あおぞら

Tales,小説リファラ

12

 揺れる、揺れる、時のゆりかご。
 ひっくり返しても戻らない砂時計。

 ここはどこ?

 泣いてる。
 なんで?
 涙でかすんだ視界に入るのは、森の下草の上に音もなく横たわった、もう動かない小鳥。
「泣くなよ」
 肩に触れる、小さな暖かな感触。
「だって……だって、昨日、生きてたよ? 巣にもどしたのに、なんで……」
 こみあげてくるものが邪魔をして、うまく言葉が紡げない。
「また、落ちちまったんだろうなあ……。ほら、あんまりなくと目がとけるぞ?」
「だって!」
 振り仰ぐ。濃い緑の隙間から青い空。その真ん中で、困ったように首を傾げてる、紅い髪の男の子。
「だってぇ……リッド、が、頑張って、もどして……くれたのに……大丈夫だと、おもったのに」
 新しい涙がまたこぼれる。リッドが溜息をつく。そして、頬に伸ばされる小さな手。
「泣くなったら」
 ごしごしと、乱暴に手のひらが頬を拭う。
「埋めてやろう。このままじゃ、かわいそうだろ?」
 お墓を作って、埋める。二度と空を飛べない小鳥。
 うなずけない。あごが胸にくっつくほどうつむいて、小鳥を見つめる。
 このままだとかわいそうだというリッドの言葉は判る。けれど。
「……ふぁあ?」
 うながすように、こまったように、リッドが呼ぶ。
 わたしを。
「――もうファラって言えるもん! ふぁあって呼ばないで! ちっさい子みたいにしないで!」
 はじかれたように顔を上げると、リッドはからかうような表情を引っ込めて、真剣な瞳で小鳥を見ていた。
「呼ばれたくなかったら、泣くのやめてお墓作ろうぜ。いつまでも泣いてると、こいつだって困るよきっと」
 綺麗な淡い黄色の羽根を持った小鳥。もう飛べない小鳥。歌うようにさえずることも出来ない小鳥。
「……うん」
 頷いたわたしの頭を、くしゃくしゃにするリッドの温かな手。
 またちっさい子にするみたいだ、と思いながらも、その手はとても安心できるもので。
 この手だけは、小鳥みたいに、冷たくなったりしないものだと思いたくて。

 

 指の先からじわりと、現実が忍び込んでくる。
 まだぼんやりしてる頭で辺りを見渡して、そしてファラは跳ね起きた。
「やだ……本当に寝ちゃったんだ、わたし」
 あまりの薄暗さに目をやれば、船室の窓の向こうはすでに暮れかかっていた。
「……リッド?」
 薄暗い部屋に向かって呼んでみるが、返事はない。
 言い様のない不安にかられてファラは思わず立ち上がった。扉に駆け寄るが、薄暗さと慣れないせいで扉の開け方が判らない。
 取っ手をつかんで力任せに引こうとしたとき、いきなりファラの腕が体ごと引っ張られた。
 扉が外から開いたんだ、と、思う間もなく。
「……何してんだ?」
 上から降ってくる声に振り仰ぐ。幼い頃から何度となく繰り返してきた仕草。そのたびに、出迎えるのは青空の瞳と紅い髪。
「ファラ?」
 重ねて問われて我に返るファラの額に、唐突にリッドの手が触れた。
「熱はねえな……どうした?」
「う、ううん、なんでもない……。ねぼけてた、かな」
 曖昧に笑って、出来るだけさりげなく、けれどもいそいでリッドの手から逃れる。
「リッドさん、ごはんもう支度できてますって、船員さんが」
 廊下の向こうから聞こえてきたニナの声に、リッドがおうと答えた。
「あ、もうごはんなんだ? いいなあ、何にもしなくてもごはんが出てくるのって」
 ことさら明るく言いながら、これ幸いとリッドの横をすり抜けて廊下に出ようとするファラの後から、扉を閉めたリッドが続く。
「そうかぁ? 俺はファラのメシの方がいいけどな」
「……どっちにしろリッドが作るんじゃないじゃない、それ」
 いつもの調子で振り返っていーだをすると、リッドが苦笑いするのがランプの明かりの下に見えた。
 いつも通りだ。大丈夫。
 ほっとして、ファラは食堂の扉の脇に立っているニナのもとへ急いだ。

 

13

 陸路を行くときは、大陸をふたつぐるっと回って行かなくてはならない王都への道のりも、海路だと風が良ければ3日あまりだ。
 幸い雨にも嵐も行き当たらず、航路はおおむね順調だった。
 自分の足で歩くこともない。モンスターの気配に神経をとがらせることもない。荷物も背負わない、後ろを行く仲間に気を配らなくてもいい。
 そのうえ、アレンデ姫の名前で出ている触れはそうとうなものらしく、チョーカーは相変わらず平民の物だというのに下にも置かないもてなしぶりである。
 船旅は気楽なもののはずだった。
 はずなのだが。

 船の舳先、獅子を象った先端の飾りを支える柱は、リッドにとって絶好の昼寝場所だった。風は適度に遮られ、おひさまもぽかぽかと心地よい。大きながっしりした柱にもたれてうつらうつらしていた。
 けれども、漠然とした不安が、完全な眠りに陥るのを妨げている。
 おかしいのはファラだ。
 幼い頃から当たり前に傍にいた幼なじみ。
 年をとるにつれてそう会うこともなくなってきていたけれど、それは当たり前で緩やかで、ごく自然な変化だった。会えば、以前と変わりなく話をして、ファラが元気そうにしているのを確認して安心した。
 それが、メルディがやってきて劇的に変化した。
 離れている時なんてなかった。常に傍らにあったそのぬくもりは、どんなものより現実につなぎ止め続けてくれる碇だった。
 旅から戻ってきて、爺さんから噂を聞かされたとき、それをいきなり根こそぎ引っこ抜かれそうになる不安がないわけではなかった。
 けれども、同時にそれがラシュアンに、日常に帰ってきたと言うことなのだと、どこかで納得している自分も居た。
 何より、このままでは。いつか、そう遠くないうちに必ず。
 ふと日が陰る気配にまどろみから醒めた。不審に思って瞼を上げると、そこには居眠りをするリッドの顔に光が当たらないようにと、こちらに背を向けて手をかざしている見慣れた後ろ姿。
「このへんかな」
 呟いて、振り向いたファラと目線があう。
 見る間に、ファラの頬が紅く染まった――のは逆光の眩しさに惑わされたせいではないだろう。
「……起きたならそう言ってよ!」
「いや、何やってんだろうと思って……。今起きたとこだよ」
 殴りかかってきそうな勢いのファラから逃げるように、柱からずり落ちかけていた体勢をまっすぐに戻す。
 頬を膨らませながらついとファラがそっぽを向いた。深い森の色をした髪が、その拍子に肩先ではねる。
「眩しいかなと思って、ちょうどいい場所探してたのに。どーしてそうリッドって、人の好意を無駄にするのが上手なの?」
「誉めてねえだろ、それは」
 そっぽをむいたまま、ファラが横目でちらりとこちらを見た。
「……ニナさんは?」
「知らねえよ。お前と一緒じゃなかったのか?」
「そか。……食堂かなあ……」
 そう言いながらも、ファラは動こうとしない。空を仰いで、溜息をついた。
「あーあ。キール達、今頃どこで何してるのかな?」
「……あいつがいてくれたら、話任せられるのにな。余計に分かんねえかもしれないけど」
 ぷ、とファラが吹き出す。くすくす笑いながら、絶対リッドは寝てしまう方に百ガルドと呟いた。
「もし、無事にガレノスやメルディと一緒にセレスティアにいたら、キール今頃、本の山の中に埋もれてるよきっと」
「まあ、アイツならメルニクス語覚えるのくらい、その気になればアッという間なんだろうけどな。勉強だけは異様に出来るから」
 空から視線をリッドに戻して、ファラがふわりと微笑む。
「リッドだって、他の誰にも出来ないことやっちゃったじゃないの」
「……極光術か? 言っておくけど、あんまり大袈裟に説明するなよ? 大丈夫だと思うけど……こんなもん、使わないで済むならその方がいいんだ」
 顔をしかめるリッドに、ファラは首を振った。リッドから視線を外して、水平線の向こうに何かを探すように、榛色をした瞳が遠くを見ている。
「極光術もだけど。わたし震えが止まらなかったんだよ、あの核を壊すとき。あのとき、わたしがリッドを支えなきゃ、励まさなきゃって思ってたんだ」
 でも、と、呟くファラの髪を風が持ち上げて揺らした。背中から吹く風に煽られた髪が頬にかかるのを手で押さえる。
「でも、リッドは帰ったら私のオムレツ食べたいって。ああ大丈夫だなって、そう思った。いつでもそうだったなあって……思った」
 何か言おうとして、言葉にならなくて、そしてリッドは何も言わないままファラの視線を追った。
 いつもそうだった。けれど、いつかは、別の道を歩いていくだろうから。だから、何も変えたくなかった。何も変わらず、今のまま、ずっとこのまま。
 そんなことは不可能なのに、そう願わずにはいられなかった、その根本。
 今を守りたいから、流れていく時間に逆らおうと思った、その源。
 ――なのにどうして、俺は今何もしない?
「リッド?」
 不思議そうに覗き込んでくるファラに軽く首を振って、リッドは立ち上がった。
「そろそろ昼飯だろ。行こうぜ」
「あ、うん」
 追ってくる足音を確認しながら、リッドはもう一度だけ声に出さずに呟いた。
 どうして、変えられない?

 

14

 インフェリア港が朝日の向こうに見えたとき、ニナは船室の窓に頬をくっつけるようにして歓声を上げた。
「船旅も憧れてましたけど、やっぱり揺れない地面の上で眠りたいです」
 しみじみとニナが呟く。荷物をまとめながらファラは笑った。確かに、旅慣れないニナには揺れる船内は辛いだろう。今までひとつも弱音を吐かなかったが、船酔いして気分が悪そうにしていることもあったのだ。
「半日歩けば王都につけるから――夕方くらい、かな。ニナさんは王都初めてだっけ?」
「ええ、天文台もお城も初めてです。ああどうしよう、なんだか動悸が」
 胸を押さえるニナに笑いかけてから、ファラはもう一度荷物の整理に戻った。
 二部屋もらえたのをいいことに、リッドはもう一つの部屋に押し込めてある。どうしたって、部屋割りはそれが妥当だった。
 たとえ、二人の時は平気で野宿出来ても。
「あんまり大きくて立派でびっくりするよ。まあリッドなんかは食べれて眠れたら、どこでもいいんだろうけど」
「あ、でも……」
 突然ニナが振り返った。窓枠に手をかけたまま、顔だけこちらを向けている。
「私は天文台へ行かなくてはなりませんけれど……ファラさん達は、すぐにお城へ行かれるんですよね?」
「え? うん、たぶん……」
 お城に行く。アレンデ姫に報告へ。
 そうしたらこの旅は終わり。そしてラシュアンに帰る。
 帰ってどうするんだろう。また、人の目を気にしてリッドに会えない日が始まる。
 子どもの頃のままでいられないのはわかっている。けれども、どうして。
「……私、この船に乗るとき、リッドさん達に甘えてしまったから……乗船パスも何も持ってないんですよね」
「あ」
 ニナの呟きにファラはふと我に返った。そういえばそうだ。盲点だった。
 アレンデ姫への報告も何日がかりになるかわからない。ニナの用事もだ。ひょっとしたら、王都で別れなければならないかもしれない。それなのに、帰る手段がニナにはない。
 ファラは顎に手を当てて考え込んだ。
「うーん……天文台後回しに出来る? それなら、アレンデ姫に会えたらお願いしてみるよ」
「はい! ありがとうございます、すみません何から何まで」
「ううん。いいよ、これっくらい」
 頭を下げるニナに手を振ってから、ファラはもう一度荷物に取りかかった。
 リッド。リッドはどうしたいんだろう。
 ついてきてくれた。でも、あの旅だってそうだった。内心でどう思っていようと、リッドは一緒に来てくれた。
 大切な人。守りたかった、大切な世界。帰る場所。
 それは全部リッドと同じだと、そう思っていたあれは……錯覚だったのだろうか。
 何の約束をしたわけでもない。一緒に帰ろうと、そう言っただけ。
 帰った後どうするかなんて、考えてもいなかった。
「ねえ、ファラさん」
「何?」
 ぼんやりと呼びかけに応えて、ファラは我に返った。やはり荷物をまとめていたニナが、手を止めて壁を見ている。
「リッドさん、何か心配事でもあるんでしょうか」
 壁の向こうはリッドの部屋。同じように目をやって、それからファラは目線をニナに戻した。
「なんだか、昨日あたりから黙りこんでいらっしゃるような気がして……」
「……そう? かな……」
 昨日、話したとき。
 何か考え込んでいるのはわかった。それが何かはわからなかったけれども、思い出したのは、セイファートの試練を受けに行ったときのリッドの背中。
 なんだかとても大きくて広くて、近くにあるのに遠いような。
 ファラの記憶の中にいる、少年の面影の見えない背中。
「ああいうときのリッドは、何かを乗り越えようとしてるときだから……。何か、わたしに出来ることがあるわけでもないんだよね」
「そういうものですか?」
 ニナが呟いた。
「私なら、何かしたいですけど。嫌じゃないですか、好きな人が一人で苦しんでいるのをただ見ているだけだなんて」
「……ただそこにいてくれるだけでも随分違うけど――って、え?」
 好きな人?
「違いますか? そうかしら……」
 問い返したのに、ニナは何か考え込んでしまって、答えは返ってこない。
 ……どうして。
 ニナの言ってる「好きな人」がリッドだと思ったのだろう。
 どうして、どんなときでも傍にいてくれた、リッドのことを思ったんだろう。
 わからない。
 わからない――