Turn and turn

Tales,小説ゼロしい

 

3(流星雨)

 

 未開の地、黄泉の国シルヴァラント。
 そう聞いていた地は、確かにテセアラより緑が少なく、空気もやや乾いているような気がするが、それでも彼が暮らしていた所とそう大きく変わるわけでもなかった。確かに文化レベルでは大きく差があるようだが、あちこちを闊歩するモンスターはテセアラで見慣れていたし、あの忌々しい救いの塔もそびえ立っている。
 大地があり、人が暮らしていて、空があって、星が瞬く。
 そんな場所で、けれど変わらぬ星空をテラスの手すり――テセアラで馴染んだような石細工のものではなく、木製だったが――にもたれて眺めて、ゼロスは嘆息した。
 ここは、パルマコスタという町らしい。この規模でシルヴァラント最大の町だというから、驚きでしかない。メルトキオで初めて会った時、『仲間』の彼らがやけに落ち着かない様子だったわけがここに来てようやく解った気がする。どこもかしこも、まるでオゼットの様だ。聞けば、国という制度も瓦解して久しいという。
 コレットが神子として存在している以上はあるだろうと思っていたが、同じマーテル教団でもかなり教義も伝承も違っているようで、どっちのが楽だったんだろうなどとちらりと考え、しかしそんな事を考えていたのではないことを思い出して、溜息をもう一度。
「何やってんだろうなぁ」
 呟く。
 全く何をやっているんだか自分でわからない。
 最初は面白そうだと思ったのだ。じわじわと緩慢に追いつめられていく状況が大きく動く何かが始まると思った。例の取引の件もあったが、それでもこいつらは面白そうだと感じたから、監視という形で同行したのだ。
 色々な事があった。お人好しの集団である仲間達と旅をするのは、案外気楽で肩が凝らないものだったが、長年の望みを果たすためなら、踏み台になってもらうはずだったのに。
 教皇の手から逃れ、神子という呪われた宿命から逃れる。その為に、うまく立ち回ってきたはずだったのに。全てを利己的な打算の元に動かしていたはずだったのに。
 なのにあの時、何故体が動いたのか。
 彼女一人を犠牲にしている間に、もっと安全に異界の扉から逃れられただろう。そもそも、例え自分が動かなくても、仲間達の誰かがきっと飛び出したに違いないのだ。特にあの熱血少年や、誰かが傷つくことを何より厭う同じ神子の少女は、盾になってでもそうしたに決まっているのに。
 背をもたせかけていた手すりから、ずるずると滑り落ちる。そのまま尻餅をつくようにしてその場に行儀悪く横たわった。
 衝動で行動するなど、愚の骨頂だ。
 明確な目的があるのに。何者を利用しようとも、何を踏みつけにしようとも。今までそうしてきたように、何故出来ない。
 これではお人好しの彼らを馬鹿に出来ないではないか。
 利用することも打算することも忘れていただなんて、我ながらどうかしている。どうかしているけれど。
 ただ、あの刃が、彼女の喉をかき切る所など見たくなかった。そんな現実が目の前で繰り広げられるのは我慢ならなかった。
 誰もが恭しく、もしくは下心を持って呼ぶ呼称に「アホ」をつけた彼女。感情のままに泣いて笑い怒り、そのまま素直にぶつけてくる彼女が、雪の中で冷たくなっていった母親だった女の様に――
 ぶる、と頭を振る。違う。そうじゃない。そんなわけがない。
 いつの間にか、髪をかき回していたらしい手を止める。下ろしたからっぽのてのひらを見つめて、唇を歪めた。
「は。らしくねぇな……」
 この手に、あの手を掴んだ。思えば、ずいぶんと久しぶりに彼女に触れたのではないだろうか。
 肩ひとつ抱くにも大変な苦労をした、懐かしいような日々を思い出す。
 とにかく彼女は今まで相手をしてきたどんな相手とも違っていて、些細な事で怒り、何て事のない言葉に真っ赤になり、ふざけて抱き寄せようなものなら即座に鉄拳制裁が飛んできた。
 後腐れなく終わりにしたはずだ。数日後に出くわした時に、いよぅしいな相変わらずいい胸だな、と声をかけた彼女は、あっけにとられた様な顔でしばらくこちらを見ていたが、ややあってから額を押さえた。その後何かを言われたはずだが、その彼女が笑っていたものだから、何を言われたのかまるで覚えていない。
 普通そこは怒って立ち去る所じゃないのか。いや、その反応を引き出すためだったのに、彼女が笑ってしまったので台無しになった。
「……アホはどっちだよ、まったく」
 問うまでもなくわかっている。真に愚かなのはきっと自分だ。
 彼女にどこかで共感を覚えていたのは、しいなもまた過去から逃げている者だったからだ。
 なのに、彼女は逃げることをやめてしまった。引き替えに大事な存在を失ったが、それでも彼女は立って歩いている。
 そうだ。しいなは歩きはじめてしまったのだ。
 どこまで逃げ続ければ逃げ切れる?
 もう逃げ切るしかないのだ。彼女とは別の意味で、立ち止まることも引き返すことも出来ない。
 それなら、助ける必要も危険を侵す必要もなかったのに。
 何気なく空を見上げたその視界を、すっと一筋光がよぎった。目の錯覚かと瞬くが、程なくまたひとつ流れる。
(流星雨?)
 次から次へと、現れては消えていく小さな光を無意識に追いながら、ゼロスはふと唇に笑みを浮かべた。
 すっかり夜気に冷えていた手をついて立ち上がる。寝入っている仲間達をたたき起こして知らせてやろう。きっとお子様組は喜ぶだろうし、元手のかからない恩を売っておいても損はない。
 信じていた仲間に裏切られたと落ち込んでいるしいなも、少しは気が晴れるかも知れない。
 ちらりと過ぎったそんな考えに、彼らのお人好しが感染したのかと顔をしかめながら、ゼロスは寝室に戻った。

「うっわすっごーい!」
「ほらコレット、願い事願い事!」
「うん! えーと、世界再生世界再生せか……った! 舌かんじゃった」
「早口言葉じゃないんだからさ、コレットってば」
 案の定、お子様三人は大はしゃぎで天を仰いだ。感情表現の薄いプレセアも「……すごいです」と呟いたきり、次から次へと現れては消える星を追っている。
「あらシルフォラ流星群の時期だったのね。いいですか、そもそも――」
「誰も聞いてないと思うよ、リフィル」
 いつもの解説を始めたリフィルに一応控えめに突っ込んだしいなもまた、感心したようにちょっとした光の乱舞に見入っている。
「よくこんなの見つけたね、ゼロス」
「いやー、ぐーぜん窓の外見たんだよ。ほらやっぱり俺さまの日頃の行いがものを」
「言うわけないだろ、このアホ神子」
 すっぱりと遮って、いつもは上げられている闇色の髪を下ろしたままのしいなは、空からゼロスへと視線を移した。
「――そういえば、あんた人のことアホ呼ばわりしてくれたね」
「あん?」
 傷ついたように俺さましょんぼりと呟こうとしていたのを邪魔されて、ゼロスは片眉を跳ね上げた。こちらを睨むように見ているしいなは、片手を腰に当てて続ける。
「シルヴァラントにくる前サ。あんたが――助けてくれたとき」
「……言ったっけ?」
「言った。確かに聞いた。アホしいなって」
 しばらく考えて、けれど考えることを放棄して、肩をすくめてみせた。
「あーのなー。お前がいつもこの俺さま捕まえてアホアホ言ってる回数から比べたら、一回くらいどーでも」
「でもさ」
 ふい、とその視線が外される。流星雨を眺めるその横顔が、わずかに微笑んでいた。
「あの時のあたしは、確かにアホだったよ。……ありがとう、止めてくれて」
 凍った、と思った。
 ダメだ。何故かいつも、彼女は彼が立てたシナリオの中で動いてくれない。
 すぐに立て直した思考で、『アホ神子らしい』言動を選択する。
「いやいやいやなんのなんのなんの。やっとしいなも俺さまの素晴らしさを認識したんだな」
「……ったく、ちょっと礼を言うとこれだ」
 呆れたような台詞に、安心して笑った。そうだ、それでいい。
 いつか彼女を裏切る。あの喉元に突きつけられた刃を見過ごす日が来る。
 だから、礼など言わなくていい。無防備に笑ったりしなくていい。

 けれど。

 消えていく流れ星に願いなどかけられない。
 けれど、どうせ消えていくのなら。
 あと少しの間は、彼女の笑顔が続くように。