Turn and turn

Tales,小説ゼロしい

 

2 (雲に隠れた想い)

 

 あの時雲が太陽を隠してしまったのは、空が味方したから、だったのだろうか。

「うっわ、まぶしー」
 安全を確認したしいなの合図でマンホールから出てきたロイドが、目をすがめながら頭を振った。
「地下は暗かったからね、気を付けて」
「ああ。コレット、大丈夫か」
 彼はその場に跪くように、穴から出てきた金髪の少女の腕をそっと握り、地上に引っ張り上げる。ロイドに助け起こされるようにして立ち上がったコレットの、どこも見ていないような赤い瞳がちらりとロイドに走り、そしてしいなにあてられ、そのまましいなが警戒しようとしていた学問所の入り口の方へと動いた。
 今のコレットにとって全てのものは、「彼女に害をなす存在かそうでないか」の二つだけの様だった。どんなに彼女からの反応がなくても、めげずにコレットに声を掛け、助け、守ろうとするロイドとその仲間たちですら、どこまで彼女が理解しているかわからない。
 それでも、ロイドにとってコレットは守るべき存在だ。天使化したままの彼女がどれほど危険な存在であろうとも、二度とあの青い瞳が嬉しそうに細められることはなくても。
 そうまでしてしまうほどの、絆と信頼とが、彼らの間にはある。
 続いて出てきたプレセアを引っ張り上げながら、しいなは思考を止めた。それ以上考えてはダメだと、何かがどこかで勝手に歯止めをかけた。
 上がってきたプレセアは、小さな体に不釣り合いな斧を肩に担いでロイドとコレットの方へと歩いていった。
 これでよし、としいなは頷き踵を返す。
「さて、急がないとね」
「おーい、俺さま置いてけぼりかよ~」
 マンホールから響く声に、しいなは短い息を吐いた。出来ればこのまま無かったことにして置いていきたかったのは山々だったのだ。
 聞き慣れた声は、このテセアラの神子のもの。軽くてお調子者で女好きで、一言で表すなら『バカ』な男のものだ。
「……あんたらしくもないね。一緒に捕まるだなんてさ。珍しくヘマやらかしたじゃないか?」
 よっこいしょ、とマンホールから出てきた鮮やかな紅の頭に、しかめっ面で尋ねる。顔を上げた彼は、梯子の取っ手を握ったまま器用に肩をすくめて見せた。
「成り行き成り行き。しいなこそ、コレットちゃんを暗殺して帰ってくるはずじゃなかったっけ? テセアラのために」
「――成り行きさ」
 答えた声は、しまったと思うほど固かった。何も考えてないような笑顔の奥で、人を見透かしてしまう様な目をするこの男には、悟られたくなかったのに。
 が、彼はそれ以上追求してこなかった。身軽に地上に上がってくると、マンホールの蓋を閉じにかかる。
 手伝おうかとも思ったが、一人で充分そうだ。そう、断じてこの男とこれ以上言葉を交わすのが怖いからではない。そう自らに言い聞かせながら、しいなは待っているロイド達の方を振り向いた。
 ロイドはコレットが見ている方向に目をやっていた。プレセアはその隣でしいな達が追いついてくるのを待っているようだ。
 教皇騎士団の足は遅い。こちらは身軽だ。まだ間に合う。
 急ぐよ、と声をかけて歩き出そうとしたしいなの耳に、汚れを落とすためか手を払う音と一緒に声が届いた。
「ま、しいなにはンな芸当が出来るわけねーよなぁ。人選ミスもいいとこだ」
「なっ」
 思わずかっと頭に血を昇らせて振り返る。
「それはどういう意味だい、ゼロス!」
 確かに、自分にはできなかった。テセアラのためだとそう言い聞かせながら何度も神子であるコレットを狙った。
 ロイド達が強くて、力と数で敵わなかったのも確かだ。コレットの妙な幸運によって変な妨害が入ったのも確かだ。
 けれど、ゼロスは、お前には出来なかっただろうと、そう言ったのだ。
 ゆっくり振り向いたゼロスの口元には、笑みが浮かんでいた。
 何度となく見てきた笑みだ。目がちっとも笑ってない、唇だけが歪んだ微笑。
「――お前には出来ない。お人好しに、お人好しは殺せねーよ」
 ふいにこみあげた衝動に、しいなは胸の辺りの布地を掴んで、固く固く握りしめた。
 ダメだ。開けてはダメだ。この口を開いてはいけない。
 感情と記憶の奥底に、押し込めて沈めて閉じ込めたままのものを、出してはいけない。
 そうしたら、もう戻れない。割れたグラスは修繕できても、そこから零れ落ちた水は戻らないように。
 どうしてそれを、いちいち揺さぶろうとするのか、この男は。
 しいなは唇を噛んだまま、今度こそ完全に踵を返した。足早に歩き出すしいなの背後に、追ってくる気配が一つ。
「あらら。おーい、怒ったのかしいなー? 俺さま、しいなは優しいなっつったんだぜー?」
「言ってない! 絶対言ってない!」
 足を運ぶ速度は変えないまま、振り返りもしないまま、しいなは振り切れるものなら振り切りたいと思いながら歩き続けた。
 認めてしまいたい。認めてしまいたくない。
 殺せなかった。いくらテセアラの為でも、たくさんの人を救えるのだとわかっていても、そうすることでテセアラを、ミズホを大事に思っていることを示せるのだとわかっていても。それでも、どうしても殺せなかった。
 これから友だちになりましょう、とにこやかに笑った少女を殺せなかった。
 あれほどまでに護ろうとしていた少女を狙っていたしいなを、あっさり信じて迎え入れ笑いかけてくれた、少年を殺せなかった。
 ミズホのしいなでも、できそこないの召喚士でもない。ただのしいなとして扱ってくれた彼らを、殺せるはずもなかった。
 どうしてそれを指摘するのがこの男なのだろう。よりにもよって、この男なのだろう。
「しいな」
 後ろから呼ばれた声に、思わず止まりかけた足を何ごともなかったように動かし続けた。何を言われても無視が一番だ、そう声に出さずに口の中で呪文のように唱え続ける。
「よく帰ってきたな」
 足を止めた。肩越しに振り向いた。
 今、彼は何と言った?
 瞬間、太陽を隠すように雲が流れ、明るさに慣れた目には、離れていた彼の表情の細かいところまでは映らなかった。
 再びゆっくりと周囲が明るくなる。雲が切れて太陽が顔を出し、光と影に彩られた彼は、いつものにやにや笑いでこちらに向かって歩きはじめた。
「聞こえた?」
 慣れた響きの、軽い調子での声。しいなは目を逸らして、ロイド達の方に向き直った。
「――何がだい? 行くよ」
 宣言して歩き出す。もう振り返らない。
 どうしてこの男の言葉に、態度に、こんなにまで翻弄されなければならないのか。思い返すまでもなく、彼とのやりとりは大半がそういうものではあったのだけれど。
 それでも。
 翻弄される自分を認めたくない。翻弄してしまう彼を認めたくない。
 錠を下ろした扉を、開きたくはない。
 雲が太陽を隠したように、あの時の彼の表情を隠してしまったように、ずっとずっと隠れていればいい。
 こくんと喉を鳴らして何かを飲み込んでから、しいなは声を張り上げた。
「さ、急ぐよ皆! 街道をそのまま追うのは危険だから、道は悪いけどまっすぐつっきるからね!」
 おう、とロイドが手を上げる。プレセアが小さく頷く。コレットは、ちらりとしいなに目をやっただけで、ロイドが歩き出したのに半歩遅れて続いた。
 そうだ。まずは、仲間達を助けだして、コレットを元に戻さないとならない。その上で、今世界に起こっていることを突き止めないと。
 やることは山積みだ。立ち止まってなどいられない。
 しいなは肩越しに後ろを見やった。やれやれと肩をすくめている男に向かって、軽く手で『行くよ』と合図を送る。
 そうして、何かを隠したまま、歩き出した。