泣き虫

Tales,小説ユリエス

テイルズオブヴェスペリアの、ユーリとエステルとリタのお話。
ザーフィアス城突入からエステル奪還あたりの時間軸です。

※ほんのりユリエス要素あります
※ねつ造要素あります

お好きな方はどうぞ!


 

 ――本当に私が生きていることが許されないのなら、死んだっていい。
 そう言った少女を、常にはない声音で青年は厳しく叱った。二度と言うなと釘を刺した。
 けれども、その彼女が、涙をこぼしながら、震える声で囁いたのだ。
 「殺して」と。

 クオイの森は緑が深い。獣道に張り出した木々の根を器用に避けながら、鞘に収めた剣を肩に負った青年を先頭に、六人と一匹は黙々と森を進んでいた。
 木々のざわめきや、遠く近く響く獣たちの呻りの中に、いくつかの足音だけが響く。
「そういえばあん時も、ごめんなさいしか言わなかったな」
 低い呟きに、傍らを歩いていたユーリの相棒犬であるラピードはキセルをくわえたまま顔を上げた。
 ワゥ、と、気遣うように鳴いたラピードに続いて、しかめっ面で歩いていた小柄な少女が、さらに眉間の皺を深くする。
「は? いきなり何言っ」
「リタ」
 ユーリを問い質そうとしたリタの肩をごくわずかな仕草で引き止めた美貌で知られるクリティア族の女性――ジュディスは、小さく首を振った。
 先を急ぐユーリとラピードから距離を取るように、ゆっくりとジュディスは歩を進める。その傍らを、カロルやレイヴンが追い抜いて行った。いざ魔物に襲われたとしても心配はない程度に距離を開けてから、ジュディスがリタの肩を放す。
 いつもならつかみ所のない、隙のないほほえみを浮かべている彼女の表情に浮かんでいる憂いを見て取ったリタは、文句も言わずに横目でジュディスを見上げた。
「あんた、ユーリが何のこと言ったかわかってるっての?」
「エステルよ」
 こうして野道を行くときいつもならリタのごく近くを歩いていた少女の名を上げて、ジュディスは小さくため息をついた。
「フェローに会いに行ったとき。あの子が言ったでしょう? 『死んだっていい』って」
「覚えてるわよ、忘れるわけないじゃない! それがどうしたって――」
 声を荒げかけたリタが、はっと息を呑む。
「待って……待って、どういうことなの!? あの時『も』って……、いつエステルが死を望んだっていうのよ!」
 低い声で言いつのるリタに、ジュディスは目を伏せた。
「私にもはっきりと聞こえたわけではないの。でも……帝都にバウルで向かった時、暴走したエステルの力ではね飛ばされる寸前に、あの子が言ったように見えたわ。――『殺して』って」
 リタがぎりっと唇を噛んだ。そのまなじりに光るものが浮かぶ。それを乱暴に袖口でぬぐった少女は、激しくかぶりを振った。
「させないわよ」
 声が震えそうになるのを押し殺すように、リタが呟く。
「簡単な事じゃないってことくらい、わかってる。ユーリが、どうしようもなくなった時の覚悟を決めたからあたしたちを置いていこうとしたのも知ってる。わかってるけど……!」
「そうね」
 厳しい表情をふとゆるめて、ジュディスは彼女の肩より低い位置にあるリタの栗色の頭をそっと撫でた。
「どうしようもなくなった、なんてことにならないように頑張りましょう? 諦めが悪いのが私たちの取り柄だもの、ね」
 こくりと頷いたリタは、視線を上げた。レイヴンと何かを話しながら、先頭を行く黒衣の青年の背をにらみつける。
 その背は振り向くことなく、淡々と歩みを進めている。
 彼らのかけがえのない仲間である少女が捕らわれている場所、帝都ザーフィアスへ。

 エアルが荒れ狂っていた空が青さを取り戻し、仲間のもとにエステルが戻ったのは、それから数日後のことだった。
 満月の子としての力を引き出され暴走しかけていたのを、危うい所で食い止めたものの、力を使い果たしたエステルはしばらく昏々と眠り続けた。
 アレクセイに与していた親衛隊も、多くは捕らえ、残りはどこかに消えたアレクセイに合流するためかいつの間にか姿を消していた。
 デイドン砦の付近に展開し、帝都からあふれていた凶暴化した魔物達を掃討していたフレン率いる騎士団と、避難している評議会の面々が帰ってくる前にと、リタは城の書庫を片っ端から漁っていた。
「リタさん、あっちの棚にあったエアルや魔導器に関係しそうな本はこれだけです。これでこの部屋にあるのは最後だと思う」
 城内に避難していたユーリが暮らしていた下町の住人が、腕に抱えていた数冊の書物をリタの横に下ろしてくれた。
「助かったわ。……ありがと」
 正直なところ、思考を中断する間も惜しかったが、リタはめぼしい記述を書き付けていた自分の帳面から顔を上げた。ユーリの既知らしい数人の青年達は、笑って首を横に振る。
「他に何か手伝える事はあるかい?」
「ううん、これでいいわ。後は自分でするから。あ、でもそうね、水と飴玉とかの甘い物があれば欲しいわ。あと、……エ、エステルが起きたら、すぐに知らせてくれれば……」
 控えめに付け足してみたが、本を並べていてくれた男は力強く頷いて請けおってくれた。
「分かった、まかせておいてくれ。ユーリにも伝えておくよ」
「ありがと」
 まだ口にすることにあまり慣れていない礼を述べてから、リタは再び開いていた書物と愛用の帳面に目を落とした。左手で書物をめくりながら、右手でメモを取る。思考を整理するために独り言を呟きながらしばらく没頭していたが、ふと目線を上げると、そこには見慣れた長靴があった。
 驚いて体を起こす。いよう、と気軽な様子で長髪の青年が水筒を持った手を上げた。
「下町の連中から言付かったから持ってきたぜ。水と飴、あとグミな」
 リタの前にそれらを並べるユーリの腕には包帯が巻いてあった。それに血がにじんでいるのを見て、リタは眉間に皺を寄せる。
「グミはあんたが食べなさいよ。ケガ、治ってないじゃないの」
「おっさんとカロル先生が治してくれるっつってたんだけどなー。おっさんはデコボコ達と走り回ってるし、カロルはどっか行っちまったみてぇだし」
 腕に巻かれた包帯に目を落としていた青年を、リタはにらみつけた。
「悠長な事言ってんじゃないわよ。エステルが起きる前にさっさと治しておきなさい」
 厳しい口調で断じると、皮肉げな口元を軽く引き結んだユーリはリタの前においていたグミから一つを取り上げた。
「……そうだな。気にすんな、って方が無理だろうしな、あの放っとけない病のお姫様には」
「そうよ、あったりまえじゃない。あ、手間かけたわね。さっさとエステルのとこ戻って、あの子起きたら知らせに来てちょうだい。あたしはここでもうちょっと調べ物続けるから」
「はいはい」
 グミを口に放り込み、苦笑しながらユーリが腰を上げる。もう一度書物に目を落としかけたリタは、はっと顔を上げた。
「ちょっと待って!」
 既に扉に向かっていたユーリが、急に呼び止められて振り返る。
「なんだ?」
 わずかにためらってから、リタは一度唇を湿らせてから息を吸った。
「エステルが……殺して、って言ってたの。あんた、前にも聞いてたの?」
 ユーリはしばらく黙っていたが、やがて「ああ」と答えた。
 そう、エステルは言ったのだ。アレクセイに操られて意思を奪われ、無理矢理に力を解放させられ、ユーリに斬りかかりながらも、抑揚のない声で、ただ一つの望みだとでもいうように。
 ――これ以上、誰かを傷つけてしまう前に。お願い。
 世間知らずで、純粋で、お人好しなエステル。どんなに冷たくあしらっても物怖じせず、笑顔でリタの『友だち』になってくれたエステル。
 そのエステルの、自らを殺してくれという願いに、ユーリは一人で立ち向かった。懸命に呼びかけ続けた。荒れ狂うエアルの中、まともに立ち上がれなかったリタ達の願いを背負って、帰って来いと。
「……ま、結果オーライ、ってヤツだよ。エステルはちゃんと帰ってきた。それでいいだろ?」
 肩をすくめるユーリに、リタは小さく頷いた。
「じゃ、お前もあんま無理すんなよ。エステルが起きたら知らせに来る」
 もう一度踵を返し、ユーリが出口に向かう。ぱたん、と閉じた扉を見送って、リタは息をついた。
「――ありがと、ユーリ……」
 リタには出来なかった。それがあの時のエステルの真実の願いだったとしても、エステルを殺すことなど出来ない。傷つける事なんて出来ない。
 そのためらいこそが、エステルの望みを叶えてしまうかもしれない。いや、まだ生きていたいと叫んだ、エステルの本当の望みこそを断ってしまっていたかもしれない。
 だから、出来なかった。
 諦めたくなんてなかった。けれども、結局はユーリに託すことしか出来なかった。
 だから今度は、自分に出来る限りの事をするのだ。アレクセイによって、満月の子としての能力を引き出すために、今のエステルには――そして同調させられているこの帝都ザーフィアスの結界魔導器のシステムには、幾重にも細工が施されている。
 なんとしてでも、それを解いてみせる。せっかく戻ってきたエステルを、やっと見られた笑顔を、また曇らせたりなんてさせない。
 腕まくりをして、リタは次の書物を手に取った。

「……ん、あれ……?」
 かすれた呟きに、窓の外を眺めていたユーリは弾かれたように顔を上げた。本来なら男性が立ち入ることなど許されないだろう皇位継承候補者の姫君の寝室の窓辺にもたせかけていた背を起こして、足早に豪奢な寝台に近寄る。
 柔らかな枕に埋もれた顔はまだ青ざめていたが、ユーリを認めた少女は安堵したように微笑んだ。
「ユーリ……」
「おそよう、エステル」
 からかうように言う青年に、それでもエステルは笑った。
「おはようございます。あの、みんなは……?」
 起き上がろうとするエステルに手を貸したユーリは、水の入ったグラスを渡してやってから傍らのスツールに腰を下ろした。
「リタは書庫にこもってて、おっさんは騎士団や帝都から逃げ出した奴らの受け入れ準備中。カロル先生は下町の奴らを手伝ってくるって出てったきりで、ジュディはバウルやフェロー達と連絡を取るってさ。パティもなんか思いついたつって飛び出して行ったけど、そろそろみんな帰ってくるんじゃねーか?」
 ゆっくりと水を飲み終えたエステルから空になったグラスを受け取るユーリは、おかしそうにつけくわえた。
「呼びに来いっつってるリタ以外はみんな、ちょいちょい様子見に来てるからな。どっかのお姫様の放っとけない病の感染率はすごいもんだ」
 軽口に笑うエステルの額に手を当て、青年は軽く眉をひそめた。
「……まだ冷たいな。もうちっと横になってろ。血の気が戻ってない」
「もう大丈夫です」
 ムキになったように言い返すエステルに、ユーリは首を横に振る。
「ダメだ。約束してるからこれからリタを連れてくるが、鬼のよーに心配してるあいつの前でもそのセリフが言えるのか?」
「もちろん、言えます!」
 そう断言するエステルの前に、ユーリはサイドテーブルに載っていた銀細工の手鏡を差し出した。
 よく磨かれた鏡面には、まだ青ざめてやつれた風情のエステル自身が映っているはずだ。
「言えるのか?」
 再び促すと、しばらく鏡とにらめっこをしていたエステルが、さっきまでの意気込みはどこへ消えたのか、弱気な視線をゆっくりとユーリに向けた。
「いえ、あの……えと、たぶん……言えるかなって、思って……いたんですけど……」
 想像力が豊かなエステルだ。ちょっと考えてみただけで自信がなくなったらしい。
 小さく吹き出すと、ユーリは寝乱れたエステルの髪を梳くように撫でてやった。
「大人しく寝てろ。すぐにリタを呼んでくるから」
「はい」
 拗ねていますと主張する声音と表情で頷いて、エステルはもう一度枕に頭を落ち着ける。と、離れていく青年の黒衣の裂け目に覗いた白いものを認めて、彼女は跳ね起きた。
「うおっ」
「ユーリ、ケガしてるんです!?」
 深窓の姫君には似合わぬ剣の腕を持つエステルだが、それでもユーリの力にはかなわない。握ったはずのユーリの袖口はあっさりと取り返されてしまい、さりげなくエステルの視界からその裂け目は隠された。
「グミ食ったし、もうなんともないって。ばたばたしてたからな、包帯を外し忘れてただけだ」
「本当です?」
「本当だって」
「本当に、本当です?」
「んだよ、信用ねぇな。なんともないっての」
 呆れたように肩をすくめるユーリに、エステルはうなだれた。
「……ごめんなさい、私のせいで……」
「それ以上言うなら、今晩からエステルのメシはすき焼きとちゃんちゃん焼きのフルコースにしてもらうぞ」
「うっ」
 実は苦手としているメニューを挙げられ、エステルはユーリを上目遣いに見上げた。意地悪く笑っているが、その瞳は優しい。
「ごめんなさいはもう聞きたくねぇな。フェローに会った後、ふざけてんのかって言った時もそれしか言わなかったしな、お前」
 エステルはうなだれた。白い手が掛け布団の端を握りしめる。
「私……」
「だから、ごめんなさいは聞かねぇ。生きていたいっつったのはお前だ、エステル。オレはそれをちょっと手伝っただけだ」
 涙をこらえて、少女は小さく頷いた。肩にぎりぎり届かない長さの桃色の髪が、ふわりと揺れる。
「だから、今度こそ二度と言うなよ。次は絶対に聞いてやらねぇ」
 撫でるように、諫めるように、ユーリの手がエステルの頭の上で弾む。
 エステルは彼女のものより大きくて固いその手を取ると、捧げ持つ仕草で両手で包んだ。
「――はい。言いません。ユーリに……みんなに、あんなひどいこと、もう絶対言いません。させません」
 先ほどの約束を守ってか、エステルは「ごめんなさい」とは言わなかった。震える声で言い切って、そして、少女を絶望の淵からすくい上げてくれた手の持ち主を見上げる。
「ありがとうございます、ユーリ」
 涙に揺れる碧の瞳が微笑む。それに、ユーリは笑い返した。
 先ほどエステルの目から隠した方の手を上げて、軽く少女の額を指でつつく。
「泣き虫」
「泣いてませんっ」
「もっかい見るか? 鏡」
「見ませんっ」

 余談になるが、ユーリが呼んできたリタは当然のように全速力でエステルの部屋に飛び込んだ。
 心配かけさせてと怒鳴ったそばから良かったと泣きじゃくる友だちと抱き合ってわんわん泣いているエステルの姿を眺めて、ユーリはやっぱり泣き虫じゃねーかと肩をすくめた。
 が、その顔に浮かんでいるのは、いつも皮肉げにかまえてる青年にしては珍しい、柔らかな微笑だった。

 

―了―