浅い河
Tales of Vesperiaの、ユーリとエステルの本編後の話です。
ハルルと帝都で駆け出し絵本作家と副帝としての活動に追われているエステルと、相変わらずギルドの一員として暮らしているユーリが、葛藤しながら互いに手を伸ばすまでの話です。
仲間たちやヨーデルもちょっとずつ出てきます。
※ユリエス恋愛要素あります
※ねつ造要素あります
お好きな方はどうぞ!
1
密度と熱量の高い討論も一段落し、評議員や官僚達、さらには護衛以外の侍従や侍女までをも下がらせてお茶を飲んでいた時に持ちかけられた話題に、エステリーゼ・シデス・ヒュラッセインは絶句した。
ザーフィアス城の一角にある比較的こじんまりとした会議室に小鳥たちのさえずりだけが明るく響くことしばし、少女は機械的に息を吸う。
「けっこん?」
小さく瞬きをして、耳に届いた単語を繰り返すエステリーゼに、彼女にその言葉を告げた少年は鷹揚にうなずいた。
「ええ。正確には、お見合いの申し込みの打診、でしょうか? 評議会の議長が、息子を紹介したい、と」
彼女の向かいのソファに座って同じように小花模様のティーカップを手にしているのは、このテルカ・リュミレースに唯一存在する帝国の全権を担っている皇帝、ヨーデルである。淡い金髪を高く切り取られた窓から差し込む光に燻らせて、柔らかな風貌と物腰の皇帝は小さく笑った。
「何もそんなに固まった顔をしなくてもよいのですよ、エステリーゼ」
「あっ」
あわてて、少女は動かす事を忘れていた口を閉じた。「ん」の音のまま、開きっぱなしになっていたのだ。エステリーゼの受けてきた教育は、淑女が紳士の前で口を開けっぱなしにするなど言語道断であると説いている。
意味もなくティースプーンをとりあげ、でも紅茶には砂糖を入れない彼女には何の用途も果たさないため再び元の位置に戻し、そうしてからエステリーゼはおろおろとヨーデルの瞳を見返した。
「でも、その……結婚って、わたしが、です?」
「ええ。あいにくと、仮にも皇帝である私の結婚は、お茶のついでにできる話ではなさそうです」
「まあ」
気分を和まそうとしてくれているのだろう、そんな冗談を言うヨーデルの気遣いに感謝しながら、エステリーゼは呼吸をととのえてお茶を口に含んだ。少し熱いそれをこくんと飲み込み、思考を整理する。
結婚。それもまだ申し込みをする前の打診。人払いの理由はそれだったのか、とエステリーゼは口の端に笑みを浮かべた。
ヨーデルは、彼女に選択の余地と自由を残そうとしてくれたのだ。
「どうして、わたしにそのお話がきたのでしょう?」
首をかしげる彼女に、ヨーデルは肩をすくめた。
「それは、無理もないでしょう。エステリーゼ、あなたは皇帝家特有の能力に秀でているために皇帝候補者として最後まで私と並んで立っていました。しかも今は、臨時とはいえ副帝として帝国の中枢にある。政治的な打算と今後の血統を睨んだ貴族が、あなたを一家に迎えたいと目論むのは、無理からぬことです」
にこにこと微笑みながら穏やかに辛辣な物言いをするこの同年代の少年を、エステリーゼは苦笑と共に見やった。
「ずいぶん魅力的な物件ですね」
「しかも、彼の副帝は、文武両道の理想的な淑女です。癒しと慈愛の姫君として帝都内でも人気が高いとなれば、文句のつけようがないでしょう?」
「もう、そんなに褒めてもお茶のおかわりくらいしか出ませんよ?」
口調こそ文句ではあったが、目は笑っているエステリーゼに、ヨーデルが笑いながら「いただきます」とカップを差し出した。白磁のポットから次のお茶を注ぎながら、エステリーゼは嘆息する。
「ヨーデルが即位した以上、そんな話も出なくなると思っていたのに……」
愚痴めいた呟きに、皇帝は声を上げて笑った。
「甘い見通しでしたね、エステリーゼ。私は水面下での牽制大会になっただけ、結婚相手の直接売り込みが減って今の方が楽なくらいです」
「わたしの場合は逆になったわけですね。後ろ盾といえば評議会だけの、前陛下からは縁遠く身よりのないわたしには、積極的なお話はなかったんです」
ため息をかみ殺したエステリーゼの向かいで、ヨーデルはにっこりと笑みを浮かべた。
「ああ、なるほど。身分と権力を振りかざして強引にあなたとの結婚を押し切ったとなれば、天涯孤独の皇帝候補の姫君になんたる振る舞い、となりますね」
「ヨーデルったら、すこしは歯に衣を着せてみません?」
くすくす笑いながら、エステリーゼは新しい紅茶を彼の前に置いた。礼を述べてから、ヨーデルはシュガーポットを手に取る。
「お話のある評議長のご長男は悪い方ではありませんよ。幾度かお会いしたことがありますが、芸術に造詣の深い方です。身分を問わず新しい才能を発掘することがお好きだとかで、評議長が嘆いておられるのをうかがったこともありますね」
「そうですか……」
最初に名前を聞いたのだが、エステリーゼの出席したことのある御前会議やパーティなどで直接見覚えている人名録の中には、その評議長の長男が照合できなかった。
難しい顔をして黙り込む彼女に、ヨーデルは砂糖を入れてよく混ぜた紅茶を口に運びながら笑いかけた。
「まあ、結婚を前提として一度息子とお会いしてくださるようお願いしていただけないでしょうか――という、回りくどい話が私にあっただけですし、断ったっていいんですよ? むしろ私としては、そちらの方が有り難いですし」
「どうしてです?」
首をかしげると、ヨーデルが肩をすくめる。
「エステリーゼの縁談がまとまってしまえば、あなたに選んでもらえなかった対立派閥の集中攻勢が私に来ますからね。今でこそ、私の縁談相手に関しては分裂していますが、団結されると厄介です」
「つまり、わたしはヨーデルの盾ですか?」
「きわめて強力ですから、頼りにしているのですよ」
しかつめらしい顔を見合わせてから、二人は吹き出した。ひとしきり笑い合ってから、肩の力を抜いた様子のヨーデルが、皿に盛られた焼き菓子をつまみ上げる。
「ですから、思い詰める必要はありませんよ、エステリーゼ。この手の話は、これからどんどん増えるでしょう。その中からあなたのお目にかなう人を探してみるのも、面白いかもしれません」
「ヨーデルにかかると、お見合い攻勢も宝探しみたいです」
この話題が出る前の気分に落ち着いたエステリーゼは、そう言いながら窓へと視線を巡らせた。
翠の瞳に青い空が映る。
少し前までの彼女は、窓硝子の外に広がる空を、ただあこがれをもって見上げるだけだった。
けれども、今は違う。あの空の下を歩き、世界中を駆け回り、文字通り空も飛んだ。たくさんの人と出会い、友を得て、多くの喜びと悲しみ、笑顔と涙をその胸に納め、育ててきた。
けれどもその中に一つだけ、芽吹きふくらんでもどうにもできない想いがある。
皮肉げな、けれども優しい黒い瞳を思い出して、エステリーゼはふと目を伏せた。