Turn and turn

Tales,小説ゼロしい

7 (シニカル)

 

 野営の焚き火が闇を不規則に揺らす。その灯りの輪の中に、思い思いに体を休める仲間を見渡して、男は唇の片側を少し上げた。
 こういう奴らだとわかってはいるものの、無防備に休んでいる彼らの姿に知らず浮かぶのは、苦笑と自嘲だ。
 一度は裏切ったのだ。完膚無きまでに、手のひらを返したのだ。
 それは、裏切りを持ちかけてきた男と打ち合わせた上での三文芝居に過ぎなかったが、あの瞬間、このままでもいいかとも思った。彼らが信じてくれないのなら、それでもいいかとも思ったのだ。
 けれど、いざコレットを奴らに引き渡したとき。彼らが自分を見る目が、憤りだけのものではなかった。
 驚愕、愕然。そして、信じたくない、と言いたそうなその目。それは、自分が本当に信じられていたということ。
 ロイドが、唇を噛んでいた。神子であり、天使であるコレットの傍に常に居た彼は、その背に負わされているものを理解しているのだろう。こちらの事情など知るはずもないのに、その顔にはありありと動揺と後悔の色が浮かんでいた。
 リーガルに、プレセアまでもが息を呑んでいた。リフィルの表情は固かった。ジーニアスはミトスに続いての裏切りに、顔色を失っていた。
 しいなは、泣きそうな顔をしていた。神子をやめられればそれでよかった、と告げたとき。動揺に、顔を歪めていた。
 何故だ、と問いながら、どうして気付かなかったんだ、と、彼らがそう思っているのがわかってしまったのだ。
 あの時告げたのは、彼が笑顔の裏側にひた隠しにしていた真実の一つだ。彼を突き動かしていた、動機だ。
 裏切りの対価として、クルシスに神子から解放するという条件を承諾されたときに、それも面白いと思った。
 神子であるということ。それはこの世に生を受けた瞬間から、彼自身そのものであった。切り離すことも叶わない、逃れることも叶わない。そういうものだった。
 確かに、神子であると言うだけで、生活に困ることはない。欲しい品はなんでも手に入る。誰もが好意の笑顔を向けてくる。恭しく頭を下げてくる。
 だが、それだけだ。それだけだった。
 父親には疎まれ、母親は自分を否定して死んだ。腹違いとはいえ妹とは滅多に会うこともなく、嫌われている。それはそうだろう。彼女が修道院に閉じ込められて自由を奪われているのは、『神子の妹』だからという、たったそれだけの理由なのだから。
「……なぁにが」
 神子だ、という台詞を辛うじて呑み込んだ。焚き火を挟んだ向かい側で休んでいる金の髪の少女を見やる。
 再生の神子として神託を受け、彼女の大地シルヴァラントを救うために、自ら天使になろうとした少女。
 その体は人間から遠ざかり、一時は味覚、触覚、痛覚を失っていき、眠ることに食べること、そして話すことすらもできなくなっていたという。
 実際、彼が初めて会ったときの彼女は、完全に天使体だった。防衛本能に基づいて、自らの敵を殲滅するだけの、動く人形。神聖都市ウィルガイアに居た、天使達と同じ。
 けれど、彼女は自分自身を取り戻した。彼女を取り戻そうと必死だった、彼女の幼なじみ達と、そして仲間たちの努力と、彼女自身の想いの強さで。
 自分を取り戻して、仲間を見つけ、その中でも常に少女の隣に居続けた幼なじみを認めるなり、コレットは笑ったのだ。
 ごめんね、ありがとう、と言って、それは嬉しそうに笑ったのだ。
 あの小さな体のどこに、そんな強さが潜んでいるのだろう。
 体は奪われても、心は自由だから、と言い切れる強さ。
 でも、きっとそうなったらダメなんだろうな、と、弱さを認められる強さ。
 それはきっと、常に彼女の傍らに居た彼らの力でもあるのだろう。
 コレットはコレットだ、と言い切るロイド。それに力強く同調するジーニアス。ずっと共に育ってきた、幼なじみの二人。
 わざと冷徹な判断で最悪の可能性を示唆しながらも、いつでもコレットを案じているリフィル。
 故郷の村に居る祖母と父親にも、慈しまれて育ってきたという。
 何もかもが、彼とは違う。
 心を預けられる存在など居なかった。意のままにならぬ彼を疎んじた教皇に狙われ、ひたすら生き抜くことだけを考えていた。
 そもそも、望まれて生まれてきた命でもないのに、生き抜くことを考えている自分がひどく滑稽だった。それでも、死は怖かった。神子でなければ、と思った。
「やれやれ。無い物ねだりもこの上ねーな」
 くっく、と喉の奥で笑う。
「……ゼロス? 何か言ったかい?」
 ぴくりと首をすくめる。声の方を見やると、思わず漏らした呟きを耳に拾ったのか、彼に一番近いところで眠っていたしいなが、肘をついて上体を起こしながら尋ねてくる。
「ただの独り言だ。気にしなさんなって」
 ひらひらと手を振ってみせる。独り言ねえ、と首をかしげたしいなが、その場に体を起こすと伸びをした。
「もうすぐ朝だね。空の端が薄い」
「そうだな。やれやれ、やっと見張りもオシマイか」
 片膝だけをたてたその上に腕をのせて、空を仰ぐ。目障りな救いの塔が、その空に突き立つようにしてそびえている。
 かつての英雄と、天使達によって仕組まれたこの世界のシステム。それを排除して、世界を元の形に戻そうだなんて、そんなのはただの夢物語だと思っていた。できっこないと思っていた。
 だから、レネゲートにもクルシスにも内通した。生き延びて、神子であることを捨てられる道を探すためなら、なんでも出来ると思った。誰であろうと欺いて利用してやろうと思っていた。
 けれど、彼らは彼らの目的をやり通すだろう。この仕組まれた世界を変革して、すべてのものが、あるがまま生きられる世界を作るために。
 持てる力の全てを賭けて、あがいてあがいて、生き抜こうとするのだろう。
 それは、神子であることから逃れるために、自分がしてきた事と同じ。
 それならば。
 こいつらに賭けよう。きっと、今の最善はこれだ。そう決めた。
 コレットをユグドラシルに引き渡せ、というクルシスからの要求。クラトスからの、ロイドにエターナルソードを扱わせるために手を貸せ、という提案。それらが一気に押しよせたあの日、信じていると告げられて、決断した。
「……ゼロス?」
 再度の問いかけに、彼女の方に向き直る。しいなは、膝の上に手を揃えて、きちんと座っていた。
「なんだよ?」
「こんなこと、今さら言うのもなんだけど、さ」
 そこで一度言葉を切って、言いにくそうに何度か口を閉じたり開いたりした後、しいなはぎゅっと膝の辺りを握りしめる。
「……悪かったよ。あたし、あんたの辛いこととか、全然わかってなかったんだね」
 神妙な面持ちで告げられる台詞に目を丸くして、そして吹き出した。馬鹿にされたと思ったのか、頬を赤く染めて、一応声量を抑えた声でぎゃんぎゃん抗議してくるしいなに、悪い悪いと謝りながらも腹を抱える。
 ひとしきり笑い転げて落ち着いてから、ふくれっつらのしいなを見やった。
「いーんだよ。俺が分からせようとしなかったんだ。分からなくて当たり前だろ」
 誰にも気付かれまいとした。弱さだと思ったから。それを見せることは、負けだと思ったから。
 けれど、それを負けだと思うことこそが弱さなのだ。それを知った。彼らが、教えてくれた。
 まだ何か言いたそうなしいなに、笑ってみせる。
「ま、熱血馬鹿と付き合ってると、多少はうつってしまうのかもしれねえな。この俺さままで巻き込むなんざ、たいした奴らだよ」
「違いないね」
 やっとしいなが小さくではあるが笑みを浮かべた。よしよしと頷いてから、息を吐いて空を見上げる。
「こうなったらとことん付き合ってやるさ。誰もがあるがまま生きていい世界、なんて途方もねえホラ話にしか聞こえないが、やっちまうんだろうし」
「それはつまり、あたし達を信じるってことかい?」
 驚いて、思わず視線を転じて、しいなを凝視した。彼女は笑っている。
 その笑みにつられたわけではないが、笑みの混じった息を吐き出した。
 生憎、信じることは至難の業だ。生まれてこの方、信じてもらうための努力はしたが、信じる努力などしたことがない。
 けれど、笑いかけてくる彼らに、胸が痛まない、というのは、楽なものだった。笑顔を言葉を偽らずに済むというのは、肩の凝らないものだった。
 私の心は自由だから。だから、自分の心が望むまま。
 他ならぬ、神子である少女が口にした言葉。
 自由に憧れる余り、自由を失っていた。なんて皮肉な様だろう。心を縛り、笑顔を偽り、人を欺き、生きていくことの何が自由なのか。
 今は、それがわかる。
 この世界を、神子である自分を取り巻く人々を、価値のないものにしていたのは、他ならない自分自身だった。
 信じていないものを、信じてくれる人間などいない。笑いかけないと、誰も笑い返してはくれなかったように。
 それをわかっていたのに、だから笑みを貼り付けて生きていたのに。
「――かもな」
 呟きに、そっか、と小さなうなずきが返ってきた。そのまま、しいなは立ち上がった。
「ちょっとそこの川で顔洗ってくるよ。そろそろ順番に起こしてやりな」
 彼女が指さした方には、今日最初の光の筋が、大地に投げかけられている。
「おー。べっぴんさんになってきな」
「ばぁかっ」
 しかめっつらのような笑顔を残して、川に向かう彼女の背を見送ってから、さてと、と辺りを見渡す。まだ他の皆は夢の中だ。
 お湯でも沸かしておいてやることにして、やかんを取り上げた。水を汲み置きしてある桶からやかんに水を移して立ち上がる、その視界に、白く色づいた塔が横切る。
 救いの塔。何も救ってなんかくれやしない、その天を突く塔。
 今からあれをぶちこわしに行く。仲間たちと共に。
 待ってやがれと睨みつけて、彼は焚き火に薪をくべた。