Turn and turn
10 (笑ってよ)
「あんたって人は、どーしてそうどうしようもないんだろーね」
あきれ顔で、右手は腰に、左手は額に。いつものミズホの民の服装で、やれやれと頭を振るしいなに、ゼロスはからからと笑って見せた。
「どうしようもないだなんて心外だねぇ。俺さまはいつでも自分に正直に生きてるだけ、ってね」
「正直が聞いて呆れるよ」
ばっさりとゼロスの発言を切り捨てたしいなの表情にも声にも、びっしりみっちり鋭いトゲがある。
いくらなんでも触れたら感電死しそうな程の怒気を撒き散らされるほどの悪さに心当たりはないぞ、と心中で呟きながらも、ゼロスはソファの上で器用にあぐらをかいた。
「そんじゃ正直に言ってもらおうじゃないか。どういうつもりだい?」
「どういうって?」
「セレスに始まってあたしが十代さかのぼって家系図を暗唱できる家のお嬢さんから名前も知らない下級貴族のお嬢さん、はては国王付きの侍女に至るまで。ここ三日であたしが被った風評被害の原因について何か思い当たる節は?」
「風評被害?」
きょとんとゼロスは目を丸くした。
「なんだそれ。お前さん何やったの」
「あ・ん・た・がやったんだよ!」
一音区切られるごとに、いつの間に取られたのかぐいぐいと首元が締め上げられる。本気で視界が暗転する直前で、ふっと力が緩み、むせそうになりながら新鮮な空気をむさぼって、ゼロスは涙目で怒りに燃えている黒い瞳を見やった。
「ったく、しいなは乱暴者だなー。そんなんじゃ嫁の貰い手ねーぞ」
「自分のやったこと棚あげにしてよく言ったもんだよ!」
心なしか頬を染めて、しいなは絶叫した。
「なんであたしがあんたの子どもを身ごもってて近日中に挙式とか言う話が王都中に広まってるのか、きっちり説明してもらうよ!」
ゼロスはソファから転げ落ちかけた。
「ちょ――ちょっと待て! なんだそりゃ!」
しいなはいぶかしげに眉をひそめた。まだその眼力は緩んでなどいなかったが。
「あんたが言いふらしたんじゃないのかい?」
「言ってない」
儀式でやるように、神に誓う時のポーズをあぐらのままとって、ゼロスは真顔でにらみ据えてくるしいなの目線を真っ向から受けて口を開いた。
「俺さまはただ、しいなは正真正銘俺さまのたった一人のスィートハニーだから君たちとはもう一緒に遊べない、ってお嬢さん方に言っただけ」
言葉の最中に飛んできた置き時計を避けるために、ゼロスは言葉を途中で切った。花瓶にペンスタンド、クッションに書物が数冊、割れそうなものだけ選んで受け止めながら、手近に投げられるモノがなくなったしいなが肩で息を切らすようになってから、ゼロスは肩をすくめた。
「だから、濡れ衣だって」
「尾ひれに背びれに胸びれまでついて王都中を駆けめぐったワケがよーくわかったよ!」
あんまり叫ぶと、忠実な執事のセバスチャンや、一階の自室に居るだろう妹のセレスにも聞こえるぞと思ったが、どう考えても火に油を注ぎそうだ。
ゼロスは押し黙ったまましいなが落ち着くのを待った。
しばらく肩で息をしていたしいなが、形のいい唇をわずかに動かす。
「それを誰に言ったんだい? いやそもそも、何人に?」
口調は静かになっていたが、ぴりぴりとした空気は相変わらずだ。ゼロスは宙を睨み上げてひーふーみーと数え上げはじめ、二十五になったところでしいなから「もういい」と遮られた。
空気が抜けるように、しいなから怒気が消えていく。そのまま、しいなは頽れるように床に座り込んだ。
怒りの鉄拳のひとつやふたつやみっつやよっつ、飛んでくるかと思っていたのに。拍子抜けしながら、ゼロスはソファから立ち上がってしいなの正面まで歩くと、目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。
「で、お前は何をそんなに落ちこんでんだよ」
「未婚の女にとってその手のうわさ話がどんなダメージを持つかちったぁ想像しろー!」
逆鱗に触れたらしく、力を失っていたしいなの瞳にまた火がともる。がっくんがっくん前後に揺さぶられながら、ゼロスは声を上げて笑った。
ぴたりと動きが止む。そのしいなが口を開く前に、ゼロスは乱れた髪を肩の後ろに投げやりながら、に、と唇のはしを上げる。
「何笑ってんだ、って言いたいんだろ、しいなは」
「気でも触れたのかと思ったよ」
すっぱりとした物言いは、初めて会った時から変わらない。王侯貴族の歯にものの挟まったような持って回った嫌みでもなく、うわべだけ心地の良い追従でもなく、思ったことをそのままきっぱりと言う彼女の存在は、澱み濁った空気の中で何より清涼に思えた。
軽口に本気になって反論してくる彼女。ちょっとからかって髪に口づけてみたら、たちまち顔をリンゴのように染めてたじろいだ彼女。打てば響く様な反応に、好意も悪意もまっすぐにあけすけに、目をまっすぐに見つめてモノを言う様に、いつだったかひとつだけ足りないモノを見つけた。
それが欲しくて、けれど言えなくて、欲しいと思うことが何故か負けに思えて、一度は諦めて忘れて封じ込めたものの。
「俺さまは至って正気よ?」
まだ笑みは残したまま言うと、しいなは舌打ちを漏らした。やや吊り目の涼しい目が、いつも以上にきっと眦を吊り上げて睨みつけてくる。
「どーだか。セレスになんてふしだらだのフケツだのあばずれだの、もー一生分くらいの罵倒を聞かされたよ。どうしてくれんだい」
「あらら、俺さま愛されてんなぁ。つーかそれは俺さまが悪いのか?」
「悪い!」
きっぱりと断言したしいなは、酸欠でも起こしたのかへたりと脱力すると頭を抱えた。
「あーもー王都でこんだけの騒ぎになってんだからミズホには絶対伝わってる頭領もタイガおじさんにも知られてるに違いないしどんな顔して報告に帰ればいいんだろ」
ぶつぶつと息継ぎもせず呟くしいなに、ゼロスは肩をすくめた。
「デマなんだから、真実持って帰ればいーんじゃないの?」
「真実?」
うさんくさげな一瞥で、しいなが言葉の先を促す。そんな彼女の長めの前髪を指の先で挟んでいじりながら、ゼロスは笑みを浮かべて口を開いた。
「今はデマだけど、いつか実行するつもりだって」
一度、その瞳は瞬かれ、次の瞬間ぼっと耳まで赤くなったしいなは右腕の拳を固めて振り上げ、けれどそれはゼロスの頭上に落ちることなく、ぱたりと床の上に力なく落ちる。
「……ばか」
俯いてしまったしいなが、小さく呟くのにゼロスは苦笑した。
「バカかよ俺さま」
「アホゼロス」
「かわんねーだろそれ。しいなってばひっでー」
「ほんっと、バカなんだから」
そう言ったしいなが、やっと顔を上げる。
まだ赤みの残る頬は拗ねたように膨らまされていて、ゼロスはその頬を両側から挟むようにして潰した。
笑ってよ。
欲しかったのは、ただそれだけだったのだから。