのせられていた。それは、濡れ手拭いより心地よくて、リッドはもう一度眠りの世界に落ちていく。
ああ、そういえばまだひとつも礼を言ってないな。
聞きたいことは後回しにしといてやる。
だから、今度起きたときもそこにいろよ。
真っ先に言うから。
―了―