月と花畑とラストダンス

Tales,小説キルメル,リファラ

 夕闇に包まれていた広場が赤い炎に照らされている。リッドはその様子をぼんやりと眺めていた。
 火晶霊が勢いよくはぜている。その広場の脇で、楽団が賑やかな曲を奏でている。
 今日は、村から出ていった人たちも帰ってきていたりするので、ラシュアンは滅多にない賑わいようだ。広場は人々でごった返しているが、それでもリッドはたった一人をめざとく見つけて息をついた。
 本当なら、髪飾りを贈って、花束を貰って、ファラは自分と約束があると村中に示してしまいたい。
 けれど、それはとりもなおさずファラの叔母、ロジーの意向を無視することになる。それだけはしたくなかった。
 どうあっても、ロジーの許可は欲しかった。それからだと、リッドは自身で決めていたから、先日からファラが何か言いたげにしているのもあえて気付かないふりをした。
 ロジーにばれてしまったあの日からこっち、二人きりになることも避けてきた。ファラを不安にするかも知れないとは思ったけれども、今はロジーの信用を得ることが優先だと思っていたが。
 昨夜、キールに言われた一言がひっかかっていた。
 それが一番いいと思っていた。
 けれど、現実にファラが不安がっているなら、どうすればいいのだろう。
 と、視線の先に居たファラが、ミウドに声をかけられて、そのまま二人で森の方へ歩いていくのが見えた。
 思わずうめき声が漏れる。傍にいたトレ爺がどうしたと声をかけてくるが、適当に誤魔化して、後を追うかどうか迷いながらもたれていた柵から体を起こしたとき、後ろから肩を叩かれてリッドは振り向いた。

「その……つまり、これを受け取って貰いたいんだ」
 ミウドが差し出した手のひらに乗っている髪飾りを見て、ファラは小さく息を吐いた。
 十分予想していたことだった。リッドとの関係を表に出していない以上、年頃の娘である自分にこういう申し込みがあることは、あるかもしれないと思っていたことだった。
 それでも。
 こんなにも心が静かなままなのは、どうしてだろう。
「──ミウド、わたし」
「リッドと最後の踊りを約束した訳じゃないんだろう? リッドからそう聞いたよ」
 遮るようにミウドの口から出たセリフに、ファラはゆっくり頭を振った。
「約束はしてないけど」
 リッドは何も言わなかった。それとなく水を向けると、必ず話を逸らされた。
 どうしてなのかは分からない。疑って迷って不安に悩まされて、昨日だってよく眠れなかった。
 けれども。
 今ファラの髪を飾るこの花束を作る花を摘むのは、あの場所だと決めていた。
 花束を作るとき思っていたのは、リッドのことだけだった。
「わたしが、受け取るのはリッドのだけって決めてるんだ。だから、気持ちは嬉しいけど──ミウドからはもらえない」
 リッドの腕の中に飛び込んだ日から。
 いや、もしかしたらあの幼い約束をした日から。
 ひょっとしたら、そのずっとずっと前から。
「わたしが、好きなのは、リッドだけなの」
 噛みしめるように、一言ずつ区切って告げ、ファラは立ちつくしているミウドにぺこりと頭を下げた。
「ごめんなさい、ミウド」

 ぼんやりと、木の株に座って月を見上げる。
 収穫祭は満月の夜に行われる。幼い頃から変わらない、まんまるの月が銀色に光っていた。
 ミウドが肩を落として去っていったのを見送り、そのままファラは広場に戻らずに月を見上げていた。
 メルディ、ちゃんと髪飾りもらえたかな。
 キールは頑張ったかな。
 最後の踊りは、もうはじまっちゃったかな──?
 とりとめのないことを思いながら、それでも戻る気になれずに居ると、ふいに人の気配がした。一人ではない。
 思わず近くの木立の中に身を隠していると、聞き覚えのある声が、この辺でいいだろ、と告げた。
 おばさんの声だ。
「ああ、オレはどこでもかまわねえよ」
 続いて聞こえてきた、聞き慣れた響きにぎくりとファラは体を強張らせる。
 リッドとおばさんが、どうしてこんなところに?
 こんなところで盗み聞きみたいにしてる場合じゃないと思いながらも、一度隠れてしまった手前、どう出ていっていいか分からずに、ファラは息を殺した。
 背中と木々の向こうで、叔母は立ち止まったようだった。足音が止まる。
「それで? あんたの話ってのはファラのことかい?」

「ファラとオレのことだ」
 訂正して、リッドはファラの叔母、ロジーに向き直った。
 ロジーが深々とため息をついて頭を振った。あんたもしつこいねえと呟く。
「もし私がこのまま許さなかったら、あんたは諦めるのかい?」
「許してくれるまで諦めねえよ。それっくらいで諦めるくらいなら、最初から求めねぇ」
 リッドの答えに、ロジーはしばらく沈黙した。リッドが何も促さないまま黙って待っていると、ロジーはリッドから目を逸らして静かに口を開いた。
「どうして私が許さないと思ってる?」
「……オレが、あんた達が当然だと思ってる手順を踏まなかったから」
 本来なら、結婚の申し込みは家と家の間で行われる。しかるべき仲介人をたてて、本人同士はほとんど会わないまま結婚することもそう珍しいことではない。
 それが普通のこの村で、リッドとファラはその手順を踏まなかった。あくまで二人だけで、これからの人生を共に暮らすことを決めた。
 だから、ロジーは怒っているのだと、そう思っていたが。
「違うね。それもあるけど」
 ロジーはため息をつき、苦笑を浮かべる。
「結婚を許してしまえば、あんたはファラを連れて、どっかいっちまうんじゃないかと思ったのさ」
 意外な返答に、リッドは目を丸くした。
「あんたには親がない。親族も居ない。この村に拘る理由がない。いつ……私のたった一人の娘をどこに連れていくか知れない」
「オレは」
「あの子が泣きながら言ったよ」
 言い募ろうとするリッドを身振りで押しとどめて、ロジーは近くにあった倒木に腰掛けた。
「あんたでないとダメなんだと。あんたにも、自分にも、お互いたった一人しかないんだとね」
 リッドは何か言おうとしたが、言葉が出てこないまま大きく息をついた。
「ただの、年寄りのわがままさ。あの子を引き取ったときから、あの子は私のかわいい娘だ。それが、私から離れていってしまうのが怖かったのさ」
「ロジー」
「もうあの子に私は必要ないんだと、思い知るのがいやだったのさ」
「ロジー、聞いてくれ」
 静かな声に、ロジーは顔を上げる。リッドは、腰掛けたロジーの目線の高さに合わせて、ロジーの前に膝をついていた。
「……どうしても、オレはあんたに許してもらいたかったんだ。あんたは、ファラのたった一人の家族だ。祝ってもらいたかった。あいつを」
 リッドは息を継いで、軽く目を伏せる。
「あいつの笑顔を……少しでも曇らせたくなかった。その為に、あんたに許して貰いたかったんだ」
 そして、深々とロジーの前にリッドは頭を下げた。
「あんたの娘を望むことを、どうか許して欲しい」
 沈黙が降りる。息をすることを忘れたかのように、ただ下げられたリッドの頭を見つめていたロジーは、こもった息をひとつ吐いた。
「……ひとつだけ聞かせな」
 リッドが顔を上げる。その瞳をまっすぐに見つめて、急に年を取ったような表情で、ロジーは重々しく口を開いた。
「幸せにできるかい? あの子を」
「オレはあいつがいればそうなれると思ってる。ファラも、そう思ったんだと信じてるよ」
 ためらいもせずリッドが即答する。ロジーは苦笑した。
「あのやんちゃなクソガキがね、偉そうなことを言うようになったんだ」
 言いながら立ち上がるロジーに、リッドは問いかけの視線を送った。それを受けて、ロジーは肩をすくめる。
「……あの子に、それを言ってやんな。あんた、あの子に結婚を言い出させたんだってね? そんな甲斐性なしにあの子をやるほど、私はお人好しじゃないよ」
 ファラの奴そんなことまで話したのかよ、とリッドが呟くのにロジーが背を向けた。
「まあもっとも、ちゃんと申し込みなおすことができるなら、やらないこともないけどね」
 祭りの広場へと戻っていくロジーの小さな背中に、リッドは頭を下げた。それが自然なことのように思えた。
 足音が聞こえなくなってから、リッドは少し離れた木立を肩越しに見やる。
「……だってよ。聞こえたか? 盗み聞きで」
 動揺したのか、がさりと枝と枝のすれる音がした。ややあって、おずおずとファラが木立から姿を現す。
 出てきたものの、そこで足を止めてファラはただリッドを見つめていた。
 そんなファラに、リッドはどこか得意げな笑みを浮かべると、手を伸ばす。
「もらったぞ、許し」
 ファラは笑おうとした。唇の端をあげて、頬の筋肉に力を入れて。
 けれど、笑い声のかわりにこぼれたのは涙で。
 そしてファラは、そのまま飛び込むようにしてリッドに抱きついた。腕が回りきらない背中をしっかり抱きしめて、その肩に顔を埋める。
「ファラ?」
 受け止めるのも忘れた、怪訝な声が耳元でどうしたと尋ねてくる。リッドの肩に顔を押しつけるようにして、ファラは小さく頭を振った。
 その頭と、背中に、そっとリッドの手が回って、よしよしと子どもをなだめるように優しく撫でられる。
「……だよ」
 涙にかすれた呟きは聞き取れず、リッドが手を止めると、ファラはもう一度繰り返した。
「幸せだよ。わたし、ちゃんと幸せだよ。リッドが、たくさん、くれる、から……」
 最後の方はまた涙に邪魔されてうまく声にならない。
 リッドがため息混じりに笑った。ファラの体に回した腕に力を込める。
「結婚、して下さい」
 どこか神妙なその台詞に、ファラはすんと鼻をすすった。
「……やりなおし?」
「そう。やりなおせって、ロジーが」
 律儀に叔母の言葉を守ろうとするリッドに、ファラはまだ泣きながらくすくす笑った。
「じゃあ、わたしの返事もやりなおし?」
「そうなるな」
 顔を上げる。背中に回されたリッドの手がふわりと浮いて、ファラの頬を拭った。
 触れてくる手に、ファラはそっと自分の手を重ねて、微笑んだ。
「もちろん、喜んで」

 わあっと広場の方で歓声が上がる。
「始まったかな、踊り」
「うん」
 広場の方からは、まだなお赤々と燃える焚き火に照らされた煙が立ち上ってた。風が変わったのか、音楽がかすかに聞こえてくる。
 髪飾りは、ロジーに許して貰うまで渡すつもりが無かったから、家に置いてきたというリッドに、ファラは笑って髪から花束を外した。
 それを、リッドの衣装の合わせに器用に留める。
「いいよ。髪飾りはずうっと昔にもらったから」
 リッドが眉根にしわを寄せて首を傾げた。
「んなことしたか?」
「うん。それに、髪飾りなんかよりずっと嬉しかったから、いいよ」
 納得していないようなリッドの手に、ファラは自分の手を滑り込ませる。
「ほら、おどろ?」
 リッドがぎょっとしたような顔で一歩引いた。
「いや待てオレ踊りは」
「誰も見てないよ。あ、足は踏まないでね」
 リッドは何度も自分の足にけっつまずきかけ、そのたびファラは笑い転げたけれども、音楽が消えるまで二人は踊り続けた。
 音楽が終わると、顔を見合わせもう一度改めて吹きだし、そしてファラはリッドの首に腕を回した。
 かかとを上げて、リッドに体重を預ける。
 リッドの腕が背中に回って、ファラは瞼を閉じた。

 

 満月の光をものともしない星明かりを頼りに、キールとメルディは細い道を歩く。ダンスが終わった後も、大人達は酒盛りを続ける様だったが、戻ってこなかったリッドとファラを探すのも兼ねて、リッドの家へと向かった。
 玄関のドアに手をかけたが、びくともしない。何度かノックもしてみたが反応がない。
「おかしいな……ファラの家か?」
「どっか行っちゃったか?」
「さあ。戻っていると思ったんだがな」
 首をかしげて、キールが回れ右をする。その後に続こうと一歩踏み出したメルディは、キールの背中に顔からぶつかってしまった。
「……いた」
「痛いのはメルディだな!」
 抗議しようとしたメルディの耳に、ファラの声が聞こえて、メルディはひょいとキールの背中から前を覗き込んだ。そこには、こっちに向かっているファラと、その後ろを歩くリッドが居る。
「ファラ! リッドも、どこ行ってた? メルディ心配したよう!」
 長いスカートに躓きそうになりながら、ファラに駆け寄って抱きつくと、ファラは笑いながらごめんねとメルディを軽く抱き返して体を離した。
「戻りづらかったから、ちょっと時間潰してたんだ。わ、メルディ可愛いその髪飾り」
「……似合うか!?」
 ぱっと顔を輝かせるメルディに、ファラはにこにこ笑いながら頷いた。そのファラの深緑色の髪に、プーチのブーケも髪飾りも飾られていない。
 メルディは顔をしかめた。
「ファラ……髪飾りはどしたか?」
「え? あ、うん。ないよ」
 ファラは明るい笑顔でそう答えて、それからちょっと意味ありげにリッドに視線を投げた。リッドが眉間に皺を寄せて、ふいとそっぽを向く。
 わけが解らずに首をかしげるメルディに、ファラは笑いかけて、そしてメルディの後ろに回ってその背中をぐいぐい押し始めた。
「とにかく、今晩はみんなでのんびりおしゃべりでもしようよ。お酒もこっそりもらってきたし」
「いや、僕は酒はちょっと……」
「あんまり甘いのばっか出すなよ、悪酔いする」
「ワイール、さかもりー!」
「はいはい、うちについてから騒ごうね」
 そう言うファラの表情は、祭りの途中までと違って、晴れ晴れとしている。
 あとでファラに、何があったか問い詰めようと思いながら、メルディはそっと髪飾りに触れて笑みをこぼした。

 

―了―