明日への約束

Tales,小説リファラ

テイルズオブエターニアの、ネレイドの迷宮攻略中のファラのお話。

※ほんのりリファラ要素あります
※ねつ造要素あります

お好きな方はどうぞ!


 

 

 どくん、どくん、と音が聞こえる。
 鼓動の音によく似ている。体中が耳になっているように、うるさく響く鼓動の音。
 耳をふさぐ。でも聞こえてくる。
 目をギュッとつぶって、そっと開ける。でもそこにあるのはさっきまでと何も変わらず、まるで何か生き物の体の中のような、薄暗い狭い通路。
 ファラは唇を引き結ぶ。奥歯をかみしめて、そっと耳から両手を離し、こくりと唾を飲み込んだ。
 なんだか首元のチョーカーが苦しいような気がして、手をやる。
「……リッド……?」
 先程までは、確かにそこにいた人の名を呼ぶ。夕陽の髪に、空色の瞳。のんきでめんどくさがりでぶっきらぼうの、けれど誰より頼りになる幼なじみ。
「キール?」
 やせっぽっちの体にたくさんの知識と好奇心を抱えた、もうひとりの幼なじみ。彼も確かに、先程まで居たのに。
「メルディ……?」
 淡い紫の髪と瞳の、異国の少女。細い体に精一杯の勇気を蓄えて、空から降ってきた彼女の名前を呼んでも、返答はない。
「チャット? フォッグ?」
 船と誇りを何より愛する小さな海賊船長と、妙に人をひっぱる力のある不死身の自由革命軍リーダーも、そこには居ない。
 どくん、どくん、と、また音が大きくなる。
 これは自分の心臓の音だろうか。それとも、なんだか生き物のように動いている、この床と壁と天井から聞こえてくる音なのだろうか。
 ひとりは嫌。
 ひとりは嫌い。
 隠れていろと、母に押し込められたあの地下蔵で、耳をふさいでも悲鳴と建物の焼け落ちる音が聞こえてきた、あの日を思い出すから。
 自分の体から飛び出すんじゃないかと思った、あの心臓の音が甦るから。
 ぎゅっと目を閉じる。
 駄目だ。助けを待ってるだけでは、何も変わらない。
 とにかく進まなければ。そうしないと、捕まってしまう。
 何に?
 首を振った。今は何も考えるな。
 手を見る。修行と、農作業であまり女の子らしくない手。傷もない。思い通りに動く。
 足を見る。どこもなんともない。橙色のエプロンドレスも、ちゃんとそのまま。
 歩ける。戦える。大丈夫だ。
 すう、と息を吸い込んで、ファラは頬をぴしゃりと叩いた。
 とにかく、この変な場所の入り口までみんなで来たことは確かなのだ。
 周りの様子をうかがっている間に、どうしてだか消えてしまったけれども、入ってきたのは確かだ。
 進もう。
 目は逸らさない。耳もふさがない。うずくまったりしない。
 失いたくないモノが、心の中にある限り。

「血路を開く、とは、よく言ったものだ」
 ぜいぜいと、肩で息をしながらキールが言う。剣を振って魔物の体液を振り落としながら、リッドは辺りを見回した。
「ったく……全然先が見えねえな。このままじゃ」
 あんまり良くない未来を口にしかけて、リッドはいったん言葉を飲み込んだ。視界の端に動くものを認めたからでもあるが。
 鞘にしまい直す暇もなかった剣を、もう一度構え、リッドは破顔した。緊張を解いて、声を張り上げる。
「メルディ! こっちだ!」
 人影がこちらを振り向く。続いて、勢いよく手を振ると、三つの人影が走り寄ってきた。
「リッド、キール! ワイール! 無事で良かったな~!」
 紫の髪を二つに結わえた少女が、まだへたりこんでいるキールに体当たりをかける。その様子を横目に見ながら、右肩に大砲を、左肩にチャットを担いだフォッグにリッドは手を上げた。
「どうしたんだ? チャット」
「おう、アレだ。 ここがな」
 言ってフォッグがチャットの足を指さす。簡単に止血はしてあったが、かなりひどい傷があった。
「キール!」
 呼ぶと、キールが分かっていると頷き、杖をかざした。
「キュア」
 暖かな光がチャットの足に降りそそぎ、吸い込まれるように消えていく。フォッグがかがむと、チャットは海賊帽を押さえながら飛び降りた。
「ありがとうございます、キールさん。……ファラさんは?」
 きょろきょろと見渡すチャットに、リッドは首を横に振った。
「まだだ。この調子だと近そうだけどな……キールともさっき合流したばっかだ」
 辺りを見回す。獣の内蔵のような色をした、この生きているような壁を見ているだけで気が滅入るが、その中にあのオレンジ色のエプロンが見えないかとリッドは目を凝らした。
「ファラなら大丈夫だろう。傷の手当てもひとりで出来るし、滅多なことはないさ」
 励ましのつもりなのだろう。キールの言葉に曖昧に頷きながら、リッドはメルディ達が現れたのとも、自身がやって来たのとも違う道に目を遣った。
 ひとりで大丈夫。それは、ファラがよく言う台詞だった。
 ウソだ。
 そうなりたいから、口癖のように言ってるだけなのを、リッドは知っている。
 今は、分かっている。
「進めるか、みんな?」
 口々に、肯定の声が返ってくるのに頷いて、リッドは足を踏み出した。
 しばらく、キールにくっついていたメルディが、リッドのウエストポーチのベルトを掴んでひっぱった。
 振り向くと、メルディが、何かをこらえるような表情で、あのな、と呟く。
「……リッド、感じるか? ここは……」
「分かってる」
 言葉の途中で、リッドは頷く。
 彼の中にある力と反発しようとする気配。あの、丘の地下にあったのと似た空気。
 だとすれば、メルディには辛いはずだ。あの場所で、封印されていたネレイドの残滓に乗っ取られかけた影響は、メルディにかなりの疲労を与えていたのだから。
「大丈夫なのか?」
「へーき。みんな居る。だからだいじょうぶ」
 笑ってみせるメルディの頭を軽く叩いてやってから、心配顔で様子をうかがっているキールに目配せする。心得たようにやって来たキールが、メルディの隣に並んだ。
「……ネレイド、か?」
「ああ。居るな。まさか他にも居たなんてな……」
 肩に乗っているクィッキーを腕に抱き直すメルディに、キールが何か話しかけているのをぼんやりと右から左に流しながら、リッドは前を見据えていた。
 この先に、何が待っていても、なんとかする。
 なんとしてでも、切り開いてみせる。
 けれど、ファラが居なかったら。この先にファラが居なかったら、果たしてそう思えるだろうか。
 リッドは、ひとりで苦い笑みを漏らした。
 何のことはない。ファラを心配していたつもりが、頼っているのは自分ではないか。
(待ってろ)
 唇は動かさないまま、そう告げる。
 ひとりで、置いてけぼりにしたりしない。
 必ず、一緒に帰るのだ。

 こんなところでも地響きってたつんだ。
 ぼんやりとそんなことを思いながら、ファラは額の汗を手の甲で拭った。
 目の前には、襲いかかってきたモンスターが倒れている。いつもは常に誰かがサポートしてくれるが、今は誰も居ない。
 瞼を下ろして、深呼吸をする。
 捕らわれるな。怖がるな。大丈夫だ。
 言い聞かせて、目を開けようとしたとき、リッドの声が聞こえた気がした。
 歩き出してから、何度も聞こえたような気がして探すのだが、結局見つからないという落胆を繰り返してきたファラは、一瞬目を開けるのを躊躇した。
 また、誰も居なかったら。
 これが空耳だったなら。
「ファラ!」
 目を開ける。
 声のした方を振り向く。
 見えた、赤い髪の、見慣れた姿に向かって、ファラは駆け出した。みんな居る。キールも、メルディも、チャットもフォッグも。
 夢中で走る。体の重さなんて忘れた。腕にある傷も気にならない。
「リッド!」
 短い距離なのに、名前を呼んだ人の表情も瞬きする様子もはっきり見えたほどだったのに、やけに遠いような気がしたが、辿り着く。飛びつきたいのをこらえて、ファラは泣き笑いのような表情で怪我はないかと尋ねてくる人の顔を見上げた。
 晴れた、青い空の色。
 今は見えない、空の色。
 その瞳に、ちゃんと泣きそうな顔の彼女自身が映っている。肩に触れてくる手は、手袋越しでもちゃんとした存在感を感じる。
「バイバ!」
 悲鳴のような声が上がった。メルディだ。
 反射的に剣を抜いてリッドが振り向く。合わせてファラも基本の型を取った。
 そして、リッドとファラは同じ表情で愕然とメルディの細い指が指す方向を見つめた。

「……英雄……」
「レグルス――?」

 幼い頃の遊び場だった、湖の畔にある銅像の面影を宿した人の形をしたモンスターが、そこに居た。 

 

 何で出来ているのか分からない床と、布地の擦れる音にリッドは視線を巡らせた。
 シゼルの心象風景だろうという、この迷宮でも火は焚ける。あの、かつての英雄が奥にいた場所――キールはネレイドの迷宮と呼んでいたが――では焚けなかったが。
 そんなことを思いながら、リッドは音の発生源を見つけた。
 体を起こして、くるまっていた毛布から抜け出したファラと目が合う。ごくろうさま、と、彼女は小さく笑ってみせた。
 まだ眠っている仲間たちを起こさないよう、リッドは起き出してくるファラに小声で問いかける。
「どうしたんだよ? 疲れてんだろ」
「それはリッドだってそうでしょ?」
 笑うファラの笑顔に力がない。彼女自身もそれを自覚しているのか、目を伏せてしまった。
 隣座るね、と宣言して彼女はすとんと腰を下ろした。そのまま、じっと焚き火を見つめている。リッドはひとつ息を吐いて、焚き火に新しい薪を放り込んだ。
 薪のはぜる音だけが、辺りを支配する時間がしばらく続く。が、沈黙を破るように、ファラはリッドの名前を呼んだ。
「……びっくりしたね」
 ぽつりと呟いたファラの横顔を、ちらりと横目で盗み見る。そして、リッドは唇の端だけで笑って、頬杖をついた。
「ま、あんまり長居したいところじゃなかったな」
「それもそうだけど。……レグルスが……」
 最後まで言い切れずにファラは口をつぐむ。だが、彼女が飲み込んだ言葉が何を指しているのかは聞かずともわかっていたので、リッドもまた軽く目を閉じた。
 今も、あのレグルスの姿が瞼の裏に残っている。何も見ていないような目にはただぎらぎらとした光だけがあって、その体から放たれるのは紛れもない闇のフィブリルの力で。
 英雄だと寝物語に聞かされ続けてきたレグルス。インフェリアを襲った邪悪な災厄から世界を守ったその人の物語は、ずっと語り続けられてきているけれども。
「よく考えたら、レグルスが邪悪なものを倒した後……まあネレイドだったんだけど、その後どうしたかなんて聞いたこともなかったな」
「うん」
 頷いたファラは、わずかにためらいながらリッドの顔を見上げた。その顔は焚き火のゆらめく灯りを受けて、ひどく不安定に陰影を変える。
 眉一つ動かさないリッドの横顔が、何を考えているのか分からなくて、ファラは彼の肩に額を乗せた。
 リッドが、肩に掛かった重みに我に返る。
「どうした?」
 体は動かさないまま、リッドは頭だけ動かしてファラに視線を落とす。深緑色の頭が、かすかに動いた。
「──怖いよ」
 胸の奥から押し出すように紡がれた言葉に、彼は瞬きをした。二度、三度。
 ファラの弱音。不安や恐れを外に出したがらない、彼女のそれを聞くのは、昔から彼の役目で特権だった。
 だからリッドは、ファラがくっついているのと反対側の手で、そっと頭を撫でてやる。
 幼い頃、彼の父がそうしてくれたように。ファラが、ファラの父にそうして貰っていたように。
「何が?」
 息を吸い込む気配が、ファラが預けている重さの変化で伝わってきた。絞り出すように、ファラがもう一度口を開く。
「レグルスが昔、エターニアを守るためにネレイドと戦ってああなっちゃたんなら、リッドだって同じようになっちゃうかもって、そう思ったらどんどん嫌なことばかり考えちゃって」
「……ファラ」
 考えないこともなかった。あの黒い霧のようなもの。ヒアデスを覆い、メルディにまとわりつき、レグルスに宿っていたもの。
 ファラの父を、乗っ取ったもの。
 あれがネレイドであるならば。もし戦って倒したとしても、その支配していた体は滅びても、またネレイドはよみがえる。ネレイドをあの丘に封印してもなおネレイドに支配されていた英雄と同じようにならないと、誰に断言できる?
 気分を切り替えるように、リッドは小さく息をついた。肩に預けられている頭から、無理矢理視線を引き剥がす。
「考えすぎだよ」
 その言葉は、ファラに向けてのものなのか、彼自身に向けたものなのか、リッドにもよくわからなかった。
 気休めでは、ファラは納得しないだろう。ファラの不安を取り除いてやることは出来ないだろう。
 どう言えばいいのか考えを巡らせていた彼の耳に、小さな呟きが届いた。
「ん?」
 もう一度目を落とす。相変わらずうつむいてリッドの肩に額を預けたままのファラの、くぐもった声が、約束して、と告げた。
「約束して。絶対に犠牲にしたりしないって、リッドを……エターニアと引き替えたりしないって」
 リッドは眉をひそめた。
「あのな、オレがそんな」
 殊勝なことをするかよ、と続けようとしたリッドの胸ぐらをつかんで引き寄せるようにして、ファラが唐突に顔を上げる。
「約束して!」
 炎の赤い光を映し込んで、榛の瞳がきらっと光った。涙かと瞬間どきりとするほど、見上げてくるファラの表情はせっぱ詰まった色を帯びて歪んでいる。
「お願い。助かったって……そんなんで助かったって、全然嬉しくなんかないんだから」
 少しずつ弱くなっていく訴えを、どんな言葉より雄弁に見上げてくる瞳が補う。
 一人にしないで。
 置いていったりしないで。
 ここにいて。
 一人を嫌うファラ。置き去りにされてしまう恐怖は、きっとどれほどの時間が経とうとも彼女の中に根強く巣食っているのだろう。
 リッドには、手に取るように解る。
 それは彼の中にもあるものだから。
 まだ幼い世界の温かいヴェールを根こそぎ剥ぎ取られたあの傷は、彼女と彼とを繋ぐもの。それぞれのやり方で乗り越えようとして、結局一人では何も埋めることの出来なかったもの。
 リッドはため息をつき、そっとファラの肩に手を置く。
 ファラの瞳が、少し潤んだような気がした。リッドはその肩を軽く叩いて、ひとつはっきりと頷いてみせる。
「わかったよ。約束する」
 ようやくほっとしたように力を抜いて、ファラがリッドから離れた。焚き火に燃料を足して、彼女は膝を抱えて顎を膝の間に埋めるようにして呟く。
「……わたしが代われたらいいのにな。そうしたら、リッドばっかりにしんどい思いさせなくていいのに」
 リッドは小さく吹き出した。
「そりゃダメだ。お前が一番危なっかしいよ」
「何よ、わたしがそそっかしいって言いたいの?」
「わかってんじゃねえか」
 唇を尖らせて睨み付けてくるファラに笑いかけながら、リッドは寝るように促した。が、ファラはふるふると首を横に振る。
「眠気覚めちゃった。もうちょっと起きてていいでしょ?」
 リッドは苦笑しながら毛布を放り投げた。
「風邪引くぞ。くるまってろ」

 そして、ふたりはいろんな話をした。
 昔、ファラの母がよく作ってくれたポテトのパイのこと。
 リッドの父が仕留めた大きなベアを背負って帰ってきたとき、ファラが泣き出したこと。おじさんがベアに食われてると思ったんだもんと、ファラはその度に口をとがらせる。
 新年の祝いでセイファートに捧げるためのお菓子を間違って食べてしまい、慌てて無くなった分がわからないように飾りなおしたこと。
 これからのこと。
 これが終わったらラシュアンに帰って、まず家の掃除をして、ファラは畑を手伝って。
 前と同じ暮らしを取り戻して。あの見張り台も直して。
 なんでもリッドの好きなもの、おなかが破裂するくらいつくってあげる、とファラが笑う。
 そりゃ張り切って帰らねえとな、とリッドも笑う。
 そんな風に、二人はひそひそ声で、たまに忍び笑いを漏らしながら、みんなを起こす時間まで語り合った。

 

―了―