虹の下で

Tales,小説キルメル,リファラ

テイルズオブエターニアの、エンディング後のお話です。

※リファラとキルメルの恋愛要素があります

お好きな方はどうぞ!


 

 水平線上に広がる輝く粒の乱舞に、一目見るなりファラは歓声を上げた。
「ね、あれ何? すっごーい、キレイ!」
 その辺の壁にもたれてうたたねしていたリッドが、その声に跳ね起きる。あんまり慌ててたものだから、計器類に頭をぶつけてうずくまるのを横目に見ながら、操舵席にいるチャットはファラの背中に声をかけた。
「幸福の雪ですね。気温の低い朝に時々起こるんですよ。運がいいですね」
「運?」
 べったりとバンエルティア号の窓に張り付いていたファラが、肩越しにチャットを振り向く。その隣で、起こされて不機嫌そうに窓の外を見たはずのリッドが、やはり感心したように計器席の窓にとりかかっていた。
 自動操縦のため特に必要はないのだが、見張り代わりにそこに座っていたチャットは、肩をすくめて見せる。
「幸福の雪は、恋人同士で見ることができると幸せになれるんですよ」
「ええ!?」
 二人が同時に素っ頓狂な声を上げてチャットに視線を集中する。チャットはその勢いに思わずたじろいだ。
「い、言い伝えですよ、言い伝え。あくまでも」
「三人同時なんてありなの!?」
「恋人同士以外に効き目があったらどうするんだ、それ?」
 チャットは脱力した。
「……ボクを抜きにして考えられないんですか」
「何を?」
 二人同時に問い返されて、チャットは舵を放り出した。
 自覚はないのかこの人達は。
 チャットの嘆きもよそに、リッドは心底感心したように目の前に繰り広げられるちょっとした自然の芸術に見とれている。
「けどすっげえなあ。霧がおひさまに照らされたらこんな風に見えるかもしれないけど」
「むこうでは見たことないよね。あ、キールは? きっといろいろ教えてくれるよ」
「さあ。寝てんじゃねえか? なんか晶霊砲の点検で昨日は遅くなるとか言ってたぞ、メルディが」
 明るくなるに従って、だんだん消えていく「雪」を名残惜しげに眺めながら、リッドは決めつけた。
「じゃあ起こして上げないと!」
「もう遅ぇよ。ほら、消えてく」
「あーあ……」
 最後の一粒すら、まるで空気に溶けていくみたいになくなってしまい、ファラはため息をもらした。
 リッドもやはり残念そうに窓から離れない。
「なあんか、虹見てるときみてぇ」
「本当だ。懐かしいね、虹の足下にたどり着こうとして行けなかったりね」
「お前追っかけるって言ってきかなかったもんな……」
 何を思い出したのか、暗い表情でリッドは呻くように声を出した。
「……あのう……思い出話の最中にすみませんが」
「いや、思い出したくないし。なんだチャット?」
 リッドが促してくれるのに甘えて、チャットが疑問を口にしようとしたとき、ファラがリッドの背中を平手でひっぱたく。
「何はずかしがってんの! リッドちょっと急いで崖から転げ落ちただけじゃない」
「きっちり思い出してくれ! 『オレが落ちた』んじゃなくて、『落っこちかけたお前を止めようとして落ちた』んだ!」
「……あのーう」
 放っておくとこのままエスカレートしそうで、チャットは躊躇いながらも声をかけた。
「あ、ワリぃ。なんだった?」
「あの、さっきからおっしゃってっる……ニジってなんですか?」
 チャットをまじまじと見返して、それからリッドとファラはお互いの顔を見合わせた。
 嬉々として説明に取りかかる人が今この場にはいなかったのである。

「まかせてくれ。虹とは本来、大気中の水晶霊と光晶霊が反応して起こる現象だ。つまり大気に浮遊する水晶霊が光晶霊との間に起こる晶霊間の反射作用によって、諸説はあるがカロリック流動が」
「キールストップ! みんなはもう聞いてないよう」
 メルディの声に、キールが周りを見渡してみると、チャットは本題はまだかとぼんやりと天井を見上げ、リッドはすでに居眠りするためのクッションの確保にかかり、ファラは先日から気になっていた食器棚の整理に取りかかろうかどうしようかと思案していた。
 フォッグはといえば、すでに眠りの国に旅立っている。
 朝食は、だいたいみんなで揃って休憩室で取るのが暗黙の了解になっていた。その朝食も終わり、片づけが一段落した頃、早朝のファラ達のすすめによってキールに「虹とは何か」をチャットが尋ねたのだが、結局キールの演説が始まりかけたのをメルディが阻止したのである。
「……あ、ああ、つまりだな。困ったな、僕には絵心はないし……だいいちここには画材もないか……」
 キールも具体的に虹そのものを説明しようと思うと、どう言っていいか解らずに考え込んでしまった。
「んっとね……こう、半分のまあるい……わっかを切ったような形で、極光と同じ色してて……」
 ファラが両手をくるっとまわして「こーんな」と形を示してみせるのに、メルディは首を傾げる。
「メルディのインフェリアいたときにはなかったか?」
「たぶん。さっきの幸福の雪と同じで、いつも見れるとは限らないんだ」
「珍しいんだなー。見たかったなあ、メルディも」
「どうかなあ。でも見れるといいね」
 バリル城でのシゼルとの対峙以来、やはりメルディは時々笑顔に力がない。
 痛みを抱えてそれを自分の中にだけ閉じこめて、消化することもできずに抱え込み続けている、そんな表情を見るたび、ファラの胸は痛む。
 引きずられるようにして、どこか覚えのある、普段は深く深く奥に押し込まれたとげが痛む。
 それを少しでも和らげることができるなら、と、ファラはメルディに微笑みかけた。
「今度インフェリアに行ったら、みんなで見れるといいね。幸福の雪みたいに、幸せな言い伝えはないけど」
「はいな!」
 メルディの笑顔が伝染したのか、傍らで飛び跳ねるクイッキーをチャットの視界からさりげなく隠しながら、ふとファラは思いつきを口にした。
「けどキール、虹が光晶霊と水晶霊で起こるんだったら、キールなら作ることできるんじゃないの? 虹」
 ファラの問いに、キールはうろたえた。
「ぼ、僕はそういう研究はしたことがないんだ」
「パオロさんが川の流れをゆっくりにしたみたいに、できない?」
 なお言い募るファラに、キールは少し頬を紅潮させる。
「僕の専門は光晶霊学だ! だいたい、普通は一度に二つの晶霊を扱うなんて高度なことは、そのへんの晶霊術士にはできないのだからして、そんな研究事例もきいたことがないし」
「キールは虹の作れるか!?  メルディみたいよー」
 メルディの期待に満ちた瞳に見上げられて、キールは目に見えてうろたえた。
「こ、ここでは無理だ。インフェリアでないと……ここでは虹の現象は起こらないのだろう? それなら、インフェリアでないと必要な晶霊が存在しないと言うことだ」
「そっか……ゴメンな、メルディが無理言った」
 がっくりと肩を落とすメルディに、ファラはそっとその肩を抱く。
「大丈夫だよ、メルディ。キールだもん、きっとなんとかしてくれるよ。ね?」
 ファラににっこりと微笑まれ、メルディにはじっと見つめられ、キールはほとんど反射で胸を張った。
「無論だ」
 いいのかよそんな安請け合いして、と、リッドが後ろで呟くのは無視した。

 しかし、キールが請け負った研究は進むことがなかった。
 セイファートリングの崩壊により二つの世界は分断され、そしてインフェリアにキールは戻らなかったのだから。
 けれどそれも、バンエルティア号が、インフェリアから星の海を越えてセレスティアにやってくるまでのこと。

 

 軽くひとつ、息を吸って、吐く。次は深く。
 キールはミンツ大付属図書館の空気を吸い込んだ。二年前に、大学を追放になって以来ひさしぶりにゆっくりと吸い込むそれは、ひどく懐かしい、紙とインクのまじった匂いがする。
「ああ、やはり同じ図書館でもアイメンのとは違うな。懐かしいよ」
「オレは別に懐かしくねえ」
 その後ろでリッドは、本棚の多さにめまいを覚えていた。眉間の辺りを指で揉みながら、なおも口の中でぶつぶつ呟く。
「ウィスの罰ゲームが資料探しなんて……自慢じゃねえが、こういうことにはオレは徹底的に向いてねえぞ」
「自慢げに言うなよ恥を」
「んだと!?」
 かみついてくるリッドにキールはばさっと何枚かのメモを押しつけた。そして、自身は並んだ机の中から一番大きなスペースを確保しにかかる。
「……なんだこれ?」
「僕が覚えている限りの関連図書のリストだ。とりあえず、それを全部探してもってきてくれ」
「全部ゥ?」
 細かい字でびっちりと書き込まれたメモに目を走らせてリッドは素っ頓狂な声を上げる。
「量が多いから、体力のあるお前を連れてきたんだろうが。しっかり頼むぞ」
「へーへー。手伝うと言ったからにはやりますよ」
 不承不承、リッドは一番近い本棚に取りかかった。
「けど、いいのかキール? お前こっちに戻ってきたの2年ぶりだろ? まだ親父さん達にも会いに行ってないだろーが」
「これが終われば行くさ。まずは約束を果たしてからだ」
 背を向けたまま、もう書物をめくり始めたキールにリッドは肩をすくめて見せた。
「律儀なことで。ま、最愛のメルディのお願いだもんなー? 張り切って当然、か」
 キールは盛大にせき込む。ささやかな復讐が成功したのに機嫌を良くして、リッドは鼻歌混じりに本の選別作業に入った。
「お、お、お前、だだだだれが最愛だ」
「図書館ではお静かに!」
 受付から注意が飛んできてキールは口をつぐむ。覚えていろと毒づきながら、キールはもう一度本の字面を追い始めた。

「ファラー? キールどこ行ったか知らないか?」
 まだ眠そうな顔をこすりながら起きてきたメルディに、ファラはおはようと声をかけてサイカロ茶をカップに注いで向かい側の席においてやった。
「さあ? 昨日、ウィス大会でリッドが負けたでしょ? それの罰ゲームとかで、リッド連れて船降りてっちゃったよ」
「ええ?」
 確かに、船室の窓の向こうに見えるのは、ミンツの町並みだ。グランドフォールの傷跡も少しずつ癒えはじめ、学生もかなりの数が戻ってきているようだった。接岸している港からでも、学生達で賑わっている様子が見える。
「……メルディおいてくなんて」
 唇をとがらせてサイカロ茶を口に含むメルディに、ファラはにっこり微笑みかけると、テーブルの上に身を乗り出すようにして頬杖をついた。
「寂しい?」
「う。そ、そりゃーそうだよう! キールがずっとメルディのそばにいた、いないと寂しいよ」
 幾分頬をそめて言うメルディに、ファラは今度こそくすくすと声を出して笑った。
「はいはい、ごちそうさま。お幸せそうで何より、です」
 からかうような口調に、メルディはむきになって反論する。
「そういうファラだって! リッドととっても仲良しさん」
「仲が悪かった覚えはありませんよーだ」
 舌を出してみせる、その仕草と口調はぶっきらぼうだったが、ファラの頬がちょっと赤くなっていたのをメルディは見逃さなかった。
 椅子の背にもたれて、足元に寄ってきたクイッキーにテーブルの上にあったお菓子をひとつあげながら、素知らぬ調子で呟く。
「メルディ知ってるもんなー。ファラ、リッドが肩にもたれてた。ふたりっきりで」
 効果てきめん、ファラはざっと顔色を変えて椅子を蹴立てて立ち上がった。
「な、なんでそれいつどれ!?」
「……どれ? って?」
 失言にファラが口をつぐんで、そそくさと椅子に座るのを、今度はメルディがにやにや笑いながらその様子を見守る。
「セレスティアからインフェリア来るときのことよー。展望室で。メルディ確かにこの目で見たな」
 あっちゃー、と、ファラは額を押さえて頭を振った。
「……あっとね、メルディ。別にそんな……そう、あれは、ちょっと眠くて、それでリッドの肩借りてただけで」
「別に言い訳しなくてもいいよー。仲良しいいこと。キールはなかなかしてくれないよ」
 ファラは眉をひそめる。
「してくれないって……枕を?」
「違う、ぎゅっとしたりキスしたり」
 今度こそファラはテーブルの上に突っ伏した。自分の知ってる限りのキールに、そんな自発的な行動は期待できない。はっきり言って、泳いで見せろと言われるのと同じくらいの難易度のはずである。
 『なかなか』してくれない、ということは、たまにはしてくれるということなのだろう。
「年月は人を変えるんだね……」
 不思議そうにきょとんと大きな瞳で見つめ返してくるメルディをちらりと腕の隙間から見やって、ファラは溜め息をついた。
 ファラの様子に怪訝そうに首を傾げていたが、ふっとメルディは何かを思い出すように遠くを見る目で、昔な、と呟く。
「セレスティアに、初めてみんなで行ったころ、メルディ幸福の雪見たよ。キールと。あの時はまだキール恋人違ったけど、きっと効き目あるよな?」
「……あるといいね」
 力無く同意してから、ファラはぼんやりと思い出していた。
 幸福の雪。セレスティアで、バンエルティア号の窓から見た、あのきらきら光る世界。
 ふたりっきりでないと効き目はないのだろうか、と、ファラは考え、そう思った自分に顔を赤くして俯いた。

 山のような紙の束を抱えてキールとリッドが帰ってきたのは、もう晩ご飯を食べてしまおうかと思っていた頃のことだった。
「おっそーい! グラタンのチーズが固まっちゃうかと思ったよ」
「わり。時間食っちまってさ……」
 腰に手を当てて出迎えるファラに、リッドは重たげに片手をあげた。と言っても、両手がふさがっているため、せいぜい指がわずかに動いた程度だ。
「……何それ?」
 尋ねるファラに何やらもぐもぐと口の中で呟いて言葉を濁してから、リッドは後ろから入ってきたキールを振り向いた。
「おいキール、これ部屋でいいんだな?」
「ああ、頼む」
 やはり紙の束を両手に抱えて、キールとリッドは宿泊室に入って行った。
 眉をひそめて、二人の背を見送っていると、キッチンミトンを両手にはめたメルディがひょこっと入り口から顔を出す。
「ファラ、キール達帰ってきたか?」
「うん。荷物置いてくるって。さ、ごはんにしよ」
 メルディの背を押して食堂に向かいながら、ファラは首をひねった。
 何やってるんだろ、二人でこそこそと。

 焼き上がったクッキーを味見がわりにつまみながら、ファラはチャットとメルディと三人でテーブルを囲んでいた。サイカロ茶のいい匂いが辺りに漂っている。
 チャットは、渋さが身上のサイカロ茶に大量に砂糖を入れて、ファラの嘆きをよそに自分好みの味に調節していた。
「キールってば、何やってんだろ。ミンツまで来たのは、お父さん達に会いに行く為じゃなかったのかな」
 ティーカップの縁に指を滑らせながら、ファラが呟く。
「そのはずだったけどなー」
 ぺたんと頬をテーブルにくっつけて、メルディも溜め息をついた。
「いつまでもバンエルティアをここに浮かべて置くわけにも……だんだん見物客が増えてきてるんですけど」
 今も、バンエルティアを遠巻きにするようにして漁船がいくつか海原に浮いている。それをちらりと見やってから、美味しそうにクッキーを頬張りながも、チャットは不服そうにしている。
 うーんと唸って、椅子の背に体を預け、ファラは腕を組んで考え込んだ。
「でもキールは、また大学に行くかもしれないからミンツの近海にいてくれの一点張りだし、リッドもなんかいっしょになってこそこそしてるし。いったいいつの間にあんなに仲良しになったのかしら」
「今日メルディ、キールにおはようしか言ってないよー。キールがおトーさんとおカーさんに会わせてくれる約束だったのに」
 それぞれに嘆いてみせる二人に、チャットは呆れて半眼になった。
「……お二方はヤキモチ妬いてらっしゃればすみますが……」
「ヤキモチじゃない!」
 チャットの小さな声での突っ込みにファラは勢いよく反論した。ずいっとチャットに机越しに詰め寄る。
「だいたいなんでわたしがキールにヤキモチ妬かなくちゃならないの?」
「いやまあ、それはそうですが」
 クッキーを取り上げられては大変と、チャットはまあまあと曖昧に笑いながらファラを押し止めた。
「でもまあ……退屈なのは確かですね。これからどう動くのかだけでもはっきりしていただかないと。昨日来た王国の使者も、一刻も早く報告にとか言ってましたよ」
「……困ったなあ……」
「ホントなー。何に忙しくしてるのかな、キールもリッドも」
 女三人の嘆きをよそに、リッドとキールのおこもりはそれから3日間続いた。

 船室から身を乗り出すようにして、ファラは左舷に取り付けてあるフックにロープの端を結わえて、洗濯物を吊したロープを張り渡した。
 海の風に煽られて、はためく洗濯物を満足げに眺めてうなずくと、今日の昼ご飯にしようとねかせておいたパイ生地の様子を見るために食堂に向かう。
 と、いきなり後ろから腕を引っ張られて、ファラは危うく倒れ込みそうになった。その体を、悲鳴を上げるより早く逞しい腕が支える。
「洗濯物は終わったのか?」
「――終わったけど……」
 見上げなくても、そこに青い瞳と暗紅色の髪があることはわかっている。体に直接響いてくる声が久し振りで、ファラはわざと顔を上げないまま、背中を預けてもたれかかった。
「呼び止めるなら普通に声掛けてよ。危ないじゃない、いきなり引っ張ったら」
「……文句を言う体勢には思えねえけど」
 言いながら、リッドがそっとファラの体の前で両手を組んだ。そうされると、リッドの腕の中にすっぽりとおさまってしまう。
 リッドのにおいと、生きてる鼓動。この腕の中にいるとあったかくて安心できて、思わず笑みがこぼれる。
 けれど、それは隠して、わざとしかめっつらを作って唇を尖らせた。
「何よ、転ぶところだったんだから、これっくらいいいじゃない」
「わりいな、しばらくほったらかしで。キールの奴人使いが荒いのなんのって」
 リッドにしては珍しい行動だと思ったら、少しは気にかけていてくれたらしい。
 ファラは笑ってリッドに預ける体重を増やした。
「で、何してたの? そっちも終わったの?」
 のびをする要領で顔を上げてリッドを見上げると、逆さまの視界でリッドは悪戯っぽく笑った。
「あとは仕上げをごろうじろってね。ファラも来いよ。メルディとチャットはどこだ? 連れてくるようにキールに言われてんだ」
「どこに?」
 ファラを抱えた腕をほどいたリッドは、左手でファラの腕を取り、右手を真っ直ぐ上に向けた。
「甲板」

 キールは、クレーメルケイジを持って甲板で空を見上げてていた。何か書き付けたメモと照らし合わせながら、何やらうろうろと歩き回っている。
「キール、連れてきたぜ」
 リッドが、ファラとメルディとチャットを甲板に押し出すと、キールはそちらには目を向けないままひとつ頷いた。
「ああ、すまない」
「――キール、何してるか?」
 メルディが声をかける。と、キールは場所を定めたらしく、太陽を背に向けて足を踏ん張り、クレーメールケイジを掲げた。
「みんな、僕の向いてる方を見てくれ。そうだ、ちょうどミンツの方角だ」
「え?」
 女の子達は互いに顔を見合わせたが、おとなしくキールの言うとおりに背を向けて立った。
 何かキールが呪文を唱えている。ファラは首を傾げて、傍らに立っているリッドを見上げた。
「ね、何がはじまるの?」
「見てりゃわかるさ」
 小声での問いに、やはり囁くように答えて、リッドもキールが示した方角を見ている。
「光晶霊と水晶霊に何頼むか?」
 メルディがキールの呪文の一端を聞き取って、振り向こうとするのをリッドがやんわりと押し戻した。
「いいから見てろって」
「我が願いを具現せよ!」
 クレーメルケイジに集まってきていた光が溢れそうになったとき、最後の言葉をキールが叫ぶ。何がはじまるのかと、メルディもチャットもファラも、指し示された水平線に目を凝らした。
 ざあっと、羽ばたきのような音が響く。そして、その先に浮かんだ物は。
「……虹だ……!」
 ファラが小さく叫ぶ。その隣でリッドはよっしゃ成功と呟いた。
「あれが……ニジ?」
 メルディは、食い入るようにその光と水の作り出す、気まぐれな現象に見入っていた。
 紫、青、緑、黄緑、黄、橙、赤。
 綺麗にアーチを描いて、青空に七色の光が橋を作っている。極光と同じ光を持った、空に浮かぶ光の掛け橋。
「すごいですね……大きいなあ」
 チャットも溜め息まじりに感嘆の言葉を漏らした。
 しばらく声もなく見入っていたメルディが、はじかれたように背後に立っているキールに振り向いた。
「キール、まさか……リッドとずぅっと、これ調べてたか?」
「ああ。攻撃晶霊術のように定義の決まっている術じゃないからな、ちょっと組み上げるのに時間がかかったんだ。前例もなかったしな。まあ水晶霊は」
 うっすらクマの浮かんだ顔で、キールがどこか得意げに解説を始めようとするのを、リッドが声をあげて遮った。
「おおい、虹はあんまり長い時間もたないんだから、今のあいだに見とけよ」
「そうだな。持続性は保証できないんだ」
 おとなしくキールも口を閉じて、作り出した虹を目を細めて見つめる。と、メルディが手すりから手を離して、とことことキールの横にやってきた。
 不思議そうに見下ろす視線の先で、メルディはキールのローブの裾をしっかり握りしめる。そっとその腕に頭をもたせかけて、メルディはあらためて虹を眺めた。
「ありがとな、キール」
 キールは、メルディの唇から洩れた小さなお礼の言葉に一瞬表情を緩める。が、同じ甲板にリッドもファラも、チャットもいることを思い出して辺りを素早く見渡した。
 幸い、みんな手すりにかじりつくようにして虹を眺めている。
 ファラの手が、リッドの腕にかけられているのはこの際無視しておいてやることにして、キールは右手でローブを握りしめているメルディの細い手にそっと触れた。
「約束だったからな。見せてやると言ったろ?」
「うん」
 笑って見上げてきたメルディに、眩しげに目を細めて、キールは慌てて虹の方へと視線を泳がせる。
 その頬がうっすら赤く染まっているのに、笑みがこみあげる。それを我慢しながら、メルディもキールと同じように、消えていこうとする七色のアーチを消え去るまでじっと見つめていた。
 ファラは、虹には幸せな言い伝えはないと言ったけれど、今この瞬間は確かに幸せのかけらだから。
 またいつか、二人で一緒に見られますように。
 消えゆく光のかけらに、そう願ってみた。

 

―了―