Turn and turn
14 (ほんとうの気持ちを)
「へぇ、きれいなもんだね」
実に十数日ぶりに会ったしいなが飾り棚の前で呟いたのを耳に拾って、ソファの上で伸びていた体を起こす。打ち合わせやら明日の会議の下準備やらの仕事も一段落して、やっと休憩となった、昼下がりの部屋の中。
体を傾けるようにして様子をうかがうと、彼女の手元には大きな格子窓から差し込む陽光を乱反射する石があった。
ああ、と頷く。座り直して、背もたれに体を預けて、ゼロスは記憶を探った。淡い紫の、尖った柱のような結晶が突き立っているあれは、確か。
「原石だよ。アメジスト」
職人達の手にかかって歳月と資金がかけられているモノではなくて、無骨な鉱石を綺麗だと取り上げているのは、彼女らしいと言えば彼女らしい。
ふぅん、これがねぇ、と呟いて陽に透かすようにしてずしりと重いはずのそれを軽々回し眺めている様子にわずかな笑みを浮かべて、ゼロスは唇を動かした。
「欲しい? やるよ」
「え? いやいいよ、あたしが持ってたってしかたないし。綺麗だけどサ」
きょとん、と言わんばかりの目で振り返り、ほぼ予想通りの答えを返してくる彼女に笑みを深くして。
普通の女なら喜ぶだろう。たとえ原石でも、相当な値打ちものなのは確かだ。ましてや、一応仮にもそれなりの関係がある男からの贈り物ならば、遠慮しながらでも喜ぶのがゼロスの属する社会では常識的な事だ。
文化と習慣がかなり異なるミズホでどうなのかはわからないが。
「お前もたいがい物欲ないねー」
「そんなことないさ。あたしだって資金は欲しいよ。ミズホはいつだって火の車だし」
どこまでも大まじめな答えに吹き出す。
「いやそれ物欲とは違うっしょ。フツーはねだるもんじゃねぇ? 綺麗な指輪が欲しいのーとか流行のドレスが欲しいのーとか」
茶化した物言いに、しいなが顔をしかめたのにさらに笑う。
そうだ、しいなは言わない。そんな『普通』の事は言わない。彼が欲しいモノはそんなモノではなく、彼女が欲しいモノもそんなモノでもない。二人ともがそれを知っている。
しいなは形あるものに約束を求めない。ゼロスは形あるものに約束を見いだせない。
だから、二人の間には確かな物など何もない。時の流れの狭間に落ちてゆくものだけがある。確かな言葉も約束もなく、ただ互いの間にある空気と、こんな他愛のないやりとりの積み重ねと、そして遠慮なく与えあうぬくもりと。
「あたしがそんな事言ったら雨が降るだろ」
「雨で済めばいいけどな」
どーいう意味だい、と怒って見せてから、慎重な手つきでしいなは鉱石を飾り棚に戻した。ためすながめつしながら、一番綺麗に見える場所を探して、満足したように頷く。
と、その背中が、そういえば、と呟いた。
「最近はないけど、この部屋ってたいてい贈り物の山で埋まってたね。開いてないのもたくさんほったらかしで」
「おー。俺さまの覚えがめでたい方がありがたいとか、やらないよりはやる方がましとか、まぁそーゆーヒマな金持ちが大勢居るってこったな。ハニー達からの愛のこもった贈り物もたーくさんあったけど、まあそれは俺さまのミリキのたまものだな」
「ふぅん」
気のない返事に、ゼロスは首をかしげた。やっぱりこちらには背を向けたまま、まだしいなは飾り棚を物色している。――いや、物色することで振り向かないでおこうとしている。
観察力と分析力には自信があるのだ。特に彼女に関しては。
だから、ゼロスは黙って待った。沈黙に負けて、彼女が押し込めようとしている言葉を口にするまで。
「……ホントにあんたに受け取って欲しくて、贈ってきたコだっているだろうに」
そっちか、と、彼女が振り向かないのを幸い、苦笑を殺す。また適当に遊んでたんだろうとか女好きもそこまで来たら呆れるしかないとか怒るのかと危惧したのに。
足を組み替えて、落ちかかってくる紅の髪を肩の後ろにやってから、ゼロスはゆっくりと口を開いた。
「ハニー達にはちゃんとお返ししたぜ? 花とかお菓子とか。気遣いはモテる男の秘訣だからな~」
「――後に残らないものばっかなあたりが、あんたらしいよ」
あっさり見抜かれた意図に肩をすくめ、そしてゼロスは立ち上がった。
「しいなが何かくれるってんなら、そりゃー喜んで受け取るけど?」
「馬鹿。ここに飾れるような物をあたしが贈れるはずないだろ?」
しいなが指さした先にあるのは、贅を凝らし技巧を尽くしたオルゴールやガラス細工、写真立てに宝石箱に陶磁器のセット。どれもこれも、売れば平均的な一家がしばらく生活には困らない程の値がつくだろう。
「俺さま、別に高いモンが欲しいわけじゃないし」
呟いてから、足を動かす。毛足の長い絨毯は、足音を見事に消してくれる。そっとそうっと、彼女との距離を詰めて。
「そりゃわかってるけど。でもあんたに贈るモノなんて想像もつかないよ。何か気に入ったモノ買うのを我慢してるわけでも、不自由してるわけでもないし。欲しいモノがあればセバスチャンに言うだけで終わるだろ?」
何故か焦ったようにすらすらと続けるしいなの言うとおりだ。必要なものがあればなんでも揃った。必要のないものだって頼まなくても積み上げられている。
けれど。
背後から忍び寄ったしいなの肩に、とんと額を落とす。体重をかけた肩が小さく跳ねる反応にイタズラの成功を確信して、小さく笑った。
「おまえがくれるなら、道ばたの花でも喜んで飾るぜ?」
「……いかにも過ぎて感動するよ」
棒読み気味の返答にくつくつ笑う。
彼女とのやりとりはいつもこうだ。貴族のお嬢さん方相手のセオリーなど通用しない。きれいにラッピングされたお仕着せではなく、むき出しの素のままの彼女の返答が心地良い。
柔らかな匂いのする、彼女の纏う空気をゆっくりと吸う。
「まあとりあえず、今はモノよりしいなが欲しいかな」
なるべくさらりと呟いてみたのに、頭を平手ではたかれた。ぺち、といい音がしたのに首をすくめる。
「残念でした。今晩はミズホに戻るからもう帰るよ。あんたも今日くらいゆっくり休みな」
「えー? 俺さまがっかり。超しょんぼり。睡眠よりしいながいい」
「ばか言ってんじゃないよ。だいたいそれじゃあたしが眠れないんだって、っとにもういつまで肩になついてるんだい」
しばらくゼロスの好きにさせていてくれたのに、しいなが身じろぎして肩に乗った頭を外そうとする。仕方なくしいなにかけていた体重を両足に戻し、頭をあげながら、その耳元にかすめるように一言、落とした。
「――お前だけだ」
何が、とは言わない。何を、とも言えない。
ただ、しいなだけ。彼女だけ。
気を許せる仲間なら居る。信頼出来る人もいる。とても口には出せないが友と呼べる人もいる。気軽に喧嘩出来る相手も、無邪気に慕ってくれる妹も居る。
けれど、そういうくくりではなくて、そうではなくて。
しいながゆっくりと振り向いた。頬が赤い。形の良い眉を跳ね上げて、肩をそびやかして、両手を腰に当てて。
「あたしの目を見て言ってみな」
精一杯らしい反撃に、ゼロスは微笑んだ。こんなに自然に、頬が緩む事が自分にもあったのだと、そんな自覚に新鮮な驚きを覚えながら。
「しいなが俺さまに言えるならな?」
「……ばか」
しばらくの沈黙の後、結局言えないまま拗ねたように呟かれた言葉に笑んで、横ざまにその肩を引き寄せて背中から抱き込む。顔は見られないように。見えないように。
けれど、今度はきちんと触れて。
鼻先を黒い髪がくすぐっているだけではない笑みが、喉からこぼれる。
「でも知ってるぜ? しいなはすーぐ顔に出るから」
「あんたがひねくれすぎなんだよっ」
わめくしいなの赤い耳に唇で触れる。声にすると途端に嘘になりそうな言葉のかわりに、この熱が伝えてくれるように願って。
―了―