眠れない星の傍で

Tales,小説リファラ

リッドとファラのお話。セイファートの第二の試練を終えたあたりの話です。


 

 きっかけは、セレスティアで食べていた肉の名前だった。
 川のほとりでキャンプを張ることにして準備を始めていたとき、物覚えがいいの悪いので、キールにいつものように軽口を叩いていたら、横でメルディがふわふわの髪を揺らしながら首を傾げた。
「キール、勉強仕事だった。リッドそれ仕事でない、キールが物知りは当たり前。どうして喧嘩する?」
「どうしてって、リッドがあまりにも物を覚えようとしないからじゃないか!」
 ムキになってメルディに言い返すキールにオレは肩をすくめた。
 近頃キールは、傍から見てたらつたなくってしようがないようなやり方で、メルディに接してる。誰が見たってみえみえなのに、本人達だけがわかってない。今言い返したのだって、オレに負けるような所をメルディに見せたくないからだろう。
 難儀な奴だけど、だからって馬鹿にされっぱなしも腹が立つ。
「何言ってんだよ。子供の頃、ベアに出くわしても泣くばっかでなーんにも出来なかった奴が、知識だけ詰め込んでもどーにもならねぇだろ」
 口の端を歪ませて言うと、思った通りキールは顔に血を昇らせた。
「それは昔のことだろう! 今なら晶霊術だって使えるさ、足手まといになったりしてないだろう」
「体力はねぇけどな」
「お前みたいな体力馬鹿と一緒にするな! だいたいそんな古い話を持ち出すなんて卑怯だぞ!」
「へぇぇ。古い話。で、誰の物覚えが悪いって?」
 ぐ、と言葉に詰まったキールとオレに挟まれて、メルディが交互にオレ達を見比べている。どうやって止めようかと悩んでいるんだろう。
 無言のまま睨み合っていると、背後でぱんぱんっと手を叩く音がした。
「はいはいはい、二人ともそこまで。キール、リッドの軽口にのせられないの。リッドも、あんまりキールをからかわない」
 拾い集めてきた薪を小脇に抱えたまま、器用に手を叩いたらしいファラが、たき火の横にそれをどさりと下ろす。
「リッドとキールは荷物の整頓とか終わらせておいてね。メルディは、私を手伝ってくれる? もうインフェリアの港も見えたし、残ってる食料は使い切っちゃおう」
「ワイール! ご馳走?」
「ふふ、ささやかにだけどね。それにしても、アレンデ姫のおかげで助かったよね。もうちょっとでまた死刑になるところだったもんね」
「メルディが泳ぎあんまり上手くない、もうごめんだな」
 賑やかに料理の支度に励む二人に、すっかりオレ達は毒気を抜かれて、おとなしく各々の仕事に向かった。
 セイファートの庭園でキールの目から見た、十年前のあの事件。その真相の一端。見えていなかった、いろんなこと。
 反省したはずなのに、キールと話しているとつい喧嘩腰になるのは、やっぱり人間そう簡単には変われないものだからなのだろうか。
「記憶……か」
 ふと、隣で薬の整理をしていたキールが呟いた。その声の痛々しさを帯びた響きに、剣を磨こうと布を取り上げた手を止める。
「どうした?」
 尋ねてみると、キールは苦笑めいた息を吐いた。
「いや、昔の思い出も案外曖昧なものだと思ったんだ。ラシュアンに久し振りに戻ったときに、あの風車はこんなに小さかっただろうかと考えたよ」
「そりゃお前が育ったんだ。風車は縮まねぇよ」
 キールが噛み付いてくる前に、ま、そんなもんだろうけどな、とオレは肩をすくめた。
「三人で遊んでいたときのことだって、オレらがみんな同じ事を覚えてるわけじゃないしな。……同じ思いをしたわけでもないし」
 ファラを今も苛んでいる、あの事件もそうだ。
 もういいんだ、お前は悪くない、と、言ってやることは簡単だ。あれはファラのせいじゃない。ファラの親父さんが見回りに行ったあの場所は、オレは見たこともない場所だ。だいたい、子どもが入り込んだくらいでどうにかなるような封印ではなかっただろう――そう思える。今なら。
 けれど、ファラが自分で乗り越えないといけないんだろう。ファラが抱え込んだままの傷を無理矢理に白日のもとに晒しても、きっと良くはならない。
 頑張れ、だなんて言葉は、ファラには絶対に言えない。本人が一生懸命に無理をしているのに、どうしてそんな事が言えるのか。
 昔は、手を差し伸べるのも簡単だった。ファラは笑ったり怒ったり拗ねたり、たまにちょっとませたことを言って大人達を困らせたりしている、子どもだった。泣くなよ、と簡単に言えた。
 ふっと、懐かしい情景が浮かんだ。思わず笑みを漏らしたオレに、キールが顔をしかめる。
「思い出し笑いをするなよ、気持ち悪い」
「安心しろ、お前のこと思いだしたわけじゃねぇよ」
 言い返して、オレは空を仰いだ。太陽はもうすっかり顔を引っ込めている。
 火の灯りと、海の向こうに沈んだ光のかけらが、思い出を叩き起こしたんだろう。
 あれは、暖炉に火が入って、夕陽が沈んだときだった。
 オレが覚えている中で、一番古いはっきりとした記憶。

 

 オレの親父がどこかに遠出するときは、オレは決まってファラの家に預けられていた。
 ファラの親父さんはラシュアンの村長で、家も大きかったし、お袋さんも――今思えばファラによく似た、面倒見のいい人だった。
 あれは、オレが五つくらいの時だろうか。親父が仕事か何かの用事で一週間ばかり留守にしていた間、オレはずっとファラの家にいた。そりゃ昼間はキールも誘って遊び回ったりもしたが、帰るのはファラの家で、晩ご飯も夜眠るのもファラと一緒だった。
 そして親父がオレを迎えに来たとき、ファラが泣きだした。

 

「――リッド? 何ぼーっとしてるの?」
 寝そべったまま川縁で星を眺めていたその視界に、ふいに眩しい光とファラの顔が現れてオレは思わず跳ね起きる。
 瞬間、鈍い音と衝撃が脳天を襲った。
「ってぇ……」
「痛! もう、なんで急に起きるの?」
 頭を抱えてうずくまるオレに、たいして痛くなさそうな顔で、ファラがランプを掲げた方の肘の辺りをさすりながら口を尖らせた。
「急に出てきといて何言ってんだよ! お前の肘打ち脳天にくらったら、キールあたりならひっくり返るぞ」
「だってリッドは丈夫が取り柄だもんね」
「どこが『だって』なんだどこが……」
 何やら語尾を弾ませて言うファラに、オレは肩を落とした。笑いながらオレの隣に腰を下ろすファラを横目で見やる。
「なんだ、眠れないのか?」
 ファラがううん、と首を振った。ダークグリーンの髪が頬の辺りではねる。
「テントの前で、火の番をしてたの。メルディが疲れてみたいだから代わって……ちょっとうとうとして目が覚めたら、リッドの姿が見えないし」
「別にお前が火の番なんかしてなくたって、気配がしたら起きるさ。寝てろって素直に」
「わたしが近寄っても気付かなかったくせに」
 笑いながらファラはランプを横に置いて、背中から倒れ込むようにして寝っ転がった。
「何考えてたの?」
 ファラの声が後ろから問いかけてくる。オレはそっちを見ないまま、後ろに向かって手をひらひらさせた。
「別に。ま、強いて言えば、また向こうに行くんだなとか、そんなこと」
「そうだね。またしばらく、こっちともお別れだね」
 当たり前の空の色、当たり前の風、当たり前の海の色。当たり前だと思っていた、いろんなこと。
 ちっとも当たり前でなかった、いろんなこと。
「……オレが覚えてる、一番昔のことを思い出してたんだよ」
 ファラの顔が見えなかったから、ぽろっと口に出た。
 下草と、何かの擦れる音。寝ころんだまま、ファラが何か身動きをしたんだろう。
「昔って……昨日とかじゃないよね?」
「――オレを馬鹿にしてるだろ」
 心底気遣わしげな声に言い返すと、抑えた笑い声が聞こえた。
「わたしたちが小さい頃の事? リッド、そういうの結構覚えてるよね」
「まあ、ガキの頃のひとつ違いはでかいからな」
 例え、一時期ファラに背くらべで追いつかれかけても、あの頃はまだオレの方が断然『お兄さん』だった。
 少なくとも、ファラのお袋さんは、そう扱ってくれていた。

 

『やだやだやだ! リッドかえらないよ、ここがリッドのおうちだもん!』
『何言ってるの、リッドのお父さんが帰ってきたんだから、リッドはおうちに帰るのよ。明日また遊べるんだから』
 涙をいっぱいに溜めた大きな瞳が、そのままこぼれるんじゃないかと思うほどにお袋さんを睨みつけて、そしてファラは勢いよく体全部でいやいやと首を振った。
『だって、おきたらリッドいなかったらやだもん! おむかえこないことあるもん!』
『リッドだって、お父さんと出かけることだってあるの。いい子だから、ちゃんとリッドにおやすみなさいを言いなさい、ファラ』
 繰り広げられる親子げんかに困って、オレは父さんを見上げる。
『リッドうちのこになるもん! ずっといっしょだもん』
『ファラ、あんまりわがまま言わないの』
 ちょっと厳しくなったファラのお袋さんの声にもめげず、ファラはとうとう地団駄まで踏みだした。
 それまでやりとりを見守っていた父さんが、オレに目を向けて、片目をつぶって見せる。
 仕方なく、オレはお袋さんに拘束されかかっていたファラに近づいた。
『――きょうは、おれ、かえるから』
 ぴたりと口をつぐんで、ファラがオレを見詰めた。と、その目からまた新しい涙がこぼれるのを見て、オレは慌てた。
『あした、またさそいにくるから! きょうはかえるけど、あしたもいっしょだから。な? だから泣くなよ』
『ほんと?』
 ファラが首を傾げる。オレは勢い込んで頷いた。
『ほんと。やくそくするから、ちゃんとくるから』
『やくそく!』
 今泣いていたのに、もう笑ってる。ファラは涙で濡れた頬のまま、オレに抱きついてきた。
『うそついたら、だめだからね! あしたはファラのとこくるの、わすれちゃダメだからね!』
『わかった、わかったから、おやすみファラ』
『うん、おやすみ!』
 転びそうになっているのをなんとか踏みとどまって、あったかい背中をぽんぽんと叩いて、オレはファラを離した。
 角を曲がるまで戸口で手を振ってるファラに、いちいち立ち止まっては手を振り返して、星明かりを頼りに道を歩く。
 ファラの声も聞こえなくなったとき、父さんが、えらかったぞ、と頭を乱暴に撫でてくれた。ファラの背中と同じくらい、その手はあたたかかった。

 

「ね、どんなこと? 一番古い思い出って」
 ファラの問いかけに我に返る。
 何も失うことはないと、明日も今日と変わらない日であると、単純に思っていたあの頃。
 ……しかし。
「――なんか、今も昔も変わらないオレの苦労の歴史の出発点のような……」
「リッドのどこが苦労人なのよ」
 苦労の原因があっけらかんと言い返してくるのに、俺は眉間にしわを寄せた。
「よく言うぜ。どっからどう見ても、苦労の固まりじゃないか」
「苦労人ってのは、例えばキールみたいな人を言うのよ、きっと」
「いやまあ、確かにアイツはアイツで苦労してるんだろうけどさ、いろいろと」
「特にメルディにね」
 くすくす笑いながら、ファラはその場に一動作で跳ね起きた。ランプを地面から取り上げて、片腕だけで伸びをする。
「さぁて! 見張りはリッドがしてくれるみたいだし、わたしは寝よっかな」
「――何ィ?」
 オレの呻きにも構わず、軽い足どりですたすたと火の方に歩いていく背中が、不意に止まった。そのまま、身じろぎもしない。
 振り向かないまま動かないファラに、オレは声をかけなかった。
 何か言いたいんだろう。うながしたら、きっとファラは振り返って何でもないと笑って終わらせる。
 ふわりと、慣れ親しんだ風が下草をゆらした。セレスティアとは違う空気。
「……あのね、リッド」
「ん?」
 うまいオムレツを作る、ファラの手。モンスターだって殴り飛ばす、ファラの手。その拳を固く握りしめて強張った肩が、わずかに震えた。
「いつか、わたしの話を、きいてくれる?」
 小さな声だった。けど、やけにはっきりと聞こえた。
 笑えなかった。ファラがこちらに背中を向けているのを幸いとばかりに、オレは思うとおりに動かない顔の筋肉に無理強いをさせなかった。
「ああ」
 一言だけ返す。
 ファラの肩が、びくりと大きく上下した。
 そして、振り向いたファラはオレの見慣れた、いつもの顔で笑っていた。
「約束!」
「……わかったよ」
 あんまりひさしぶりに思い出したから。
 だから、だぶったんだろう。懐かしい記憶と。
「おやすみ、ファラ」
 上手く笑えたらしい。疑いもせず、ファラはランプの光の中でこくんと頷いた。
「ん。おやすみ、リッド」
 小さくなっていく背中を見送って、オレは空を見上げた。
 満天の星空。小さなファラが欲しがった、星のかけら。
 聞くから。いくらでも聞いてやるから。
 それで、お前が笑うのなら。
「……だから、オレの見えないとこで泣くんじゃねぇぞ」
 簡単に言えなくなった言葉を、小さく呟いた。

 

―了―