何度でも
上条とインデックスの話。小説旧約16巻のエピローグ後、病室での二人。
目を覚ますと、白い病室は夜に塗りつぶされていた。
消灯時間をとうに過ぎているのだろう、明かりの落とされた室内に、閉まりきっていないカーテンの隙間から街の灯りが差し込んでいる。
今は何時だろうかと首を巡らせた上条当麻は、自分の腹の辺りにかかっている重みに気づいてそちらに目をやった。
想像に違わず、そこには白い修道服に身を包んだ銀髪の少女がぺたんと上半身を伏せて寝入っていた。パイプ椅子に腰掛けたまま沈没したらしい。
そういえば昨日も同じような光景を見たんだっけ、と上条は苦笑した。
(……家に帰れって言ったのになー。まあちょっと今日は信用がないか)
寝入っていた彼女を置いて入院していた病院を抜け出したのは、たいていの事は上条が謝れば一通り怒った後で許してくれてしまうシスターにとっても、許容範囲ぎりぎりの暴挙だったらしい。ひさしぶりに頭だけではなくいろんな所をまんべんなく噛みつかれた。
まあそれもなんだかとんでもない格好をした天使の襲来によって中断し事なきを――いやよそう。思い出してはならない気がする。
十月も半ばを過ぎ、そろそろ夜は肌寒いのに毛布もかぶらず寝入ってる少女の体調が心配になり、上条は軽く周囲を見渡した。上着なり毛布なりないものかと探して見るが、手の届く範囲どころか目の届く範囲にはない。
インデックスの目を覚まさないように細心の注意を払いながら肘をつこうと身じろいだ瞬間、バネ仕掛けの様に少女が跳ね起きた。
「どこ行くのとうま」
今の今までぐっすり寝入っていたとは思えない棘のある声色での問いに、思わず硬直した上条はふるふるふると首から上だけを左右に振った。
「ち、違いますよ上条さんはただお前がそのままでは風邪をひくかもしれないと危惧した結果、何か掛けるものはないか探そうとしただけですよ?」
碧眼に剣呑な色を浮かべて上条を見つめていたインデックスは、ほう、と息をついてから軽く伸びをした。
「そんなに寒くはないかも。あ、トイレでもついていくから遠慮しないで」
「それは遠慮してください思い切り! ってーかもう解決したんだから抜け出したりしないっての!」
「どうだか」
ぷい、とインデックスがそっぽを向く。うわーこれは長引きそうだなーと上条は冷や汗をかきながらとりあえず上半身を起こす。正座に移行しようとしたが、脱臼した左足首が痛むので断念した。
とりあえず深々と頭を下げてみる。
「いやあの本当に申し訳ありませんでしたこの度はわたくしめの勝手な行動によって多大なるご心配をおかけしまして」
「とうま、とうま。もうそれは十三回も聞いたんだよ」
「でもお前まだ怒ってるだろ!?」
思わず突っ込むと、そっぽを向いていたインデックスが深ーい息をついた。びくりと上条は全身の動きを止める。
しばらくそのままでいたが、なんの反応もないので無理を押して布団の上での土下座にかかろうとした上条の視界にほっそりした白い手が現れた。
ん、と思う間もなく、ぱかん、とそのてのひらが上条の額に命中する。
「いっだぁ!」
思わず額を押さえて体を起こすと、インデックスの眉はまだひそめられていたが、口元は少しゆるんでいた。
意外な展開にまじまじ少女を見ていると、インデックスは一つため息をついてから口を開いた。
「仕方がないよね、とうまだし。どれだけ私が心配したって誰かが困ってたら私を置いて飛び出してっちゃうんだし。目が覚めたらベッドが空っぽで私の心臓が止まりそうになったって、みんなを助ける為に絶対安静の身で病院から脱走しちゃうんだし」
やっぱりまだお怒り絶好調じゃないかと涙目になる上条を尻目に、インデックスはかたんと立ち上がった。薄闇の中で窓辺へと滑るように白い少女が歩く。
「前にも言ったんだよ。あまり言及しても仕方がないって」
開いたままだったカーテンをまとめるべきかしめるべきか迷うような素振りを見せる少女の姿を目で追いながら、上条は記憶をたぐった。それは『自分』の記憶だろうか。
まだ数ヶ月分しかない記憶の検索はあっさり終わり、夏休みにやっぱりこの病室で聞いたものだったと思い当たる。
あの時も心配させた。心配をかけることがわかっていて、それでも立ち止まる選択肢はなかった。
ごめん、としか言えなかった。それは今も同じだ。
謝ることしか出来ない上条に、インデックスは笑いかける。
「本当に悪いと思ってても、もう二度としません、ってとうまは言えないんだよね?」
痛いところをつかれて上条は押し黙る。肩をすくめたインデックスは、開けておくことにしたらしく、中途半端に開いていたカーテンを束ねてしまう。
基本的に学生の街である学園都市だから深夜にはネオンサインが瞬くこともなく、街灯の光くらいしかない。夜空にぽっかりと浮かんでいた月を背に、シスターである少女は慈しむように微笑んだ。
「だから、二度としないで、って私は言えないんだよ。それはとうまに生きながら死んでいろって言うのと同じことなんだもん」
口を開く。言葉は出ない。
何度か同じ事を繰り返した挙げ句、やっぱり「ごめん」としか言えない上条に、「良いんだよ」とインデックスは笑う。
「良いんだけど」
いつの間にかうつむいてしまっていた顔をのろのろと上げる。笑顔のまま、少女はかわいらしく小首を傾げた。
「何度でも私は怒るかも」
「……うん」
「何度でも、とうまに噛みつくかも」
「…………うん」
「でも、ちゃんと帰ってきてくれたら許しちゃうかも」
両手を背中の後ろで組んで、人工と夜空の光を背に纏って少女が微笑む。
この笑顔を涙で曇らせない為に『上条当麻』として歩き始めた。
この笑顔を守るために、歩いてきた。
だから上条当麻は、この優しい笑顔から目を逸らすわけにはいかない。
彼女の笑顔を失うわけにはいかない。
「ああ」
はっきりとうなずき返すと、インデックスが窓辺を離れた。先ほどまで座っていたパイプ椅子に戻る前に、ベッドの下から予備の毛布を取り出す。
「うん、じゃあこの話はおしまい。とうまはまだ休んでなきゃ。とりあえず今日は逃亡の恐れなしと判断して、私もちょっと眠るから」
反論できずに半笑いを浮かべながら、上条はベッドの上で少し体をずらした。パイプ椅子に座ったままのインデックスが布団の上に伏せやすいようにスペースを空ける。
「本当はここも完全看護なんだし、家に帰ってもいいんだぞ。お前が風邪ひいちまう」
「毛布があるから平気なんだよ。スフィンクスもまいかにお願いしたから大丈夫」
ポンチョのように毛布を羽織ったインデックスが、先ほどまでの様に布団に上半身を伏せる。苦笑しながら、上条も布団の中に潜り込んだ。
「寒いからって寝ぼけて潜り込んでくるんじゃありませんよー」
「む。どうしてとうまはいつもそうやって私を追い出すのかな」
「いや鍵かけておかないと人の布団に潜り込んでくるのは紛れもなくお前だインデックス」
「ひどい濡れ衣をきせられたかも。おやすみなさい、とうま」
「どこが濡れ衣だどこが。おやすみ」
なんてことのない会話を交わしてから、上条は目を閉じた。ほどなく、規則正しい寝息が聞こえてくる。
右腕の辺りに、布団越しに柔らかなぬくもりがある。
このぬくもりのありがたさを忘れないでおこう。必ず彼女の所へ戻るために。
そう決意しながら、上条もまた眠りに落ちた。
―了―