Turn and turn
9 (一歩前へ)
黒い髪を無造作に束ねた頭を振って、「終わったよ」と手当をしていてくれた彼女は立ち上がった。
魔術を使えば治すのは簡単だが、しいなはゼロスが魔術を使うのをあまり好ましく思っていない節がある。今もそうだ。ファーストエイドを唱えようとしたゼロスを遮って薬草だの包帯だのを取り出して、さっさと応急手当を済ませてしまった。
だいたい彼女の考えそうなところはわかる。魔術の力は、普通の人間には扱えない能力だ。それはエルフの血を引くモノだけが可能なもので、本来ヒトであるゼロスがそれを扱えるのは人為的な処置が行われたからである。
それは、シルヴァラントからやってくるという、再生の神子の一行に潜り込んで情報を探り出すのと引き替えに、神子から解放するという取引の元に行われたものだった。粉末状にした石を飲まされたあの処置を受けたときの事は思い出したくもないが、実際あの力で助かってきたのだから、気にすることもないと言うのに。
けれど、しいなは頑なにそれを拒む。先程の様なモンスターとの戦闘時や、世界統合を快く思わない一行や野盗に襲われた時などは、さすがに何も言わないが。
調査と交渉に赴いた先で頼まれた――というよりはしいなが止める間もなく引き受けた――最近襲われて困っているという山賊を軽く掃討し、控えていた役人に男達を引き渡した後、唐突にしいなはゼロスの肩を平手ではたいたのだ。うかつにも上げてしまった悲鳴の語尾をふざけた響きに変えてみせたのだが時既に遅し。手のひらについた、乾きかけてべったりとした血を確認してしいなは眉間の皺を深くした。
言い逃れのしようもなかった為、そのまま有無も言わせずてきぱきと処置を施されてしまったわけだが。
「まったく、見てるこっちが痛いよ」
包帯を巻いた上から傷の辺りを平手ではたかれて、ゼロスはまたも大げさに悲鳴をあげた。痛いのは確かなのだが、実際ウソでも演技でもなく目尻に涙もにじんだが、それでも悲鳴が冗談っぽい響きを帯びるのはクセの様なモノだ。
真実を冗談の中に紛れさせて曖昧な中に全てを埋もれさせて、そうやって人生の大半を過ごしてきたのだ。今更それを180度方向転換しろと言われても、染みついてしまった習性はそう簡単には直らない。
だから肩をすくめる。
「実際ケガしてるのは俺さまっしょー? しいなが痛がることないって」
ひらり振った手の向こうで、しいなは舌打ちを漏らした。
「バカ、違うよ。怪我じゃなくてあんたの」
苛立たしげにそう言ったしいなが、軽く目を見張りかぶりを振った。なんでもない、と切り上げて、踵を返す。一拍遅れて、主の後を桃色の腰帯が揺れた。
なんでもなくない。誤魔化すのがヘタとかそう言うレベルではなく、言いかけた何かを彼女は飲み込んだのだ。
「なーによそれ。気になるじゃないの」
荷を取り上げて歩き出そうとする彼女の後を追い、横に並ぶ。早足の彼女に歩調を合わせて、なーなーと取りすがるものの、しいなはなんでもないと繰り返すばかりだ。
問いつめるのは諦めて、ゼロスは赤くなりはじめた空を見上げて指を折った。
「見てて痛い。ってことは俺さまの麗しい美貌や気品ではない。怪我でもない。となると……いや、仕事が忙しいからハニー達ともてんでご無沙汰だしなぁ」
「自分でそこまで言えるなら立派だよ、ホントに」
呆れた響きの返事に、しかししいなはこちらを見ようともしない。ゼロスは内心で舌打ちをした。
しいながこちらを見ようとしないのには、理由がある。じっと見つめられてしまうと目をそらせないからだ。誤魔化しきることが出来ないからだ。
向けられた感情にそのまま向き合うしか術を知らない彼女の弱点がそれなのだが、それをしいなが自覚しはじめてしまったらしい。
ちょっと近づきすぎてるのだろうと思う。
あの旅からこっち、しいなは確実にゼロスの縄張りの中に入り込んできている。
そもそもずかずか侵入してきておいて、「あれここ入っちゃいけなかったのかい?」ときょとんとする様なしいなだから一度閉め出したのに、似たような少年の侵入を許してしまったが為に、かなりガードが緩んでしまっているのは確かだ。
けれど、同時にしいなのガードもまた緩んでいるのだろう。
まあ悪いことではないと思う。悪くないとも思う。その一方で、まだ竦む。まだ手が伸ばせない。伸ばした先が怖い。
並んで歩く、ただそれだけ。ふと目をやった先の、夕暮れが近づいて長く伸びたふたつの影も触れないままだ。
(ロイド君もマッサオな純情加減じゃないの、俺さま)
く、とこみ上げかけた笑いを喉元で殺す。そうしてから、ゼロスは舌で唇を湿らせ、彼女の名を呼んだ。
「しいな」
冗談っぽい響きなどかけらも混入させないで。
ただ真摯に呼べば、向き合うしかないのが、しいな。
時に妬ましく、時に眩しく、時に疎ましく、眠らせて凍らせていた何かを揺さぶり続ける、彼女。
「――戦い方」
ぽつりと呟いて、しいなは意を決したように顔を上げた。きらり、沈みゆく陽の欠片を宿したように瞳が輝く。
「戦い方だよ! あんただって一通り正式な型を習ってるはずなのに、なんであんな隙だらけなめちゃくちゃな戦い方をするんだい? だからあんなケガもするんだよ! ホントに見てて痛いったらないさね」
一度口にしてしまったらとことんまでのつもりなのか、足まで止めて彼女は力説しはじめた。
「髪やら服やらはあんなに気を遣うクセに、ちょっとは自分の命も気を遣っとくれ! 魔術で傷跡は消えるかもしれないけどね、痛いものは痛いんだ! あんたが痛くないとか言っても知らないよ、見てて痛いんだからね!」
つられて立ち止まり、まくしたてるしいなをただ見下ろして、そしてゼロスは思った。
ああやっぱり。近づきすぎているのだ。
そんなことまで気づかれてるのは、互いに共通した痛みからくる共感ではなく、理解をされはじめてるからだ。
恐怖が先に立つ。それはもう条件反射で、望んでしまう自分自身にすら拒絶が来る。
けれど、どこかで信じてみたいと思っている自分も居る。それを、今は認められる。
しいななら。今目の前で、他人の痛みを自分の事の様に痛そうな顔で力説している彼女なら、ひょっとしたら本当はどうしようもなく欲しかったものを求めても、同情なんかじゃないものを返してくれるかもしれないと、望んでもいいのかもしれないと、そう思うのに。
まだ、言えない。まだ思い切れない。ぴくりと彼女にむけて動きかけた指先を、いろんな抑制機構をフル稼働させて押さえ込む。
「はいはいはい、わーったわーった。気をつけてみましょー。それでいーだろ?」
お手上げ、と軽くバンザイをするようにして言うと、しいなは仰々しく頷いた。
「分かればいいんだよ。っとにもう、なんだってこんな戦闘の初歩の初歩を今更説教しなきゃならないんだい? 自分の命を軽んじてちゃ勝てるものも勝てないんだよって、ちゃんと聞いてるのかい!?」
「きーてるきーてる」
歩きはじめた背に、しいなの声が追いかけてくる。先程とは逆だなと思いながら、振り向いた先では山の端に夕陽が沈みかけていた。
その緋の光の中で、しいなが怒ったような顔で追いかけてくる。離れていた影が近づいてくる。
笑みを漏らした。少しだけ腕を伸ばして、無理矢理まとめているせいであっちこっちに跳ねている髪のあたりの影に、影の指先で触れて。
「しいなが俺さまをものすごーく心配してくれてる、って話だろ?」
笑いかけた先で、橙の逆光の中、赤く顔を染めたしいなが、誰がそんな話をだの心配しちゃ悪いのかいだのそもそもあんたが悪いんだろうだの、支離滅裂な糾弾をしてくるのを笑いながら影が並ぶのを待って、歩き出した。