シャングリラ

Gust,小説ロアルカ

合体メタファリカが謳われる前の、エピローグ直前ロアルカ話。

※個人の妄想と解釈によるロアルカ恋愛要素がふんだんに盛り込まれています

お好きな方はどうぞ!


 

「クロアは、どんなメタファリカがいいの?」
 宿の寝台に腰掛けようとしている少女がまとめ髪をひょこんと揺らしてそう問いかけてくるのに、クロアは首を傾げた。
 メタファリカ。理想郷。おとぎ話に出てくるそれは、きれいで明るくて、食べ物がたくさんある、そんな場所だったけれども。
「どんなって?」
「だから、今みんなに聞いて回ってるでしょ?」
 ああ、と合点がいった青年は頷いた。
 七百年の悲願であるメタファリカに臨む御子二人は、この世界に住む人々の理想郷への想いを分かち合う為に各町を廻っている。
 その途中のラクシャクで宿に泊まることになり、もう眠るだけという時間になって少女は彼に割り当てられた部屋に訪ねてきた。
 ルカは今をときめく御子のひとりで、ここは一応公共性のある施設で人目もある。時間も時間だし、なるべく早めに部屋に帰さなければと考えていたクロアの思惑もよそに、ルカは寝台に座り込んで長期戦の構えだ。
 やれやれ、と内心でため息を吐いたクロアは、眼鏡を外すと書き物机に備え付けられていた椅子に横向きに座った。椅子の背に腕をかけて頬杖をつき、しばらく考え込む。
「メタ・ファルスの理想郷だろう? 俺たち、みんなの」
「そうだよ? だからもちろん、クロアだって『みんな』の中に入ってるんだから」
 膝の上の手を握り拳にして力説するルカに、クロアは微笑んだ。ここラクシャクで同じ様なことを尋ねた友人達から、よってたかって迫られて慌てふためいていた少女の姿を思い出したからなのだが、そんなこととは知らないルカはじっと答えを待っている。
「そうは言われてもな……。正直、メタファリカが成った後の事なんて考えてなかったし」
「なかったの!?」
 目を丸くしてルカが叫ぶ。あまりの勢いに、クロアの方がたじろいだ。
「あ、ああ……なんか顔が怖いぞ、ルカ」
 はっとルカが頬に手をあてて、一生懸命にさする。そんなにこすったら痛くないだろうかと心配したが、かける言葉が見つからない。おろおろしているクロアの前で、強張っていた表情がほぐれたと判断したのか、両手を膝に下ろした少女はむーっと唇を尖らせた。
「だってクロア、頑張ってたじゃない。ものすごく。インフェルさんにだってあんなに啖呵切ったのに、何も考えてなかったって」
「いや……だからこう、ちょっと前までは色々諦めてしまってたから」
 椅子の背に組んだ手に口元を埋めるようにして、クロアは彼女から目を逸らした。ルカがはっと息を呑む音は聞こえたが、彼女の様子は視界に入れないですむ。
 今のクロアにとっては、あの頃の彼自身は不甲斐なさや情けなさを呼び起こしてしまう存在だ。無駄であったとは考えていないが、それでもルカに向かって開き直るにはまだ傷口が新しすぎる。
 自分の膝辺りを見下ろしながら、クロアは苦笑気味に口を開いた。
「その後は目の前の事とか、なんとかメタファリカを実現させる事で手一杯で。……でもまあ、ラクシャクの人達だってあれだけ張り切っているんだから、きっといい大陸が出来るよ。そうだな、シンシアが言ってたような花畑があって、ココナが駆け回れそうな広い草原があって、ああみくりの森の守り神も一緒で、あとは――痛っ!」
 唐突に両の頬を挟んだ手によって強制的に首が廻らせられたせいで、ごきんと嫌な音が耳元でした。続いてじわりと熱い感覚が広がり、彼は顔をしかめる。
 抗議をしようと腕の主の顔を視線だけで探すと、怒ったような顔をしたルカが彼の両の頬を挟んだままずいと顔を近づけてきた。
「私は、クロアの希望を聞いてるの!」
 端的に告げられた言葉の力強さと、見据えてくる大地の色の瞳の揺るがなさに、クロアは言葉をなくした。
 ああ、と口元がゆるむ。
 昔からルカはそうだった。他人の感情の変化には敏感だからこそ、放っておいて欲しい時はそうしてくれるのに、どうしてかこういう時だけは的確に中心を突いてくる。
 それはいつだって、彼が奥底に沈めたままで放置しておこうとしている――おそらく願いとか望みとか――そういった感情を掬い上げる為だった。
 ルカが居れば、それだけでいい。
 そんな答えが喉元までこみ上げたが、きっと彼女は心の底からは喜んでくれないだろう。間違いなくクロアの真実の一つなのだが、その答えではルカは満足してくれない。
 まだ少し痛む首に当てていた手を外して、そっとルカの髪を撫でた。さらりと滑るその髪を手の甲に流して、頬を包む。
 驚きの色を浮かべた少女に、彼は微笑んだ。
「ルカとクローシェ様が世界中の人達と謳った大陸が、みんなを幸せにできないわけがないだろう? だから俺の望みは――そうだな、そこでルカやみんなが笑っていることかな」
 しばらく無言でその返答を吟味していたらしいルカは、うーん、と首を傾げた。
「……クロアがそう言うなら……って違う違う! それじゃ私が励まされてるだけじゃないのっ、そうじゃなくって!」
 流されてはくれなかったらしい少女の反応に、クロアは動かさない表情の下でため息を押し殺す。
「本当にそうなんだが」
「だーめ! みんなだって色々夢をもってたじゃないのっ、色々踏み外してる答えもあったけど! ほんと、クロアってば枯れすぎだよ! なんでそんなに夢がないの!?」
 お姉さんぶって叱る様な口調でクロアをやっつけた少女は、小さく息をついてからそっと何かを呟くように唇を動かした。
 ほとんど声にはなっていなかったが、この至近距離でそれが聞き取れないはずもない。クロアは少しだけ強めにルカの瞳を見据えるた。柔らかな頬に添えた右手は、いつでも滑らせてうなじのあたりにやれるように少しずつ移動させて。
「……いちゃいちゃするのがルカの希望なら、今すぐにでも叶えるけど?」
「っ!?」
 一気に顔を赤くしたルカが、慌てて身を引こうとするのを、準備していた右手と、離れていこうとしていた手首を捕まえた左手で阻止する。
「い、言ってない!」
 形勢逆転もいいところでうろたえるルカを引き寄せ、クロアはその耳元に囁いた。
「『ノノちゃんみたいにいちゃいちゃできればくらい言ってくれても』、――なんだって?」
「くっ、クロアの地獄耳ー!」
 なんだか涙目になってそうわめくルカを中途半端な姿勢で腕の中に収めながら、クロアは深く息を吸った。
「ルカの傍に居たいな」
「え」
 ぴたりと動きを止めたルカの細い身体をもう一度たぐり寄せ、膝の上に座らせるようにして抱きしめ直す。
「メタファリカ。ルカとずっと一緒にいられるなら、笑って楽しく暮らせる世界なら、それがいい」
 さらりとした髪に鼻先を埋めるようにして囁き、額を合わせるようにしてその瞳を見つめる。
 わたわたと落ち着くなくさまよっていた手が背中に回って、頬がおずおずと肩口に埋められた。
「……ほんとに、クロアはそれでいいの?」
「ああ」
 クロアが頷いてみせると、拗ねたように睨み上げられていた瞳が、やがて観念したようにそっと伏せられる。
 こみ上げてくる幸福感にいつの間にか詰まっていた息を、なるべく静かに再開させて彼も目を閉じた。
 この瞬間に胸を満たす幸福がこの先もずっと続くなら、それでいい。
 腕の中の人を失わずにすむなら、このまま守っていけるなら、それがいい。
 おやすみを告げてルカの姿が扉の向こうに消えて、このぬくもりは空気に溶けてしまっても、この胸を占める暖かな感情だけはずっと消えたりしない。これがある限り、次の日にまたおはようと笑い合える限り、そこがリムでも宮殿でも新しい大地でも、どこでもかまわない。
 どれくらいまでなら力を込めても許されるだろうかと測りながら、じわりと囲い込んだ輪を縮めにかかった。

 

―了―