Turn and turn

Tales,小説ゼロしい

6 (Crossing)

 

 なんだか頬がじわりと痛い。誰かが、呼んでいる。
 何を?
 あたしの名前だ。しいな、って。繰り返し繰り返し、何度も。
 おかしいな。だってあたしは魔導砲もどきを撃つ為に、もう体内のマナを使い果たしちゃった後で。落ちる前にちらりと覗いたあの穴の底は、底があるのかどうか分からないほどの闇で。
 また声がする。ゆりかごをゆらされているような、不思議な感覚の中に、はっきりとした言葉が飛び込んできた。
「しいな! こら起きろ! あんま寝てっと襲うぞ」
「いや、もう少し優しく起こしてみたらどうだろうか」
 控えめなバリトンの申し出に、全くだわ、と答える落ち着いた声。リーガルに、リフィルだ。
 起きる? どうやって? だってあたしはもう――
「この俺様とリフィルさまとできっちり手当てしたのよー? もう起きていいはずなんだから起こせばいいんだよ。急がないと間に合わねぇ」
 驚いた。できることなら、何度も瞬きしてしまいたいくらいに。
 ゼロスの声だ。この芝居がかった言い回しを、間違うはずがない。
 あいつがあたしを、手当てした?
 そんなはずない。だってあいつは、あたし達を裏切った。コレットを連れ去った。マーテルの器にされてしまうことがわかっていて。
 神子の立場から解放されるために。強者の側につく為に。
 そんなにもあんたが苦しんでるなんて知らなかったんだ。
 だってあんたは、いつでもへらへらしてて、神子さまって呼ばれてもハイハイ笑顔で返事して、神子なのをいいことに町中の女の子をナンパして。
 時々、驚くほどシビアな事を言ったりした直後におちゃらけたりしてた、あんたの、誰にも見せようとしなかったあれは。
 あんたの、本音だったんだ。誰かに見せてしまえば崩れそうな、あんたの脆さでもあったんだ。
 気付かなくてごめんよ、って。でもそれならどうして打ち明けてくれなかったのか、あたし達を信じてくれなかったのかって。謝りたいことも、文句を言いたいこともたくさんで――
「こらアホしいな! いい加減起きやがれってんだ!」
 ぱちん、と、両方のほっぺたが鳴った。思わず体を跳ね起こして、そのまま気配の方に裏拳を叩き込む。
 ごん、と、確かに手応えがあった。
 ――手応え?
 手を握る。動く。見える。
 ゆっくりと上げた視界の中で、安堵に緩んだ笑顔で、良かったこと、とリフィルがと呟いた。その後ろには、やっぱり安堵した様に頷くリーガル。
 そして、傍らで、顔を押さえたゼロスが転がって呻いている。
 わずかに熱く痛む拳。条件反射で反撃をしたはずの。
 夢じゃ、ない。
 呆然と辺りを見回す。石造りらしい壁を食い破っている、大樹の根。間違いない。これは、意識を失うまで、あたしが居た場所。暴走した大樹によって変わり果ててしまった、救いの塔の内部。
「……ここは? あたしは、なんで」
 思わず呟いた瞬間、がばりとゼロスが跳ね起きた。
「あのなー! 助けてやったのに起きるなり問答無用でこの仕打ちってのは、いくらなんでもあんまりじゃねーのー?」
 右頬を押さえて、いかにも「俺様かわいそう」と言いたげな、いつもの情けない顔で訴えてくるゼロスを、まじまじと見つめる。
 助けてやった? ゼロスがあたしを?
 なんで。どうして?
 だってあんたは裏切ったんだ。あたし達はわかってやれなかったから。一番、付き合いの長かったあたしでさえ、あんたをわかってなかった。
 だからあんたは自分が一番いいと思った道を選んで、あたし達を裏切ったんじゃなかったのかい?
「……あんた……なんで……」
 声は掠れた。言いたいことはたくさんあるのに、出てきたのは、そんな言葉。
 鼻を鳴らして笑ったゼロスが、あぐらをかくようにして座ったまま、偉そうに胸を張った。
「まったくお前らときたら、ハイペースすぎんだよ! ちょっとは助けに行く俺さまの都合も考えろっての」
 どうして。
 思わずゼロスの胸倉をひっ掴んだ。引き寄せざま、一発右頬に平手をとばす。熱い痛みがてのひらに弾けた。
 いってぇ、と彼が呟いた。ただそれだけ。何をするんだとも、凶暴女とも、なんとも言わなかった。
 いつもなら、立て板に水のようにさらさらと流れてくる言葉の奔流が、来ない。
 胸倉を掴んだ手に、固い感触が触れる。エクスフィアだ。
 こいつが、神子であるために取り付けられたもの。マナの血族として、この世界のシステムに組み込まれてる、何よりの証。
 そっと手を離した。ゼロスの顔から笑みが引く。すっと瞳が細くなる。
「……一発でいいのか?」
「あんた、アレ本音だろ? 神子にうんざりしてたってのは」
 ゼロスの問いには答えずに、あたしは問いかけた。ゼロスの、灰色がかった青い瞳を真正面から見据える。
 ひょいと肩をすくめただけで、ゼロスはそれを肯定も否定もしなかった。つまり、それは消極的な肯定だ。
「それを、あたし達に見せようとしなかったのに腹がたったから一発。事情は後から聞くけど、例え芝居でも一度でも裏切って、みんなに辛い思いをさせた分はさっきの一発。それでいいよ」
「ふぅん?」
 わざとらしいまでにきょとんとした表情を作って、ゼロスはあぐらを組んだ。こう言うところが腹が立つんだと何度言えばこいつはわかるのだろうか。
 思わずむっとしたあたしに、ゼロスは首をかしげる。
「謝れとは言わねぇのか?」
「……謝る気があったらとっくに謝ってんだろあんたはー!」
 もう一度ゼロスをはたき倒してからあたしは立ち上がった。
「さぁて、さっさと行こうか! ロイドを先に行かせたんだ、助けにいってやらないと!」
「だからさっさと起きろっていうのに、お前ぐーぐー寝てるし」
「いや、あれは気を失っていたというのではないか?」
 控えめに異を唱えたリーガルの傍らで、リフィルが大きくうなずく。
「そうですよ。もう大丈夫そうだから安心したけど、そもそも気絶と睡眠というのは、全く別のものです」
「是非あなたの枕元で確かめてみたっいてててて!」
 いつもの調子の会話が、ゼロスを中心に繰り広げられる。それは、前と何も変わらないようで、でも確実に何かが変わっていて。
 お腹の底からくすぐったいような感覚が沸き上がってくるのを押し殺して、あたしはてのひらを広げた。
 すぱん、と、紅色の頭をはたく。
「いい加減にしろっ、この女好き!」
「ひっでー! しいなさんひっでー! リフィル先生のこの魅力がお前にはわからねえの!?」
「論点をずらすな!」
 ぴしゃりと怒鳴りつけといて、まだ幾分重たいけれど、ちゃんと動く足で踵を返した。
「さ、急ぐよ。まだみんな助けてやらないとならないんだからサ」
 ゼロス、と名前を呼んで振り返ると、妙に柔らかい笑みの、アホ神子が居て。なんとなく、それに微笑みを返して。
 そして、あたし達は歩き出した。