空の涙

Tales,小説リファラ

テイルズオブエターニアの、ゲーム本編終盤付近の、ファラとメルディのお話です。

※ほんのりとリファラ&キルメル要素あります

お好きな方はどうぞ!


 

 メルディが歩くとき、目の前には、いつも二つの背中があった。
 オレンジ色のエプロンドレスを飾るリボンが元気良く翻る背中と、いまいち背筋が伸びきらないのんびりした背中と。それは並んだり、追い越したりじゃれたり口喧嘩したりしながらも、いつでも二つ並んでいるのが当たり前のことだと思っていた。
 一度だけ、オレンジのリボンは彼の背中の隣から消えたけれど、それだってすぐに戻ってくるとわかっているものだった。
 なのに、今はそれが一つしかない。オレンジのリボンも、いつもほど元気良く動かない。それどころか、しゅんとうなだれているようだ。
 思わず自分までしょんぼりしながら、メルディは足元にじゃれついてくるクィッキーに「おいで」と手を差し伸べた。
 心得たように腕の中に飛び込んでくる小さな友だちを抱きしめて、メルディは傍らを歩くひとを見上げる。
 彼が誇りにしている白いマントが風に翻った。視線に気付いたのか、後ろで無造作にまとめられた青い髪が動く。なんだ、と言いたげな目線がメルディを見下ろしてきた。
「……ファラが」
 ぽつりと呟くのに、キールが顔をしかめる。深い吐息をついた彼は、前を歩く背中に向き直った。
 その先には、足どりだけはやけに急ぎたがっているくせに、いつもの闊達さのかけらもないファラが居る。何度確認しても同じその後ろ姿から、キールは目を逸らした。
「残念だが、僕たちにはどうしようもないな。とにかく一刻も早くリッドを見つけるほかないんだが」
「メルディは出来ること、何かないか?」
 泣きそうな顔で尋ねるメルディに、キールは静かに首を振った。そうしてから、あえて言うならと口を開く。
「いつもの通りにしてやれ。今のファラに一番足らないのは、『今まで通り』だから」
 そうだな、と呟いて、メルディは自分の頬をぺちりと叩いた。口角を引き上げ、笑顔を浮かべてからファラに駆け寄る。
「なあな、ファラ、メルディおなかすいたよー」
 エプロンの紐を掴んで訴える。はっと我に返った様子のファラが、足を止めた。
 今まで表情がなかったその顔に、やっと笑みらしきモノが浮かぶ。
「わ、ホントだ。もうお日様があんな高いね。よーし、じゃあごはんにしよっか。キール、薪いくつか適当に拾ってくれる? メルディ、水筒出して。それから――」
 ふ、とファラが口をつぐんだ。それを怪訝に思って見上げたメルディは、その瞬間見上げたことを後悔した。
 ファラは、リッド、と続けようとしたのだろう。今はここに居ない人の名前を、当たり前に口にしようとして、そしてその名前の主が居ない事実に直面してしまったのだろう。
 これが、泣き出す寸前の様子ならまだよかったのかもしれない。けれど、ファラにはただ表情がないだけで、その名前を紡ごうとした唇は開いたままだ。
 どうしようかしばらく迷った末に、気付かないふりで、メルディは水筒をファラに差し出した。
「なあファラ、お昼は何か? メルディはおこげサンドが良いよー」
「え? あ、うん、そうだね。材料もたぶん足りるし、そうしよっか」
 メルディを見る榛の瞳は細められていて、唇は笑みの形をとっていた。けれど、それはメルディの好きな、眩しいインフェリアの太陽みたいなファラの笑顔ではなかった。
 少しでも、ファラがつられて笑ってくれるよう祈るような気持ちで、メルディはいつも通りに食事の支度を手伝い始める。
 その様子を見守りながら、キールは溜め息をついていた。

 それは、一昨日のことだった。
 普通の、なんでもない道中のモンスターとの戦闘のはずだったのに、場所が悪かったのだろう、とメルディは思う。
 森の外れに沿って街道を進んでいた時だった。谷底に続く崖を背にするようにして戦っていた最中、モンスターの攻撃を避けようとしてファラが脚を滑らせて崖から落ちそうになったのだ。間一髪、その腕を掴んで引き上げたリッドが、ファラと入れ替わるようにして転落してしまった。
 なんとかモンスターを片付けて、半狂乱でリッドを呼び続け崖を降りようとするファラを押しとどめ、出来る範囲で捜索してみたが、呼ぶ声に返事もなければ姿も見つからない。
 近くには崖を降りる道は見つからなかった。下手に行き違いにでもなった日には目も当てられない。とりあえず、はぐれてしまった場所に近い木にリッドにもわかるように目印をつけ、毎晩そこに戻るようにしながらあちこちを探し続けていたが、もう三日が経つ。
 ファラからは笑顔が消え、そうなると自然にパーティからも明るさが消えた。
 ただ黙々と探し続ける道中で、縋るような気持ちでメルディが見上げても、キールですらどうしようもないと言いたげに静かに首を振るだけだ。
 大丈夫か、と問いかけても、ファラは大丈夫としか言わない。やだ心配しなくてもリッドならぴんぴんして帰ってくるよ、と、そう言うファラが一番それを信じたくて、でも信じられていない。
 それがわかるのに、どうにもできない。
 今夜で三日連続になるというのに、ファラは野営の火の番をかって出た。代わろうとしたメルディを、キールがやめておけ、と止めた。
 キールの言い分もわからなくはない。やりたいようにさせてやれ、というのだろう。それはきっと、キールなりの優しさなのだ。ちゃんとわかっている。
 それでもやはり放っておけなくて、毛布にくるまったままメルディはファラの隣に座り込んだ。
 キールの寝息が聞こえ始めても、メルディはファラの隣で焚き火を見つめていた。膝の上のクィッキーの、柔らかな毛並みを指で梳く。
 例えば、クィッキーが居なくなってしまったら。きっと、メルディは今のファラのように必死に探し続けるだろう。仲間の誰が欠けてもきっと見つかるまで一生懸命探すだろうが、でもきっと、ファラの喪失感は、ただの旅の仲間を失ったそれではない。
 メルディにとってのクィッキーのような、心の柔らかいところを預けてしまってる相手を失うかもしれない、その恐れ故の痛みだ。
 メルディは、リッドとファラが一緒に居るのを見ているのが好きだった。初めて会った時、言葉がまだ通じていなかった頃から、二人はごく自然に並んで立ち、当たり前のように互いの役割を担っていた。
 インフェリアの習慣や文化に疎いメルディには、ひょっとしてこの二人はセレスティアで言うところの夫婦の契約を結んでる人たちなのだろうかと思ったほどだったのだ。
 横目で、隣のファラを盗み見る。ぱちん、と薪のはぜる火を仇のように睨みつけながら、ファラは固く拳を握りしめていた。炎の灯りに照らされてもなお、その関節の部分は白くなっている。
 メルディは、クィッキーをそっとファラの膝の上に押しやった。飛びのってきたクィッキーに我に返ったのか、驚いたように拳を解いてこちらを向くファラに、笑いかける。
「ファロース山で」
 ぽつりと唐突に呟かれた地名を耳にして、肩によじ登ろうとするクィッキーを抱いて止めながら、ファラが首をかしげた。
「ファラ、メルディ達とはぐれたことあったな?」
「……うん、あったね」
 どこか遠くを見るような瞳で頷くファラに、メルディは膝の間に片頬を埋めながら呟いた。
「その時がリッドみたいよ、ファラ」
「――リッド?」
 ぴく、とファラの手が止まった。宙ぶらりんのままのクィッキーが、じたじたと手足をばたつかせるのに気付いて、慌てて膝の上に下ろす。
 クィッキーとファラの様子にちょっと笑って、メルディは顔を上げた。
 きっとリッドのことだから、あの時彼がどんなだったか、どんなにファラを心配していたかだなんて、彼女に言っているはずがない。
 それをファラに教えてしまうのは、リッドには申し訳ないかもしれない。けれど、今ファラがこんなに苦しがってるのはリッドのせいなんだからいいか、と勝手に決めて、メルディは続けた。
「リッドはずっとムクチだったよ。ファラがこと心配して。でも心配かって聞くと怒る。キールはいっぱい呆れてたな」
 ファラが笑った。とても小さくて、泣きそうだけど、これは本当の笑顔だ。くすくす笑いながら、膝の上のクィッキーの耳の下を優しくかいている。
「ちゃんと会えたとき、リッドってば、全然そんな様子なかったのに。えらそうに憎まれ口たたいてなかったっけ?」
「オトコノコは無理するもんだって、サグラよく言ってた」
「ふふ」
 笑ったファラが、クィッキーを抱きしめた。伏せられたその顔には、焚き火の灯りは届かない。
「ホントに……無茶ばっかり、なんだから」
「クィ?」
 心配そうに鳴くクィッキーの声に、メルディはしーっと人差し指をたてた。泣き声も聞こえなかったし、肩も震えなかったけど、ファラはそうやって泣いているのだろう。
 少しだけでも、泣かせてあげたかった。なんでもないふりなんてしなくてもいいのに、と思いながらも、そうは言ってあげられなかった。
 だから今は、メルディがかわりにちょっとだけ助けてあげてな、クィッキー。いっつも、メルディのこっそり泣くとき、そうしてくれるみたいに。
 声にしない呟きは伝わったのか、クィッキーは薪が崩れる音にファラが「いけない」と顔を上げるまで、おとなしくファラに抱かれていた。
 メルディは空を見上げた。この空の下で、リッドが同じように見上げてるといいと思いながら。
 まるで天蓋の様に頭上を覆う木々の隙間からは、星を見ることはできなかった。
 雨が降らなければいいけれど、と、一人でいるはずのリッドを思った。

 リッドがいない、ということは、必然的に大幅な戦力ダウンを意味する。なんだかんだ言っても、後衛に位置する術士二人を庇いきるには、ファラ一人では荷が勝ちすぎるのだ。
 自然、クィッキーに助けられるメルディは詠唱の短い術で牽制し、ファラはキールを主に庇いながらの戦いになる。大きな術で確実に仕留めるために、キールはオレンジグミと仲良しになっていた。
 しかし、それだって限界が来る。怪我人が運ばれていないかどうか確かめてみるのを兼ねて一度近くの町に補給に行くべきではないかというキールの意見に、渋っていたファラもとうとう賛成したその道すがら、フライングソールの群れに襲われたのだ。
 リーチの長い攻撃に、格闘技主体のファラがじりじりと押されていく。キールの詠唱が何度も邪魔され、クィッキーも弾かれてしまい、メルディに襲いかかろうとしたモンスターの前に、ファラが飛び出てきた。
 メルディは反射的に固く目を閉じた。ダメだ。出て来ちゃダメなのに、ファラが。
 ざん、と肉を割く音に、メルディは思わず歯を食いしばった。どさりと重い地響きが立ち、おそるおそる目を開ける。
 そこには、ファラは倒れていなかった。メルディを庇うように、両手を広げて、勢い余ったのか尻餅をついているが、倒れては居ない。
「ファラ!」
 駆け寄ろうとしたメルディは、もうひとつあがったモンスターの断末魔に弾かれたように顔を上げた。綺麗に両断されて地に落ちるフライングソールの向こうで、剣から汚れを振り落としているのは、ずっと見ていなかった仲間のもの。
 普段篭手が巻かれているだけの腕の上腕部には、だいぶ薄汚れた包帯が巻いてあるが、それ以外は崖に落ちてはぐれてしまったときと寸分違わぬ、リッドが立っていた。
「……リッド?」
「おう」
 ファラが呆然とした声音で呼んだ名前に、応えがあった。メルディもキールも、剣を鞘に収めようとするリッドに駆け寄る。足もあるし、触っても消えない。
「リッドー! どこもなんともないか? 腕どうしたか!?」
「お前、よく無事で! どうしてたんだ、全く」
 問い詰める二人の前で、リッドは決まり悪げに紅い髪をぼさぼさにかき回した。そんな仕草も、前のままだ。
「んー、気がついたら崖の途中の樹にひっかかってたみたいでよ。ちょっと腕はやっちまってたんだけど、グミ持ってたし添え木も出来たし、それでなんとかして上に登れるとこ探して」
 あっけらかんとしたリッドの説明に、キールが呆れたような息を吐く。メルディ、と名前を呼ばれて、彼女はクレーメルケイジを取り出した。手早く呪文を唱えて生まれた癒しの光を、リッドの腕にかざす。
「まったく、無茶をする。それで、僕たちを捜していたのか?」
「サンキュ、メルディ。まあオレほっといて先に行くとは思わなかったし、はぐれたところまでまず戻ろうと思ったんだけど迷っちまってよ。そしたらなんかデカイ音が聞こえたから」
「でも、リッド無事、よかったよー!」
 呪文を唱え終え、心底から笑って告げるメルディの頭に、ぽすん、と大きな手のひらがのっかった。その手は、グローブ越しなのに、何故か暖かい。
「まー、お前らも無事でよかったぜ。……ファラ?」
 いつもなら真っ先にとんできて、無事を確かめようとするであろうファラが、ずっと立ち尽くしたままであることに気付いたリッドが、訝しげにそちらに向き直った。
 メルディとキールが、それぞれ一歩ずつ引いて道を開ける。その二人に片手をあげたリッドがゆっくりと歩み寄った先で、エプロンの前を両手で握りしめているファラの手が、細かく震えていた。
 それを認めたのか、リッドは細く長い息をゆっくりと吐いた。
 ファラの瞳が、瞬きもせず、正面にやってきたリッドを見上げている。それに目線を合わせる様にして、リッドは背と膝を少しだけかがませた。
「――大丈夫か?」
 ファラの瞼が、ゆっくりと瞬いた。一度、二度。
 そして、その唇が不意に震える。
 溜め息混じりに笑んで、リッドはファラの肩に手を置いた。
「ファーラ?」
 ひどく優しい声音で名前を呼んで、リッドが何かをうながす。ファラの顔が、くしゃくしゃに歪んだ。
「大丈夫、じゃ、ない……っ!」
 一声叫ぶように吐き出したファラが、そのままリッドに体当たりする勢いで抱きつく。そしてひとつ息を吸い込むと、まるで火がついた様に泣き始めた。
 驚いたクィッキーが、思わずメルディの肩に飛びのるほどの泣き声に、メルディはキールの方を振り返る。いくらなんでも、あんなに泣いたらファラが壊れるのではないだろうかと思ったのだ。
 呆然とした様子で二人を見ていたキールが、ややあってメルディの視線に気付くと小さく首を振った。リッドがはぐれてしまってからもう数え切れないくらいの、そっとしておいてやれ、だ。
 こくりと頷いてから、メルディはそっと肩のクィッキーを下ろして腕に抱えた。
 いつもは元気良くまっすぐに伸びているファラの背中が、今は小さく丸くなって、リッドの腕の中に収まっている。森の色の頭を、リッドの包帯が巻かれた腕が抱え込んでいた。
 メルディは微笑んで、クィッキーの青いふわふわの毛皮に顔を埋める。
 ――良かったな、ファラ。
 リッドが居ない間のファラの、作り物めいた笑顔を思い出しながら、メルディは小さな背中に向かって呟いた。
 大丈夫大丈夫。イケるイケる。リッドならきっとぴんぴんして『よぉ』とかって帰ってくるんだから。そう言いながら、ちっとも笑ってなかったファラが、今やっと声をあげて泣いている。
 キールにうながされて、ひとまずキャンプの準備をするべく荷の方へ踵を返す直前に振り返った先で、困ったように笑いながら、リッドが小さな背中をゆっくり叩いてやっているのが見えた。一言二言、何か声をかけているようだが、それは聞こえない。
 隣を歩くキールを見上げる。その顔にもやはり笑みが浮かんでいて、メルディは胸いっぱいに息を吸い込んだ。
 やっと、いつも通りが帰ってきたのだ。くすぐったいような幸せな気分と一緒に。思わずスキップすると、クィッキーが真似て跳ね始めた。キールが呆れたように、転ぶぞ、と声を掛けてくる。
 ファラが泣きやんだら、お茶を出してあげよう。きっとお茶を飲んだら、ファラは笑ってくれるだろうから。
 まずはやかんとお茶の葉を取り出そうと決めて、メルディは荷解きに取りかかった。

 

―了―