あおぞら
テイルズオブエターニアの、リッドとファラの、最終決戦からEDムービーまでのお話です。
幼なじみの二人が、一歩を踏み出す話。
※名前のついたオリキャラが出ます。
※恋愛要素があります。
※ねつ造要素あります。
お好きな方はどうぞ!
1
ファラの朝は早い。旅に出る前も旅の間も、ラシュアンに戻ってきた今もずっとだ。
うっすらと空の端が明るくなり、一番鳥が鳴く頃に目を覚ます。
起きあがってベッドを片づけ、そして着替えて水を汲みにいくついでに、軽いランニングと運動をする。
顔を洗って水桶を下げて家に戻り、夕べ作ったシチューの残りを確認し、パンを焼く準備をして、卵をほぐしてフライパンに油を引いておく。
「……さてと」
鍛えている成果か体質か、細い腰に両手をあてて、ファラは気合いを入れた。
「今日も頑張るぞー!」
リッドは幼い頃に父を亡くして以来、もうずいぶん長い間、一人暮らしだった。
だから基本的に、生活習慣はマイペースだ。
起きたいときに起きて、あるものを食べる。そして、午前中の間に狩りに行く。今日の分の獲物さえ手に入ればそのあとはのんびりひなたぼっこでもして、夕方には村に戻り、近所の人が分けてくれた野菜と、肉を焼いて晩ご飯にする。
日が暮れたらベッドに潜り込んでぐっすりと眠る。実に健康的だと本人は思っていた。
しかし。
「……朝か……」
まだ半分夢の中で、リッドは呟いて寝返りを打った。布団を鼻の辺りまで引っ張り上げる。
ついこの間までの旅ではこうはいかなかった。朝はきちんと起こされ、まどろみを楽しむ暇もなかった。
何がなんだか解らないが、結局自分はこの村に戻ってきた。一緒にいたはずのキールやメルディ、バンエルティアに残っていたチャットやフォッグ、セレスティアの知り合いの無事は気になるが、ここからでは確かめようもない。
いつも日がな眺めていた、あの空には、もうセイファートリングもセレスティアも見えなくなってしまったのだから。
けれども、インフェリアはこうして無事なのだ。きっと向こうも無事だろう。楽観的にそんなことをぼんやり考えながら、リッドはもう一度眠りに入りかけた。
が。
「リッドー! 起きて朝だよいい天気だよー!」
威勢のいいかけ声とともに、暖かい布団がひっぺがされる。ひんやりした空気にさらされて、リッドは否が応でも目を覚ました。
反射的に取り去られる布団の端を握り締め、持って行かれまいと力を込める。確認するまでもなく、深い森の色をした髪の持ち主が、おっはっよ、と節を付けながらなおも布団を引っ張った。
「何すんだファラ! だいたい人の家勝手に入ってくるな布団をはがすな! 恥じらいってもんはねえのか?」
「な・に・を・今更恥ずかしがるのよ! そりゃ確かに、リッドが裸で寝てたりしたら殴るけど」
ファラの口調は軽いが、力はゆるまない。ぎりぎりと布団の奪い合いをしながら、リッドは叫んだ。
「その場合見られて恥ずかしいのは俺じゃねえか! なんで俺が殴られなきゃならねえんだよ?」
「裸で表を歩き回ったりしたら捕まるんだよ、リッド知らないの? おんなじおんなじ」
「ここは俺の家だ! 家の中でどんな格好してようが俺の勝手だろ!」
「だったら、わたしが起こしに来なくてもちゃんと起きて、ちゃんと朝御飯食べる? できないでしょう? ほおらできないんだ」
答えに詰まるリッドの手から完全に布団を奪い取り、それを抱えてファラは得意そうにふふんと笑う。
「さ、とっとと顔洗って身支度して! 昨日リッドが獲ってきたベアの肉のシチュー残ってるよ。もっかい寝ないようにこのお布団は没収ね」
勝ち誇ったように宣言して、ファラは「パンが焦げないうちにね!」と叫んで出て行った。
……ったく、と、ダークレッドのぼさ髪をかき回して寝台の上にあぐらをかき、そばの椅子にひっかけていた服を取り上げて、リッドははたと気付いた。
没収? 布団を? いつまで?
「ちょっと待ておいファラ! 布団返せー!!」
リッドの抗議はファラの耳には届かなかった。
着替えて顔を洗って、その足で布団を取り戻しに行ったリッドは、いい匂いにつられてそのまま食卓についた。
「お前なあ……これじゃ俺がお前のペットか何かみたいじゃねえか」
パンの上にオムレツを乗せて口に放り込みながら、リッドは呻いた。
きょとんとファラが大きな瞳を丸くする。
「ペットならもっとかわいげがあるよ」
「悪かったな、ってそうじゃなくて。そりゃお前の飯はうまい。起こされるのはともかく飯はありがたい。けど、いらん誤解を生むんじゃねえか?」
「誤解?」
リッドにシチューのおかわりをよそってやりながら、ファラは首を傾げた。
「わたしのおばさんが言ってたみたいな?」
「……なんか言われたのか?」
食事の手を止めて顔をしかめるリッドに、ファラはひとつ頷く。
「お人好しも程々にしとかないと、男はつけあがるよって。そんな甲斐性あるわけないのにねえ、リッドに」
「――お前な」
覚えとけと呟きながら、リッドはシチュー皿をファラから奪い取った。
2
またあとでね、とのんきに送り出してくれたファラに適当に手を上げて応えて、リッドは狩猟用の道具を取りに家に戻ることにした。
ファラの家の窓辺に自分の布団が干してあるのを見つけて、リッドは舌打ちする。
「何が没収だよ、ファラの奴……」
布団を干すなら干すで、何もわざわざ持って行かなくてもいいだろうに。
満腹寸前の腹ごなしに、ゆっくり道を歩きながらリッドは唸った。
こんなに小さな村でも、メルディが降ってくるまでは、そう顔を合わせることもなくなっていた。お互い自分の暮らしがあったし、会えば話もするが、特別な用がない限り家に行ったりすることはなくなっていた。
叔母に引き取られたとはいえ、ファラは十五になった時に一人で暮らしはじめていたし、そんな家にそうそう気安く訪れるわけにもいかない。
それが、あの旅で始終顔をつきあわすようになって、なんとなくファラがそばにいないのが変な感じがするようになっているのは確かだ。
それはたぶん、ファラも同じ事なのだろう。キールやメルディ達の行方が掴めていない、うっすらとした不安もあるかもしれない。
けれど、この狭い村でそれをやれば。
「ようリッド! 相変わらず尻に敷かれてるみたいだな」
「敷かれてねえよ」
上から降ってきた声に反射的にそう言い返してから、リッドは声の主を捜した。
ちょっと見回すと、すぐそばの家の屋根から、見慣れた顔がのぞいていた。父が亡くなった後、同じ猟師として何くれとなく世話を焼いてくれた人だ。
「トレ爺……ひなたぼっこか?」
「お前じゃあるまいし」
リッドの問いに、屋根の上からほれほれ、と、金槌を振って見せる。
そんな年でもないのに昔から白髭を蓄えていた男は、ご自慢のそれを撫でながらしみじみと空を眺めた。
「屋根の修理をしようと思ってな。あの最後の地震からこっち、ずっと放っておいたが、そろそろなあ」
ずっと。
そんな風に言われるようになっているのだ。あの時はもう、ずっとでそろそろなのだ。
もう自分の中に眠っている力も必要ない。リッドは唇の端を歪めた。
「今日は狩りか?」
「ああ、昼から門の修理手伝いに行くよ。今日だったよな?」
「こきつかうぞ。もし余分に狩れたら頼むぜ」
簡単に請け負ってリッドは足を進めようとしたが、「ちょっと待て」と呼び止められた。
「……なんだ?」
もう一度屋根の上に視線を向ける。首が痛いなと思っていると、トレ爺ははしごを下りてきた。
「まあ、何だなリッド。お前ももう十九だろう?」
ちょいちょい、と、手招きされるままに近寄ると、低い声で尋ねられる。
リッドはちょっと考え込んだ。
「そういえばそうか。爺が老けるわけだな」
「儂のことはほっとけ」
辺りをはばかるように話しかける爺の話をまぜっ返してみたが、爺のやけに真剣な表情は変わらない。
「お前達が出て行って何をしてきたか、儂には到底わからん。しかしまあ、お前が何かでかいものを越えてきたことはわかるよ」
今まで、狩りの腕前以外を誉めたことのない相手だっただけに、リッドはこれは誉められているのだろうかと首を傾げた。
「しかしだ。いつまでもお前も一人でぶらぶらしているわけにはいかんだろう? そろそろちゃんと身を固めたらどうだ」
リッドはしばらく考え込んだ。言われた意味が飲み込めなかったのだ。
身を固める。一人でふらふら。
導き出された結論に、リッドは真顔で尋ねた。
「――冗談だろ? 俺に結婚しろってか?」
「そうそうからかってばかりもおれるか、お前の場合」
やはり真顔で返されて、肩を落とす。
頭痛がするのは気のせいだろうか。
「あのな、爺。いくらなんでも早くねえか?」
「早いもんかい。儂がお前の頃には子どもがおったわ」
何年前の話だ、と呟くリッドの胸の辺りを軽く小突きながら、爺はわざとらしく嘆息した。
「お前はずっと一人だったからな。早く家族が出来た方がええと思うのさ。言っておくが、気を揉んどるのは儂だけでないぞ」
「家族ったって……俺、そんなこと考えたこともないけど」
「考えろ。だいたい今もファラに養ってもらってるようじゃ、心配もするってもんだろうが」
リッドは内心盛大な舌打ちをもらしながらも、表面上は肩をすくめた。
これは何が何でも明日からはやめさせなければ。言ってファラが聞くかどうかは別問題としても。
「別に養ってもらってるわけじゃねえよ。ファラの奴がおせっかいなのは今に始まった事じゃないだろう」
「――まさかお前、ファラと言い交わしたなんてことはないよな?」
「まさか」
言下に否定すると、あごひげを撫でつけながら、やはりなあ、と爺は何度か頷いた。
「そう言うんだが、女達は聞かんしなあ……。やっぱりお前、早いところ身を固めろ。でないと、ファラにまでいらん話がくっつくぞ」
その事態は歓迎できない。出来ないが、なんでそこに直結するんだとリッドは叫びたかった。
しかし、幼い頃から世話になっている人が相手だ。毒付きたいのをこらえて、軽く首を振る。
「とにかく、ファラは関係ない。俺はまだそんな気もない。今の暮らしに別に不自由してるわけじゃねえし」
「何言っとる。お前みたいなのは結婚でもせんと落ち着かんに決まってる」
決めつけられて溜息をつくリッドに、爺は金槌を手に背を向けた。
「まあ、考えておいてくれや。いつでも力になるからな」
梯子に手をかけて、顔だけこっちに向けて爺が言う。リッドは見当違いの好意にげんなりしながらも、反論が無意味であることはかろうじて悟った。
「……そりゃどうも」
ずいぶん力無い答えを返す。
もうこれ以上、誰にも呼び止められないように、後回しになった家に急いだ。
いくつかの道具を下げて慣れた森に分け入ると、馴染んだ気配に余計な力が抜ける。
いつもなら帰りに登る、見張り台に足が向いた。あの旅の間に、新しく建て直されていたそれは、今でもリッドのお気に入りの場所だった。
もっとも、一連の騒ぎであちこち直さないといけないところが山積みで、そうそうのんびりもしていられなかったが。
ようやく見慣れてきた空は、青々と広がっている。
もう見えないセイファートリング。オルバース界面。そしてセレスティア。その代わりに広がる青い空。
色んなものを得て、色んなものを失った。それでも、変わらず守りきったものがある。
誰かに自慢するようなものじゃない。自分がわかっていればいいと、リッドは思っていた。
――きっと、会えるよ。生きてて、また会いたいと思っていれば。そうでしょ?――
こっちに戻されて、すっかり変わってしまった空の下で、変わらない笑顔で見上げてきた幼なじみの言葉を思い出して、小さな苦笑を漏らした。
時は移る。周りは変わっていく。自分も変わっていく。
あとどれだけの間、あの笑顔を見ていられるんだろうか。
仰いだ空の色に、リッドは目を細めた。時に厳しく、時に優しく、そしてもう見ることの出来ない人の瞳が重なる。
守れ、と言った人。復讐に傾きかけた心を、戻してくれた男。
「守ったぜ、レイス。とりあえずな」
そう、とりあえず。黒体はなくなり、セレスティアとインフェリアの当面の危機は去った。
けれど。
「……いつまで、守れるんだろうな」
気分を切り替えるように頭を振って、リッドは獲物を仕留めに森の奥へ足を進めた。
3
「っしょっと」
ジャガイモの詰まった木箱を地下蔵に下ろして、ファラは息をついた。
箱に詰まったジャガイモは、どれも毎年の収穫よりずいぶん小さい。ひとつ取り上げて、手のひらの上で転がし、溜め息をもう一つ。
「小さいなあ……やっぱり」
旅に出ている間、畑は叔母一人にまかせきりだった。やはり手が足りなかったのだろうかと心配してると、軽く笑う気配が背後でした。
「何言ってんの、ファラのせいじゃないよ」
紐に茎を編み込んだたまねぎを梁に吊しながら、ファラの叔母が答えた。
「うちだけじゃないんだよ。お前が旅に出てからこっち、どこでも何もかも出来が悪くてね。草むしりの手間は省けたけど、実も小さいんじゃ仕方ないねぇ」
「……そっか……」
続いて、運び込んでいた箱を積み上げにかかる。
うっすら汗ばむのを感じながら、ファラはモルルの村で誰かが言っていたのを思い出していた。
草や木の元気がないんだ、と。
これも、グランドフォールの影響だったのだろうか。
キールが居たら、いろいろと解説してくれたのだろうが――たとえ半分程は言ってることが判らなくても。
今は会うことの叶わない幼なじみを思い出す。このジャガイモで、ポテトドリアを作ってあげたら喜ぶだろうか。
メルディと一緒なら心配事はずいぶん減るんだけどな、と、知らずファラは地下蔵に空を探した。
「ま、こんな年もあるさね。地震が止んだだけでもありがたいってものだよ」
「そだね」
地下蔵への入り口から、小さく切り取られたような空を仰ぐ。
もう見えないセレスティア。もう見えないセイファートリング。
あそこで、この世界をかけた戦いをしていたのだ。
大切なものを失わないために。
「ああそうだ、ファラ」
叔母に呼ばれて、ファラは我に返る。なに、と問い返すより早く、叔母は手を休めてファラに向き直った。
「お前、結婚する気はないの?」
ファラは危うく、手をかけていたジャガイモの詰まった箱を突き飛ばすところだった。
なんとか踏みとどまって、何故か熱くなる頬をごまかすように叫ぶ。
「け、結婚っておばさん、わたしまだ十八だよ!」
「まだ……って、早すぎることはないだろうに」
珍しく姪が慌てふためくのに首を傾げて問い返すと、ファラは落ち着かない様子でエプロンを撫でつけはじめた。
「そ、そう、だけど……でもそんなの、考えたこともないし」
慌ててごまかす。
何度も考えたことがある。とっておきの衣装を着て、生涯の伴侶の隣に並ぶ花嫁に、いつかわたしもと重ねたことがある。
たとえそれが、幼い頃に抱いた、小さな憧れを一歩も出ない域だとしても。
今まで、結婚を身近に感じたのはそう、旅先で知り合った迷子の学士さんが、結婚したと嬉しそうに報告してくれたときだ。
ファラとそう年の変わらない彼女の幸せそうな表情が、素直に羨ましかったものだ。
ふっと叔母の顔が曇る。
ファラの前まで来ると、所在なげなファラの手を取って、握り締めた。働き者の手は、わずかに汗ばんであたたかい。
叔母は、いいかい、と、優しく諭すように言葉を続けた。
「別に、お前を厄介ばらいしようとか、そんな事を言ってるんじゃないんだよ? お互い一人きりだし、わたしは姉さんに替わってお前が幸せになるところを見届けたいだけなんだから」
「……幸せ……」
つきん、と、まだ胸の奥で痛む何かがある。でもそれは、きっとかさぶたになるための痛みだと、今はそう思える。
それは決して悪いことではないのだと、そう思える。
もういいのだと、リッドは言ってくれた。
お星さまの石が欲しいというファラの幼い我が儘が、リッドの一人きりの家族だった、お父さんを奪った。両親を死なせた。村は破壊され、多くの村人が亡くなった。キールは引っ越して行ってしまった。
罰だと思った。償わないといけないと思った。どうすれば許されるのか見当もつかなかった。
押さえこんで閉じこめて、もがき続けて。そうして結局、リッドは最初から許してくれていた。
ファラが顔を上げられるようになるまで、ずっと待っていてくれた。
不器用で、わかりにくいやり方で、でもずっと変わらずに。
おひさまのように当たり前に。
「――んまり細かい事は言わないし、そりゃ、お前が話すような大事に一緒に首突っ込んだんなら、気安くなるのもわかるけど、わたしはリッドはあんまり……」
ぼんやりしてるうちに、叔母の話は随分と進んでいたらしい。リッドの名前が出てきて、ファラはきょとんと目を丸くした。
「リッド? リッドがどうかした?」
「どうかってお前、近頃の噂じゃリッドとお前が言い交わしたかどうかでもちきりだよ」
空白。
固まってしまった姪を不審に思って、叔母が目の前でひらひらと手を振るのも気付かないまま、ファラはただ空回りする思考の手綱を取れずに突っ立っていた。
4
星明かりを頼りにして、重い足を引きずるように家へと向かいながら、リッドは何度目かの溜め息をついた。
「昼飯食いっぱぐれたまま修理に行ったからなぁ……。腹に力が入らねえっていうのに」
ぶつぶつ呟きながら、玄関の取っ手を力無く握る。
「とっととなんか食って寝……って布団……」
忘れていた。ファラが持っていったままだ。
いつもなら、夕飯もファラが用意してくれるが、あんなことを聞かされた後では行く気になれなかった。
辺りはすっかり暗くなってしまっている。人目に付かないようにファラの家に行くことは出来る。出来るがしかし、この状態でファラのところへ行って、もう世話焼くなと言っても説得力がない。
とりあえず干し肉でも食べてからだと決めて扉を開け、一歩踏み出した瞬間リッドは何かに足を取られてすっころんだ。
「なんだ!?」
一人暮らしの家だ。自分の知らないところに知らない物がある筈がないのに。
起き上がろうと床に手をついたが、滑ってうまくいかない。手応えの違いに触ってみると、床は板ではなくて布地だった。
ぺたぺたと撫で回して、首を傾げる。
「布団……?」
何とか起き上がって、テーブルに置いてあるランプに火を入れる。柔らかな光が照らした場所には、きちんと畳まれていたであろう布団と、そしてその脇に布でくるまれた包みがひとつ。
オレンジ色の包みは、手に取ってみるとまだほんのり暖かかった。
結び目をほどいてみたが、メモも何もついてない。中に入っていたのは、ベアの肉の野菜包みと、鳥の冷肉、マッシュポテトにパンケーキ、そして果物のパイ。
リッドは舌打ちした。
噂になっているのなら、対象は自分だけではない。むしろ、女同士のうわさ話にさらされる分、ファラの方を気にするべきだったのだ。
布団を力任せに上へ放り投げて、冷や肉を一切れ口に放り込む。
「どうしてこう、後手後手にまわるんだろーな、俺は……」
ファラの後始末は役目だと、そう自分に任じ続けてきたけれど。
望まなくても、容赦なく通り過ぎてしまう物がある。引き戻せない物がある。嫌というほど思い知っている。
今がその時のような、そんな気がする。
いつもなら美味しいはずのファラの料理も、一人だとやけに味気なかった。
草むしりの手を止めて、ふとファラは空を見上げた。
ずっと同じ姿勢で固定していた体をほぐすように伸びをして、軽く腕を回す。
「うーん、なまっちゃってるかな……」
モンスターなんて出会わない方がずっといいに決まっているが、それでも、あの旅の最中が楽しいと思えたのは何故だろう。
いつも危険と背中合わせで、夜も野宿はしょっちゅうで、暗い洞穴を何日も歩き続けて。
「ファラ、休むかい?」
隣の畝にいる叔母から尋ねられて、ファラは首を振った。
「んーん、この畝は終わらせちゃうよ。もう一息だし」
「そう? ならわたしはお茶でも用意してくるとするかね」
立ち去る叔母によろしくと手を振って、ファラはほっと息を吐いた。
畑に来る前に、見張り台に寄ったのは気付かれていないと思うが、それでも、なんだか後ろめたい気がする。
もう六日、リッドと顔を合わせていない。
ご飯だけは、見張り台にそっと置いてみた。次の日、包んでいた布が見張り台に渡されたロープに吊されて、風に翻っていた。
メッセージのひとつもなかったが、布はまだ軽く湿っていた。放っておくと自分の服さえろくに洗わないようなリッドが、どうやら洗濯してくれたらしい。
充分だった。
毎朝、畑に出る前に見張り台にお弁当を置きに行く。言葉のひとつも交わさなくても、リッドがちゃんと食べてくれているのならそれでいい。
旅に出る前は、そう頻繁にリッドと会うこともなかった。出会ったらひさしぶり、だった。村の人たちにとっては、その状態が当たり前なのだ。
けれど、それはファラにとって既に過去のことだった。
あの旅をした。たくさんの戦いをくぐり抜けて、リッドの背中はずいぶん大きくなった。
傍にいた。リッドが悩んだり迷ったり、決めたりするのを横で見ていた。支えられているつもりで支えていたり、励ましているつもりが励まされたりしていた。それが当たり前だった。
どうして、それじゃいけないんだろう。
あの事件以来、叔母がリッドに対してあまり好感を抱いてないのは知っていたが、まさか結婚だなんて話で出てくるとは思わなかった。
だいたい、結婚といったら見合いが普通だ。それもこんな小さな村だと、子どもの頃からだいたい誰と誰がという話になっているのを知っていた。
あの事件の前までは、ファラと同世代はリッドとキールしかいなかった。それが、ファラは両親を失い、キールはミンツへと引っ越し、その話は白紙に戻った。
それでも、ファラには親代わりの叔母が居る。リッドには居ない。そうなると、ファラの話をまとめる人は居ても、リッドには居ないわけだ。
そして、その叔母はリッドをあまり良く思っていない。
「働き者が好きだからなあ、叔母さん……。リッドも働かないワケじゃないけど、口が悪くてお尻が重たいから……」
何とはなしに呟いて、ファラは慌てて首を振った。
そんな仮定の話で考え込んでも仕方がない。そもそもの前提がリッドとの結婚という辺りが、既に何かが間違っているような気がする。
気分を切り替えるようにもう一度畑にしゃがみ込むが、一向に手は進まなかった。
聞かされたうわさ話に影響されすぎだ。そう思うけれど、何故か頭の中を離れない。
『――のお嫁さんになりたいです』
こっそり、言えない秘密を誰かにあてた手紙に書いた、幼い頃。
あの言葉は、もう誰にも告げることもないまま、時に埋もれていくのだろうか。
思い出と一緒に。
ぽろ、と、涙が頬に伝ったのを感じて、ファラは慌てた。
こんな所を誰かに見られたら、また何を言われるか判らない。あわてて布を引っ張り出して、汗を拭うついでに、一緒に目元も拭わなければならなかった。
「ああもう! 最近弱いよ、わたし!」
突然の大声に、離れたところで虫をつついていた小鳥が、驚いたように飛び立つ。
空に消えていく鳥を見送って、ファラはもう一度溜息をついた。
……こんなときは、どうしてたっけ。
脳天気な声。からかうような口調。そのくせ、覗き込んでくるのは、やけに優しい空色の瞳。
また涙が出そうになって、ファラは立ち上がった。
「……そうだよ。一体何が悪いの? そりゃリッドに誰かそういう人が居たら、わたしだってリッドにご飯作ったりしないもん」
小さい頃から、当たり前にそばにいて、リッドが居ることに安心して突っ走って巻き込んで。
「いっぱい色んな事があったんだから。ずっと一緒にいたんだから。いつも通りにしてても、別に何か悪いコトしてるわけじゃないんだよ、うん」
流れていくちぎれ雲を敵のように睨みつけて、ファラはひとつ頷いた。
「いきなり結婚なんて言われても知らないもん。まだ旦那様なんて欲しくないもんね」
あらためて、じっくりと空を見上げる。高い空にちぎれ雲が舞っている。さんさんとふりそそぐおひさまの光。緩やかで乾いた風の匂い。
今夜は晴れる。何が必要かも知っている。用意も小一時間あれば出来る。
ファラの口元に笑みが浮かんだ。
「うん、イケるイケる! となったら……」
今日だけはせめて二人分働かなくっちゃ。
鼻歌交じりに、ファラは猛烈な勢いで草むしりを再開した。