はなせない
上条とインデックスの話。小説16巻あたりの、上条家でのふたり。
やっつけでとりあえずの課題を終わらせてしまい借りてきたマンガを読んでいると、バスルームから居候の銀髪碧眼少女がひょいと顔を出した。
「とうま、とうま。タオルそっちに置いたままかな?」
「んー? ああ、あるある。夕立への素早い対応、お疲れ様でしたインデックスさん」
背をもたせかけていたベッドの上に畳まれていたフェイスタオルを一枚取り上げる。使用済みのバスタオルを洗濯機に突っ込んだインデックスは、ぺたぺたとやってくると俺の隣に腰を下ろした。
その頭にタオルをかけてやる。長い銀髪は軽く水気をぬぐわれただけで、まだ束になっている状態だった。
「いいかげんにドライヤーを使えるようになろうぜお前は。夏ならともかく、もう秋だぞ」
「だってあれ熱いし風強いし怖いもん。タオルでだって乾くから平気」
基本的にスイッチとボタンがついているものには全て身構えるタチのインデックスは、文明の利器をあっさりと切って捨てる。
しかし腰の辺りまである銀髪だ。今までだって乾くまでかなりの時間がかかっていたのに、冬場になったら冷たくないのだろうか。
テレビが天気予報を告げている。明日は少し肌寒い一日になるでしょう。
けれど湯上がりのインデックスは俺の隣でほかほかだ。
タオルを肩にかけ、長い髪をまるごと体の前に持ってきたインデックスがタオルごと絞るように軽く握って髪から水気を取っている。上から下まで一通り終えると、次はとんとんと叩くように乾かす作業が辛抱強く繰り返されるのが毎日のことだった。
「日本の冬をなめるなよ。生乾きのまま放置とか風邪ひいちまうぞ」
言いながらマンガの代わりに別のタオルを手にとって、インデックスの頭にかぶせた。あまり乱暴にならない程度にわしゃわしゃとタオルドライのお手伝いを開始する。
「うーん、確かに寒かったけど。でもほら、今度の冬はお部屋の中にいるんだし、平気かも」
いかにもたいしたことではありませんでしたー的な口調での発言に、いったい去年はどうやって過ごしていたのかとおののく。だがこの夏休み以前の話をつつくことは彼女に俺の記憶喪失を隠している以上得策ではない。
とりあえず今年の冬は上条家の温暖化を図る事を決意しながら、だいぶ水気を吸って重くなったタオルをテーブルに投げて立ち上がった。
「ホットミルクとココアとカフェオレ」
「ココア!」
間髪も入れない答えにはいはいとキッチンへ向かう。冷蔵庫を開けると、何かおやつがもらえるのかと期待した三毛猫がすっとんできたが、無視して牛乳パックを取り出して扉を閉めた。悲しげな鳴き声があがる。
マグカップに少しだけ牛乳を注いで三十秒レンジで加熱。ココアをスプーンに二杯放り込んでよく混ぜてからもう一度牛乳で伸ばしてさらに二分加熱。
冷蔵庫に牛乳を戻すついでにちくわをひとつまみ千切り、うりうりと膝の辺りで動かす。三毛猫の追いかけ具合が必死すぎて指ごとがぶりといかれそうになったので素直に鼻先に持っていくと、一度床に置いてからくわえなおしたちくわを三毛猫は満足そうに腹におさめ始めた。
と、髪を拭いていたはずのインデックスが「む!」と声を上げる。
「とうま今スフィンクスにおやつあげたでしょう!?」
「その鋭さはもっと有益な時と場合に働かせろよ! お前にはココアがあるんだから我慢しろ」
口を尖らせたインデックスが、確かにスフィンクスはココア飲めないけどと作業に戻る。テレビはサバンナの動物特集を流し始めた。
穏やかなナレーションに、とんとん、とんとん、と単調なリズムが混じる。
電子音がココアの完成を告げる。レンジを開けて、マグカップを両手に持ってリビングに戻りテーブルの上にココアを置くと、インデックスは嬉しそうに「ありがとー!」とタオルドライを中断してカップを両手でくるんだ。
「ヤケドすんなよ」
「大丈夫だもん」
息を吹きかけて冷ましながら、ゆっくりとインデックスがココアを飲む。
「こないだね、お湯を沸かすだけなら爆発しないと思ってココアの入れ物に書いてあった通りに作ってみたんだけどね」
「牛乳チンしたくらいでレンジを爆発させる危険性がどこにあるんだ……」
「なんだか味が薄くてあんまり美味しくなかったの。とうまが牛乳で作ってくれる方が美味しい」
俺のツッコミは放置したままインデックスがにこーと笑う。
「はいはい、お褒めにあずかり光栄です」
「うん、大絶賛なんだよ」
嬉しそうに大事そうにココアを飲んでいる姿が見られるならココアを二つ作るくらいたいした労力でもないなあと考えたが、こうやってついつい甘やかすからいつまでたってもインデックスはレンジを使えないんじゃないだろうかと我に返る。
方針を変更すべきか真剣に検討する俺に、インデックスが「ねえとうま」と俺の名前をのんびりした調子で呼んだ。
「お昼にテレビでやってたんだけど、鍋っていろいろ種類があるんだね」
「言っておきますが上条家の予算では豚しゃぶか水炊きが精一杯です!」
「それなら出来るの? だったらまいかたちと一緒にしようよ、寒くなったら」
おそらくテレビ番組に出てきたであろう豪華なメニューをねだられるのかと警戒していたのに、違う方向からの提案におやと首を傾げる。
「鍋がしたいのか?」
「うん! とうまのくらすのみんなと食べたすき焼きもそうだったけど、夏にこもえの家であいさ達と食べた焼き肉も美味しかったんだよ。あ、あいさも呼ぼうよ! ね、みんなで食べるとご飯って本当に美味しいよね」
にこにこ、とマグカップを持ったまま寝間着姿の銀髪シスターさんは無邪気に言った。
「――そうだな。やるか、鍋」
ぱっと表情を明るくしたインデックスが、やったーとまだ生乾きの頭を俺の肩にくっつける。ココアを飲んでいるからか、機嫌の良いときに行われる二の腕への甘噛み攻撃の代わりらしい、ごくごく軽い頭突きのような仕草が二、三回繰り返された。
インデックスは、一年ごとに思い出を殺され続けていた。
俺がその連鎖から助け出したらしいけど、俺はそれを覚えていない。
そしてその事実は、インデックスにだけは絶対に知られるわけにはいかない。
だから話せないことがたくさんある。聞けないことがたくさんある。
それでも、こうやってインデックスの笑顔を守る事は出来るはずだ。
無邪気に寄せられる温もりを手放さずにいられるはずだ。
「鍋は代用するとして、カセットコンロが要るなぁ」
呟くと、傍らにある翠色の瞳が見開かれた。
「えっ何それ? はっ、まさか鍋には機械が必要なの!?」
「そんな大げさなものじゃねぇって。ちっこいガスコンロだよ。あとカセットボンベな。しばらくおやつちょっと減らすぞ」
うぐぐ、とマグカップを口元にあてていたインデックスだが、ややあってこくんと一口飲むと決然と顔を上げた。
「いいよ、我慢する。おっなべ、おっなべ♪」
「ポン酢とごまだれどっちがいいかなー」
「両方! あのねあのね柚子っていう柑橘類が入ってるポン酢がねすっごい美味しいってテレビの中の人がね」
「とたんに単価が跳ね上がる調味料をもってくんな!」
ええー、と悲しげにインデックスが言う。その膝に、ちくわを食べ終えた三毛猫が飛び乗ってきて、何故か拾い主である少女と似たような上目遣いで俺を見上げた。
駄目なものは駄目です、と断じて視線をテレビに戻してココアを飲み干したけど、多分スーパーで陳列棚を前にしたらカゴに入れるのは柚子ポン酢だろうなとこっそり諦めてみた。
それでインデックスが笑うなら。この平穏であたたかな日々を、もっと幸せなものにできるなら、それくらいはおやすいご用だ。
「楽しみだね、とうま」
「はいはい、期待して待て。肉の安売り狙って冷凍だな」
「チラシの安売り比べならどんとこいなんだよ!」
「おう任せた。いや待てそんなことに使って良いのか完全記憶能力」
「役に立てばなんでもいいんだよ。おっなべ、おっなべ♪」
飲み終わったマグカップをテーブルに戻し、三毛猫の前脚をとって不思議な踊りを強いているインデックスの頭をぽんと叩いて「よしなさい」と言いながらその手をしばらくのせていた。
少しつめたくなっている髪の感触に、ドライヤーを取ってこようかと思案しながら軽くまぶたを閉じた。
たとえ話せないことがたくさんあっても。
このぬくもりは離せない。
―了―