Turn and turn

Tales,小説ゼロしい

 

4 (金の海に夕陽)

 

 吹く風に、黄金の穂がざわりと揺れる。まるでその様は海のように。
「うわあ……」
 声をあげたきり、呆然とそれを見渡すジーニアスと、そしてコレットに、同じように息を呑んでいるロイド達を眺めながら、無理もない、としいなは思っていた。
 たとえマナのバランスが崩れているとは言っても、シルヴァラントに比べればテセアラは豊かだ。
 目の前に広がるのは、一面の小麦畑。シルヴァラントの、やせ細った大地では到底見ることのできない、豊かな光景。
「すっごい、ねえ……」
「すっごい、なあ……」
 ぽかんとしているシルヴァラント組に、しいなが笑いながらコレットの肩を叩いた。驚いて、金の髪を揺らして振り向くコレットに、しいなが麦畑を指す。
「なんなら、中に入ってくるかい? 根元の方は畝になってるから、そこを歩いたら株も倒さないしさ。歩いてきていいよ」
「え。いいの?」
 途端に目を輝かせたのは、コレットではなくてロイドとジーニアスだった。あんた達もかい、と苦笑いを浮かべて、しいなは腰に手を当ててふんぞり返った。
「いいかい? 踏みつけて倒さないように気を付けて歩くんだよ?」
「わーかってるって!」
「気を付ける!」
 言うなり、幼なじみの三人組が麦畑の排水路を飛び越え、そうっとかき分けながら踏み込んでいく。
 それを見送りながら、しいなは顔を曇らせた。手甲に覆われた手が固く握りしめられる。
 目ざとくその変化を見つけたゼロスが、紅髪を風になぶらせながら、しいなの隣に立った。
「どーかしたか?」
「へ?」
 虚をつかれて、しいながきょとんと目を丸くする。それに肩をすくめて、ゼロスは眉間を指さして顔をしかめた。
「こーんな顔であいつら見てたぜ、お前」
「……そうかい? そうかな……」
 呟いて、しいなは溜め息をついてその場にしゃがみこんだ。見送るしいなの視線の先で、金の海の中にどんどん三人は紛れ込んでいく。
「コレットがさ……元気ないからさ。気になって」
「あー」
 曖昧に頷いて、ゼロスは頭の後ろで腕を組んだ。転びやすいコレットに、ロイドが手を伸べているのが見える。
 それに口の端を歪ませると、ゼロスはふっと息を吐いた。
「あれだろ。アイフリードに言われたことが残ってんだろ。やっさしーからねぇ、コレットちゃんは」
 それは、シルヴァラントに戻ったときのことだった。ルインの様子を見に立ち寄った先で、船乗りアイフリードに騙される形で世界を巡ったその先々で、彼らは、シルヴァラントの民がどれほどまでに救われたがっていたかを思い知らされた。
 救いの塔がそびえ立ち、やっとこれでシルヴァラントも救われると期待していただけに、人々の落胆は激しかったのだろう。
 大事な人を、ふるさとを失った人々の悲しみを、そして憎しみを、コレットは一身に受け止めるほかなかった。
「――あたしが腹が立つのはさ。コレットは、シルヴァラントが今救われてないのは自分のせいだって思ってる。そんなこと思わなくても、誰も責めやしないのにさ! でも、コレットをそこに追いやった奴らは、自分らのせいだなんてちっとも思ってないのが腹が立つんだよ!」
 そもそもそうなったらテセアラはぶっつぶれてたんだ事情も知らずに知ろうともせずにあいつらときたら。ぶちぶちと畦の雑草を引きちぎりながら呟くしいなに、ゼロスは苦笑いを浮かべた。
「で、そうなったら、次に俺さまが旅立つんだな。封印を解放して、救いの塔に登って、天使になって。テセアラを救って、シルヴァラントを滅びに向かわせるってわけだ。――胸くそ悪ぃ」
 静かに吐き出された一言は、風に乗ってわずかに聞こえてきた笑い声にかき消された。見やると、麦の葉を頭につけたロイドの頭に、コレットが腕を伸ばしている。
 その顔に浮かんでいるのは、紛れもない笑顔で、しいなは険しく引き結んでいた唇を少しだけゆるめた。
「……あたしにできる事って言ったら、少しでも楽しい気持ちにさせてやることくらい、だからね。コレットは、十六になるまで死ぬために生きてたんだから」
「ふぅん?」
 ゼロスの口調に、しいなは顔を上げた。夕陽に紛れ込むようになっている、彼の表情は見えない。けれど、その口調はやけに静かで。
「損な性分だねー、お前も」
「……なんのことだかさっぱりわかんないね」
 それは嘘だが、そして嘘であることをゼロスはわかりきっているだろうが、しいなはそう答えた。そして麦畑と、そこに居る三人を眺めて微笑む。
「いいんだよ。あたしは、みんなが好きなんだ。だから、いいのさ」
「みんなが、ね」
 繰り返して、ゼロスは腕を下ろした。訝しげに横目で盗み見たしいなの目に、ズボンの隠しごしに何かを握りしめる彼の手が映る。
 丸い形に握られたそれ。
 ――クルシスの輝石。
 かけるべき言葉が見つからないまま、しいなはそっと視線を外した。麦畑の中では、三人が笑っている。
 今から、父を倒すためにオリジンの封印に向かうロイド。たくさんの痛みを抱えたままのコレット。自分たちを拒絶する場所に赴かなければならない、ジーニアス。
 みんな笑っている。
「あたしさあ、思うんだけどね」
「ん?」
 つられて頬をゆるませながら、しいなは頬杖をついた。
「ああやって――笑えるのって、支えてくれる誰かが居るから、なんだよね、きっと」
 一人じゃないから。一人じゃないことを知っているから、彼らは笑える。痛みを乗り越えて、明日を見据えられる。より良い明日を生み出すための扉の鍵を見つけられる。
「あたしは、一人だと思ってた。ホントはそうじゃなかったってのにさ。コリンが居てくれて、おじいちゃんもずっと心配してくれてて、おろちだって里のみんなだって、あたしを見捨てずにずっと見ててくれたのにさ」
 バカだねぇ、と呟いてしいなは笑った。過去の自分を。
 そして、傍らの男を。
 ちぇ、と拗ねたようにそっぽを向いて、そしてゼロスは排水路を飛び越えた。麦をかきわけながら、ずんずんと無造作に進んでいく。
 夕陽みたいなその頭が金の中で揺れる背に、しいなは声を張り上げた。
「こらアホ神子! 麦を蹴倒すんじゃないよ、くれぐれも!」
「誰に向かって言ってんだよ! 俺さまがそんなヘマするかってーの!」
 振り向き様に怒鳴り返したゼロスが、逆光の中でくるりと踵を返した。もう一度、麦を左右にかきやりながら、排水路の手前まで戻ってくる。
 訝しげに眉をひそめたしいなに向かって、ゼロスは片眉を跳ね上げて口元に笑みを刻んだ。
「お前が俺をアホ神子って呼ぶの、嫌いじゃなかったぜ」
「――は?」
 きょとんと問い返す。何を唐突にと思いながらも、言われてみれば、普通に考えて不遜極まりないその呼称に対して、ゼロスは嫌な顔をしたことがなかったことを考える。
 ひでぇだの誰がアホだだの、このエレガントな俺さまをつかまえてだの、そんな文句は山ほど聞いたが、拒絶を受けたことはない。
「ロイドやコレットが、ただゼロスって呼ぶのも悪くなかったな。顔色を伺われることも、機嫌取られることもないし、軽口たたきゃあムキになってかかってくるし。新鮮なことこの上なかったぜ」
 ふざけたような口調で、小馬鹿にしたような笑みで。けれど、それが仮面であることを、今なら見抜くことができる。今なら、わかる。
 それは、長い間彼自身を守る鎧であり、兜だったのだ。生き抜いていくための武装だったのだ。
 気付くまでに、わかるまでに、ずいぶん長い間かかってしまったけれども。
 けれど、今はわかる。だから、もう間違わない。
「……あたしをからかうのは楽しいし?」
「そうそう」
 うんうんと腕を組んで頷くゼロスに、道端に落ちていた小枝を投げつけた。すこん、と音をたてて、枝が麦畑に落ちる。
「いって! っとにしいなは乱暴者だな。そんなじゃ嫁の貰い手ねえぞー?」
「石じゃないだけ優しいと思ってな!」
「石! この俺さまに石!?」
「うるっさい!」
 ぎゃんぎゃんと吼え合った末に、ゼロスはくるりと反転して背を向けた。肩越しに上げられた右手が、ひらひらと動く。
 その瞬間にゼロスの顔が少し赤いように見えたのは、夕陽のせいだけでは、きっとない。
 あいつでも照れることがあるんだねぇ、と、妙な感心をするしいなの見送る先で、紅い頭が金の海に埋もれていく。
 そして、ロイドとコレットに遠慮したのか、そーっと二人から離れていくジーニアスに後ろから忍び寄ったゼロスが、首尾良く羽交い締めに成功したのを見届けて、しいなは吹き出した。
 だから麦だけは蹴倒すなと言ったのに、と口の中で呟いて、そしてしいなも麦畑へ飛び込んだ。
 向かう先には、笑顔の仲間たち。
 支えて、支えられて、そうやって行く、大切な人たち。

「こぉらー! 暴れたら麦が傷むだろ、二人とも!」