Turn and turn
5 (ないものねだり)
「ね、お願いゼロス」
ぱん、と胸の前で両のてのひらを合わせる少女を見下ろしながら、顔をしかめて頭に手をやった。常日頃、手入れに精を出している髪がくしゃくしゃになるから、頭をかいたりはしないが、そうしたい気分というのはまさに今なのだろうと思う。
「んー、柄じゃねぇんだけどなぁ」
「だってゼロスが一番経験豊富だってジーニアスが言うから、ゼロスがいいかなぁって」
「そりゃどーいう意味よ、コレットちゃぁん」
がくりと肩を落として、情けない声をあげる。あはは、と柔らかく笑って、けれども目の前にちょこんと座り込んだ少女は引く気配もない。
エルフの里、ヘイムダール。森の奥の隠れ里は静かで、華やかなメルトキオとはまるで雰囲気が違う。同じテセアラにあるとは思えないほど、ありとあらゆる流れから切り離されているようだった。
明日にはこの森のさらなる奥へと足を進めるはずだが、肝心要のロイドを落ち着かせるためにも一泊しようと広場を借りて火を焚いていた時の事だった。
なにやらしいなと話しこんでいるロイドをそっとしておいてあげたい、とのコレットの主張はわかる。わかるが、それと「相談していい?」と今目の前で座り込んでいるのとなんの関係があるのかと首をかしげた。
そもそも、この少女が自分に何を相談しようというのだ。ロイドの事ならガキんちょや先生にすればいいものを。
けれど、どこまでも透き通った青い瞳にじーっと見つめられていると、どうにもこうにも居心地が悪い。
わかったよと頷くほかの手段を思いつけなくなって、それを実行した。
「はいはい、俺さまで聞けることならなんなりとどーぞ? かーわいいコレットちゃんの頼みだしな」
「うん、ありがと、ごめんね。あのねゼロス」
嬉しそうに笑った同じ神子の少女は、小首をかしげて無邪気に尋ねてきた。
「振り向かない人を見てる時って、ちょっと安心するけど、でもちょっと苦しいね」
凍った思考の片隅で、やっぱり凍り付いたような唇を動かして、「……なんで?」と尋ね返すのがやっとだった。なんとも不覚にも。
けれど彼の反応を意に介した様子もなく、柔らかな金髪を反対側にさらりと零して少女はあっさりと口を開いた。
「だって、見てればいいんだもん。ああ笑ってる、いいことあったのかなって、それだけでちょっと幸せな気持ちにならない? なるよね?」
……これは新手の誘導尋問かと本気で疑いながら、上唇を軽く舐めた。右手をあげて、バンダナの位置を調整するフリをして彼女の目から顔を隠す。
「コレットちゃんなら、そんなの関係ないんじゃねーの? ロイドくんなら、コレットちゃんが声かければ何をさておいてもすっ飛んで来るでしょーに」
実際、あの少年はそうするだろう。それが今の今、しいなと話しこんでる真っ最中でも、きっと彼はごめんと会話を遮って、一目散にコレットのもとに駆けてくる。
その想像は息をするほどに簡単で、しかしコレットは首を振った。
「だって私、そうするつもりだったんだもん。死んで天使になって、そしてずっとロイドを見守ってるんだって。あ、今はもちろん違うよ?」
笑顔で紡がれる言葉は、柔らかな調子とはかけ離れた内容だったが、ゼロスは小さく笑んだ。
神子という運命から逃れるために、それだけのために全てを注ぎ込んでいたゼロスと、その神子の運命を受け入れる事に全てを注ぎ込んでいた少女。
同じ立場で、生き方は正反対なはずだが、けれどそうしようとした動機は何故かわかってしまう。
彼女は、彼女を肯定した少年と、その世界を守るために。
彼は、彼を否定した者と、その世界から逃れるために。
繁栄世界と衰退世界という違いはあっても、全ては神子であったから、だ。
落ちかかる前髪を手で払って前を見ると、組んだ両手に目を落としたコレットがふと視線を巡らせる。その先には、やはり未だ何かを話しているらしい、ロイドとしいな。
「だから、考えたりもしてた。いつかロイドは誰か他の人を好きになって、結婚して、幸せな家庭を作って。そこに私は居なくて。でもロイドが幸せなら、それでもいいかなって」
「……コレットちゃんらしーねぇ」
何かがにじみそうになる声を、なるべく軽いトーンに変える。かなり苦心しながらそうしたのに、少女は戻した視線をゼロスにあてて、唇だけで笑った。
「ううん、そんなことないよ。だって私、今思ってるもの。気付いてくれないかな、こっち向いてくれないかなぁって」
わがままなのにね。そう言って柔らかいクッションを潰すように笑う顔に、笑みを返して。
手を離した。いや、手ひどく突き放した、と言っていい。
いつかは誰かが、彼女の手を取っていくことをわかっていて、離した。
けれどもそれでも、まだその手が空っぽであることに安堵する、心のどこか。
ああだから、人は愚かで度し難い。
「……いーんじゃねーの?」
ぽつりと零れた言葉に、コレットが見上げてくる。
それを失言にしてしまう前に、紅い手入れの行き届いた髪を肩の後ろにかきやって、口元には笑みを浮かべた。
「それがコレットちゃんのほんとうなら、それでいーんじゃねーの? かわいー女の子のワガママはかわいーもんだって古来より決まってるんだし」
実際この少女の、そのくらいの我が儘くらい通ってしかるべきだろうと真剣に思う。死んで世界を再生する為に生まれてきて育てられた、世界の生け贄。常に他の何かの為に生きてきた少女の、ごく普通の少女が願うのと同じ様な我が儘のひとつやふたつ、優先的に叶えるのが至極当然だろう。
だが、当のコレットは肩をすくめて微笑んだ。
「しいなが言ってたよ? ゼロスの言うことはゼロスの世界だけの真実だからほんとにするなって」
「うっわぁ俺さま信用ねーの」
冗談めかして肩を落とすと、コレットは笑顔のままゼロスから視線を外してほおづえを突いた。
その視線の先には、まだ何か話しこんでいるロイドとしいな。二人の様子は、遠目に見ても少し深刻そうだった。
何を話しているのかは知らないが、ひょっとしたらこの少女の耳は拾おうと思えばその会話をも拾えてしまうのかもしれない。だからこそ、今彼女はこうやって、他の誰かと話をしているのかもしれないと思い当たり、少しだけ顔をしかめた。
遠くからやってくる兵士の足音すら聞き分ける耳だ。きっと雑作もないのだろう。けれど、彼女はそれを良しとしない。その心根こそを、少女の周りに居る人間は尊んできたのだと、こんな時にも思い知らされる。
「でもしいなも笑ってたし、半分くらいは冗談だと思うけど。仲良しさんだね、しいなとゼロスは。前から知り合いだったんでしょ?」
「ん、まーな」
曖昧に濁して、空を眺めた。重なり合った葉擦れの隙間からのぞく夕焼け空。もうすぐ夜が来て、そして朝が来る。
ロイドが過去と現在に決着をつける日が来る。とうとう、その日がやってくる。
だというのに、未だ何も決着のつかない自分自身。ようやっと、開ける気もなく錆びつかせていた扉の前に立っただけの、自分。
コレットが小さく「あ」と声をあげるのに視線を戻すと、しいながロイドに手を振って、ロイドはそれに何かを応えているのが見えた。そのまま、ロイドは何かを考え込みながら歩き出し、しいなはその背を見ている。
コレットが立ち上がった。ちょっといってくるね、と早口で言い置いて駆け出す。
「いってらっしゃーい」
ひらひらと手を振って、白い衣の背に金の髪が踊るのを見送ってから、ゼロスは樹に背をもたせかけた。
(振り向かない人を見ているのは、安心、か。――まったくだよ、コレットちゃん)
しいなはまだロイドを見ている。駆け寄ったコレットが、くぼみに足をとられてつまづくのを慌てて抱きとめたロイドを見て、なおも柔らかく、けれどどこか寂しそうに笑んで。
(あーんなカオしちゃってまぁ)
辛くないはずがない。感情が表に出やすく、まっすぐで一途なしいなだ。彼女の想いに気付いていないのは、当の想われ人だけだろうと断言できるほどに、その気持ちは伝わってくる。
だが、それでも、しいなは微笑んでいる。
ロイドが振り向かないから、だ。
振り向かないから見ていられる。気付かれてしまったら、見ていることもできない。それがわかって、わかるからこそ、舌打ちを漏らす。
気付くな。振り返るな。けれど視線は背中を追って、奥底でざらりとざわめく、衝動。
(――何考えてんだよ、まったく)
未だロイド達を見ているしいなを追い出すように空を仰いで、瞼を下ろした。
こっち向かねぇかな。
向けよ。
そんなことをちらりとでも思ってしまった、衝動ごと押し込める為に。